青い春は音に吠える(前編)
こんにちは、ノウミです。
たくさんの小説や素晴らしい作品がある中で、私の作品を手に取っていただきありがとうございます。
これまでに多くの作品を発表してきましたが、皆様に楽しんでいただけるよう、これからも様々な物語をお届けしていきます。
皆様に「読んでよかった」と感じていただけるよう、
一層精進してまいります。
どうぞ、これからもご期待ください。
入学して暫く。少し気になっていた人に言われた『なんかつまらないよね、君って』とか、教師に言われた『お前はこの先どうするつもりだ』『明日からの最後の夏休みをこのまま無駄にするつもりか』。
思い返せばそんな言葉の羅列を浴びせられ続けた高校生活、そうして3年目の夏に迎えた終業式の日に告げられたこの言葉で、居ても立ってもいられなくなった。言葉を振り切って駆け出さずにはいられなかった。
『あのな。青春時代は今しかないぞ、俺が学生の頃にはな……』
思わずその場で声に出して「うるせぇっ」て叫んだよ。
周りがどう思っているかは百も承知だし、この先につまらない人生が待っていることも気づいていた。
ただそんなありきたりの言葉を垂れ続けるお前らの人生はどうなんだって、今までもこれからの事も良く聞く昔話だって大した事無いものを連ねるだけ。
鉛のようになった足を動かし、自販機の元へと歩いていくが更なる絶望が僕を襲う。
お金がない……。
僕にとってはここが人生の底なのだと思い知らされる、ただの家にお金を忘れただけの事かもしれないが積み重なった重荷で保っていた支えを押し潰されるには十分だった。
そんな折。一つの考えが頭をよぎり、考えるよりも先に体を迷いなく動かされる。
その足取りは夏の暑さを受け入れない冷房の効いた建物へと誘引されている。迷いなくその中へと入った辺りは昼過ぎながらも買い物客で賑わっていた。
買い物かごを抱えながら動き回っている人の合間を縫って、息を殺しながら一目散に飲料コーナーを探しながら突き進んでいく。
騒がしいはずの喧騒は次第に聞こえなくなり、僕の心音のみが響き渡り全身を蝕んでいく。背を伝う汗が、拳に握る汗が、先ほどまで走って溢れ出ていた汗とは別物なんだと感じさせる。
”あった„と。つい心の声が漏れ慌てるように口を手で覆う。
まだ何もしていないのに、まるで悪いことをしたかのように。
目的の飲み物が冷たい冷蔵庫に大量に並べられている。商品として、誰でも取り出しやすいそれらはいつもより一層輝いて見えていた。
そう安堵したのも束の間、早まる鼓動にうるさいと言い聞かせながら辺へと視線を散らすが幸いなことに人目はない。その瞬間に躊躇する事が出来ない僕の手は、気が付けば鞄の中へと吸い込まれていった。
言い難い程の高揚感が体の奥底から溢れ出してくるのを感じる。
抑えなければいけないと感じながらも、鞄の中にはあるはずのなかった飲み物がこの中へと残されている現実に高揚せずにはいられなかった。
でもすぐに、全く反対の考えが頭をよぎる。
先ほどまでの高揚感に隠れて芽生え始めた罪悪感。でもそれは”ここから逃げたい„と、その考えだけで一瞬にして吹き消えていく。
いざ、このまま逃げ出そうと動き始める。
その瞬間、一気に周囲の音が引き戻され現実が眼前に広がっていった。鞄から抜いたばかりの腕に、感じるはずのなかった力強く締め付けられる感触と共に全身の血の気が引いていったからだ。
その正体は突然にして目の前に現れたエプロン姿の女性だった、このスーパーには似つかわしく目立つ金髪姿のその女性は、ただただ僕を睨みつける。
この状態に言葉にならない声が漏れる。
先ほどまで朧気だった頭の中が冴え渡り、微かな罪悪感は再びむき出しの刃となり喉元へと突き立ってくる。
その視線が、腕の感触が言い訳を考えさせる余裕すらも奪っていく。
でも、その女性から発せられた言葉は思いがけないものだった。
「盗もうとしてた?」
「あ、いや、これは…その……」
「鞄に入れてたよね?」
「は、はい……」
「お金持ってないの?」
「……はい」
「はぁ…」
女性は大きなため息をつきながら頭を搔いている。
もう言い訳のしようもない、頭の中を巡るのは逃げ場のない”犯罪„の二文字だけ。
「君、いくつ?」
「じゅうなな…もうすぐで18です」
「そう、こっち来て」
「ごめんなさい戻しま…「いいから早く」
鋭い視線と、低くなったその声に圧倒される。
この場には二人しかおらず、簡単に逃げてしまいそうな状況にも係わらず体が地面に打ち付けられているようで。その証拠にこの足は地面から離せずにいた。
もたもたと硬直していた僕を知る由もなく、その女性は力強く腕を引っ張って剥がした。
気が付けば〝従業員専用〟と書かれていた扉の奥へと案内されていた、その間にほかの店員らしき人に声を掛けられていたが、この女性は気にも留めることなく僕を引きずって行き、抗う余裕もない今の僕にはただただ流れに身を任せるしか無かった。
そうしてさらに奥へと進んでいき、個室らしき部屋の中へと案内される。
中に入ると男性が一人でパソコンの前に座り、何かの作業をしていた。
「店長、机と椅子借りるよ」
「あ、雫ちゃん。急に何よその子、知り合いでもここに連れてきちゃ…ダメ」
「いいから放っておいて。……ねぇ、君。そこに座りな」
「雫ちゃんなんでいつも冷たいの、一応私はここの店長なのよ?」
「はいはい。すんません、すぐ終わるんで」
「いつになったら優しかった頃に戻ってくれるのかしら」
目の前の男性が店長であること、このお店の個室らしき場所に連れてこられたこの状況はさすがの僕でもこの後、何を言われるかは想像出来てしまっていた。
渇き続けた口の中は固唾を呑むことすら許してくれず何も出来ずに立ちすくんでいると再度促され、恐る恐る指し示された椅子へと腰掛ける。鞄の中には先ほどの飲み物がまだ残っている事が頭をよぎり、さらに鼓動を加速させていく。
僕に何かを考える余裕はもう無くなっていた。
背中を伝う一筋は、熱くなっていた体をまた一気に冷やす。
「うんと、私はここにいない方がいいかな?」
「別にいいですよ、大丈夫です」
「そう?なら私はパソコンの方向いてるから気にしないでね雫ちゃん」
そう言いながら〝店長〟と呼ばれていたその男性とも女性とも言える人物はこちらに背を向け、パソコンの方へと向き直していた。
「なんでこんな事しようと思ったの?」
「それは…その、自分でもよくわからなくて」
「……君っていじめられたり誰かに無理やりとか?」
その言葉に先ほどまでカタカタと響き渡っていた音がピタリと止み、再び店長さんがこちらを向きその視線が突き刺さる様でこの目を捉えたようだ。
「雫ちゃんもしかして万引きなの!?」
「店長!まだ大丈夫ですから」
「大丈夫って何よ」
「まだしてなんで。大丈夫ですから」
「だから、大丈夫って何なのよ分かる様に説明してちょうだい」
「あとで説明するんで、仕事戻ってください」
「んもぉ」
その言葉に納得いかない表情を残しながら僕の顔をまじまじと見つめ、今度は疑念の視線を向けてくる。そうして再び店長さんはパソコンの方へと体を向け直しカタカタと無機質な音が、部屋の中を響き渡らせる。
「どうするつもりだったの、こんな飲み物一本盗んだところで」
何も言えずにいると僕は思わず口を開き、自然と言葉を並べていた。先ほどの店長さんとは違った視線を向け心の奥底を見透かされているようで、思わず溜め込んでいたものを全て吐き出してしまっていた。
言い訳や嘘を付くよりも、今の置かれた状況や今日一日の出来事をこの口から出していく。
初対面だからかこの女性がそうさせたのかは、僕には分からない。
目の前の女性は、否定や嘲笑う事もせずにただただ僕の話に合わせながら静かに頷いてる。
そうしてすべて吐き出した僕は、重い荷物を地面に置いたように肩も軽くなり冷静になったこの状況に対して本心なのか、逃げるための言葉なのかは分からないが絞り出す様な声で告げる。
「本当にごめんなさい、間違ったことをしてしまいました。商品を戻していけないのならお金は必ず払いに来ます」
その場から立ち上がり頭を下げる。
許されるかは分からないが、こうする事しか出来ないでいた。
「それで?衝動的にやったと」
「はい、ごめんなさい」
「私が見つけなかったらそのまま逃げてたよね?」
「はい」
「これが犯罪って理解してる?」
「……はい」
そうしていつの間にか音の無くなった部屋の中で、女性は大きなため息を吐きながら何処かへと歩いていく。
頭を下げていた僕には、足音だけが耳に残った。
少ししてこちらに向かってくる足音に合わせるようにして重たくなった頭を持ち上げる、するとその女性は一枚の紙切れを持って僕に突き出していた。
「いや、お金を貰うわけには」
「何言ってんの、よく見なよ」
その言葉にもう一度出された紙切れへと目を落としてみると、それが紙幣ではない事に気がつく。
「ぶれいく、がーでん?」
その一枚の紙にはギリギリ読める英単語と住所や日時が記されており、その中でも目についたのは〝ライブチケット〟の文字だった。
「こ、これは」
「これやるから、この後ここに来な」
「え、あっ……え?」
意味もわからずあっけにとられていると、僕の手を強く握り引っ張り上げる。無理矢理にでもその紙を、チケットらしきものを渡してくるように。
「"BREAK Garden„、私がやってるバンドのチケットだよ」
「バンドのチケット…ですか、僕に?」
「ちょっと、雫ちゃん。それ私のチケットじゃないのよ!?」
「今日行けないかもって言ってたんで良いじゃないですか」
「だから行けるように苦手なパソコンとにらめっこをしていたのよ!」
机に座っていたはずの店長さんが勢いよくこちらに向かって飛び出してきた、その時に自分でも驚いたが手に握っていたチケットを咄嗟に内側へと抱きかかえた。が、店長を抑え込むようにして女性が立ち塞がってくれていた。
「雫ちゃんひどぉい、楽しみにしてたのにぃ」
「店長いつも来てんすから、今回はその仕事に追われててください」
そんな二人のやり取りを見て我に返る。
「す、すいません……店長さんのチケットなら受け取れません」
今の僕にはそんな資格はない。
受け取るどころか迷惑をかけて、返さないといけない立場なのに。
「いいから受け取って。その代わり今日、絶対に来てよね」
「なんで僕なんかに」
「そうよそうよ!万引き犯なんかに勿体ないわよ」
「そう言わないでくださいよ店長、それなら商品代は私がお金出しときますんで」
「なんで急に……どうしちゃったのよう」
「そ、そうです。なんで僕なんかに」
女性は振り返って強い口調と視線で答える。まるで、蛇に睨まれた蛙のように張り詰めた空気になり緊張が走る。
「こんな事して、つまらん人生を更につまらなくしてどうするよ」
その言葉に、不相応ながらも少しだけ嫌な気持になる。
自分自身でつまらない人生だとは言ったが、初めて会った他人から言われるとなると……。
「何?さっき自分で言ったじゃん。どうせつまらない人生なんだって」
「言いました、言いましたけど…」
「だからってこんな事で更につまらない人生を送るぐらいだったらさ、私たちのライブでも見に来なよ」
「そんなこと言われても……」
「君さ、このままだと本当につまらない人生になるよ」
似たようなことを両親や先生達に散々言われ続けてきた。それを、この人に何度も言われるなんて嫌な気持ちを通り越して情けなくも思えてくる。
「つまらない人生の何がいけないのさ、別にいいじゃないか。誰にも迷惑をかけて…」
思わず出そうになった言葉に口をつぐんで必死にのみ込む、今までは誰にも迷惑をかけてこなかったかもしれないが。
「た、確かに僕が今やったことは犯罪です、分かっていますよ。愚かなことだって」
「で?誤って、ごめんなさいして。また明日からつまらない人生に戻るの?」
「だって仕方ないじゃないですかっ!頭がいいわけでもなく、運動ができるわけでもなく、お金持ちでも何でもない。こんな僕に…僕の人生がつまらないって分かってますよ、分かってるんですよ!」
今更努力する気もなければ、成し得たい夢も目標もありはしない。
ならいっその事つまらない人生なんだって、至って普通な何も起きえない人生なんだって。
そう理解して受け入れて、身を委ねて行く方が簡単で楽でいいじゃないか。そうやって諦めた僕を否定されたくはない。
「ならなんで、自暴自棄になってこんな事したのさ。なんでそんなに苛ついているのさ…君は「苛ついてなんか……ないですよ…」
「その表情は、その拳は嘘をついているのかい?」
僕がどんな表情をしているかなんて知らない、拳がなんだって言うんだ。そんな事、この人には関係ないはずだ。
なんてここまで言われなきゃならない。
「さっき、吐き出した言葉には…君がもどかしく苦しんでいるように感じたよ」
「だからなんだって言うんですか」
「言われている言葉には理解できるが、共感できないんだろう」
「そっ、それは……」
「それを抱えたまま大人になるのは簡単だけどさ、それは本当につまらないと思うし勿体ないよ」
「……それとこのチケッ、ライブに何の関係が」
「来たらわかる。少しくらいつまらなくて、私の言葉が理解できないままでも君の人生はつまらないんだろう?なら来なよ、どうせなら諦めたその人生を私が変えてあげる」
「あなたに…何がわかるんですか」
「分かるよ、私もそうやって変えられた人間だし。君と同じ道を辿ってたからね」
その言葉に、表情に。心臓が急激に締め付けられ苦しくなってくる。
これは苛立ちなのか、怒り、焦燥感、期待。内にある自分自身の感情が理解できずに戸惑う。
今まで投げられなかったこの言葉は、どう受け止めていいのか。
「雫ちゃん。その子戸惑ってるじゃないのよ、少し落ち着きなさい」
「重なるんですよ、昔の自分を見てるみたいで」
「あらぁ、もしかして私達の事?」
「うるさいですよ」
「照れちゃって、可愛いわね」
「店長が、それを言いますか」
「いいのよ、私のことは。もう…」
二人の会話が聞こえてるようで頭には入ってこない、僕にはただただ一点だけを見つめる手に握られた一枚のチケットだけが映る。
「ねぇ、君」
突然背中を勢いよく叩かれ、滞っていた血が一気に全身を駆け巡ってきた。その低い声と力強く触れている熱く大きな手に振り返りながら、その瞳に僕を映し出す。
「行ってきなさい、私が保証してあげるわ」
「……は、はい」
この空気に呑まれ、断ることなど出来ないでいた。半ば強制にも感じられるが、何故か嫌な気は決してしなかった。
「よし、決定ね待ってるから。君の名前は?」
「あ、秋雨。秋雨夏樹です」
「じゃあ秋雨、いったん家に帰ってから来なよ。流石に制服のままはね」
「わ、分かりました」
「私の分まで楽しんでおいでね、なつきちゃん」
「な、なつきちゃん!?」
その距離の詰め方と突き刺さるようなウィンクには、ほんの少しだけ嫌な気がしてしまった。
そうして気がつけば、先ほどまでとは違って和やかな空気が流れている感じがする。手に握るチケットも、知らぬ間に握りしめたしわが入ってしまっていた。
「ありがとうございます。えっと、店長さんと」
「あら、嫌だわ店長さんだなんて、かたっ苦しいわ。私の事はマリンちゃんって呼んでね」
「マリン…ちゃん…さん」
「いいのよ無理しなくて、店長で。私は柳井雫」
「もうっ、柳井ちゃんはいっつもそう。いつでもマリンて読んでほしいのに」
「はいはい、店長、店長」
「もう、意地悪ね!」
そういいながら二人が笑っている姿は、先ほどまでの僕には想像できない。
張り詰めていた緊張が少しだけ解きほぐされ、ほんの少しだけこの後の時間が待ち遠しく感じていた。
「その鞄の中身は私からのおごりだから、これに懲りたらもう馬鹿な真似はすんなよ」
「ありがとうございます、本当にごめんなさい」
再び頭を下げようしたが二人がそれを止めさせようと肩を掴んできた。
もう謝らなくていいよと、そう優しくささやきながら。
その後は追い出されるようにしてスーパーを出て、急ぎ足で自宅へと向かう。この時の足取りは軽く、不思議な高揚感が身を包み浮かせるようで。
それでも一抹の期待を抱きながらで、たった一度のライブに行った程度で何かが変わるとは思えなかった。音楽というものに決して触れてこなかったわけではなく、それなりに好きな曲もあれば、普段の通学途中には何の気なしにイヤホンから流行りの音楽を流している。
太陽はとっくに頭上を過ぎ去って落ちていた頃、家に着いた僕は真っ暗な部屋に明かりを灯し誰もいない部屋を見渡す。両親は共働きで普段から顔を合わせない事も多く、いつもの光景ではある。
部屋の中へと進んでいき机の上に雑に置かれていた、〝今週分です考えて使うように〟と書かれたメモの隣にある一万円札を手に取り、鞄を持ちながら自室へと戻っていく。
産まれてからの10年以上はここに住んで、自分の家のはずなのに何処か他人の家のように感じていて、それを寂しいと感じなくなったのは一体いつ頃だったのだろうか。
不思議と漏れるため息が、そんな考えを吹き消していくようで。その場には何も残らず機械的に、淡々と身支度を整えようとしていく。
汗だくだった体を洗い流し着替えも済まし、外に出る準備は既に整っていたが何故か自室の扉を開けずに自分がいた。
自問自答を繰り返しながら何度も頭を巡らせる、初めての場所に向かう緊張感と恐怖に向かう事に意味があるのかと一歩が踏み出せない。悪い癖だと分かりながら。
そうしてる間にも、手に持つスマホに表示される到着時刻が刻一刻と移り変わっていく。それに気が付きながらも僕は…。
(僕なんかが行ったところで)
たったこの一言が僕を縛り付ける、吐き出すようにして頭を垂らした瞬間、鞄から何かが転がり落ち床に重たい音が響いた。
それはまさにスーパーで僕が盗もうとした飲み物であり、柳井さんが奢ってくれたもの。
それが目に入った瞬間、何故か背中を強く押されるような感覚に襲われ背中が少しだけあの大きな手と同じ場所が熱くなる。
〝早く来い〟〝早く行きなさい〟と。
僕は飲み物を手に取り全て飲み干す、結局あれから一滴も口にせずいたので瞬く間に空になった。
ゴミ箱へと勢いよく投げ込み、潤った身体へと気力を送り扉に手を当てて部屋を飛び出す。
到着時刻は19時と表示されておりなんとか間に合いそうだった。もしかしたら1分でも遅れたら入れてくれないのではと、また別の不安が襲い始めてはいたが。
そうして部屋を出て息を切らせながら走り、今日は本当によく走る日だと笑いを堪えながらスマホのルート案内に従って向かう。
暗がりが顔を覗かせながら辺りはまだまだ夏の明るさを保ち、この蒸し暑さがまとわりつくようで、せっかくのシャワーも無駄になったと思いながら足を必死に踏み出していく。
〝モクテキチニトウチャクシマシタ〟、その音声と共に目の前に入り口らしき場所が広がっている。ライブ会場…いや、ライブハウスと呼ぶべきだろうか。手に持つチケットにもライブハウスとしてここの住所が明記されていた。
続々と中に入っていく人たちを目にしながら場違いなんじゃないかと思えてくる、全員が楽しそうに高揚している様に感じられ僕一人だけが馴染めずに浮いているような。
そうして辺りに視線を散らし、怯えながらも入り方を模索している。
思えばチケットを貰わなければここに来ようも思いもしなかっただろう。いや、仮にこれを貰っただけならば、あそこまで強く言われなければ僕は足を向ける事さえしなかったはず。
気がつけばスマホの時計は19:00を記しており、慌てながら周りの人達が流れていく方へと向かっていく。
そこは少し薄暗く、現実から逃れるために潜っていくような感覚を覚えずにはいられない。階段を一段、また一段と鼓動を速めながら降りていく。
勝手が分からない僕は目の前の人たちについて行くことしか出来ずにこのチケットだけは無くさないよう、大事に強く握りしめる。
次第に辺りの喧騒は聞こえなくなり、自分の鼓動だけが煩くこだまするようになってきた。似つかわしいこの静けさが、僕がここに来ることを否定しているのではないかと。
そんな事考えていると前の人が扉を開け、それに合わせる様に入っていく。
その先にはまだ階段が下りるように伸びていたが、先ほどとは違う空気感が辺りを漂っている。その理由に、音楽と呼ばれるものが目の前から迫ってきた。
音楽は、音は。僕の鼓動を揺さぶるように突き動かし、不穏な冷たさが背筋を伝わせる。
「いらっしゃい、チケットは?」
夢中について行くばかりで、気がつけばカウンターらしき場所の前まで来ていた。
そこでチケットについて尋ねてくる目の前の男性は僕にとって恐怖でしかなかった、金髪におびただしい数のピアスやアクセサリーが睨むようにこちらを見てくる。
「あ、あぁ。はい!ここここれです」
僕は恐る恐る手に持ったチケットを差し出した、スーパーで貰ったときにはしわくちゃになっていたがそれに加えて少しだけ湿り気を帯びていた。
それを見て急激に恥ずかしくなり、頭を下げる。
「……すか?」
「は、はい?」
頭がいっぱいになり声を掛けられている事にも気がつかないでいたが、頭を上げて声の方へと向けると何を言ってるのか聞き取れるようになった。
「な、に、に、しますか?」
「あ、すいません。もう一度、なんですか」
「ドリンク何にしますかー!?」
そう言われて差し出されたのはメニュー表で、そこには様々な飲み物とイラストが共に描かれておりこの中から選べと言うことらしいが、繰り返し眺めてみても金額が描かれてない。
高かったらどうしよう…そう思いながら慌てて鞄から財布を取り出し、先程家から持ってきた一万円札を手に取る。
そうして、お札を渡そうとそうとした時に。
「お兄さん、大丈夫っすよ!」
「えっ?」
もしかして頼まなくても良いのだろうか、指示されたものが何か勘違いをしていて、ここのルールでもあるとか?
「これ、このチケット!」
そうして指さされたのは〝ドリンク引換券〟の文字だった。
「このチケット、ドリンク引換券付いてるんでこの中から好きなの選んでくださいね!」
目の前のお兄さんはそういいながら再度メニュー表を指差しこちらに笑顔を向けていた、それは真っ直ぐで優しい視線を。
確かによく見てみると〝フリードリンク一覧〟と記載もあった、カウンターには〝有料ドリンク〟と書かれた一覧もありその意味が理解できた。
そういえば怖くなって俯いていただけで、しっかりと顔を見るどころか目を合わせてもいなかったと、向けられたその優しそうな笑顔に少しだけ申し訳なくなり、なんとなくでメニュー表を指で指し示す。
「あいよ、ちょっと待っててね!」
そう言って奥に行き、僕のお願いした飲み物を用意してくれている。息つく暇もなく差し出された飲み物に手を伸ばし受け取る。
「楽しんでおいで」
「あ、ありがとう…ございます」
そう言って手を降っていた店員さんの腕からはタトゥーが覗いており、それを見てやっぱり怖い人なのかなと不思議な気持ちになる。
冷え切った飲み物を手に取り、皆が進んでいた後ろへと振り返ると、飛び込んできたその光景に言葉を失う。
先ほどまで、店員さんの声が聞こえないと思っていたのが下を俯いているからなのだと、周りが見えなくなるぐらい緊張しているからなのだと、そう思っていたが違った。
何故気が付かなかったのだろうか。
何故聴こえなかったのだろうか。
何故感じなかったのだろうか。
全身を灼け尽くす様な熱気に所かまわず炸裂する音の爆弾、匂いですらも鼻を突き抜けて脳を刺激してくる。荒れ狂う声は一つに固まり意志を持った様に暴れ狂う。
圧倒される空気に恐ろしくなりながらも、僕の心は掴まれて離れる事を許されなかった。
「はい、君。もう少し前に行ってね」
後ろから誰かに背中を押され、ようやく一気に息を吐き出す。無意識に息をすることも忘れていたらしく深く、自分を戻すように深呼吸する。
そうして踏み出したこの一歩で、確実に僕の世界が変わっていくようで今まで見ていた景色は色褪せていたのかと、聴こえる音はノイズが混じっていたのかと疑いたくなる。
「凄い、なんだ…これ」
そう言わずにはいられなかった。
視線を上げた瞬間に辺りが歓声で埋め尽くされている、その全員が一点を見つめて各々に腕を振り上げて空気をかき回しているようだ。
熱く苦しいとさえ思えてくる光景に、胸の高鳴りはもう抑える事は出来ない。
背筋を伸ばし顔を見上げる、皆が集まる視線の、その中心にいるのがあの柳井さんだった。
「みんなありがとうっ!一曲目”dream maker„でした」
ほんの一瞬かもしれない、まだまだ最初の一曲目の最後の方を聴いただけ。
ただそれだけなのに胸の内に眠っているものが呼び起こされたようで。
「続けていくよ、全員。付いてきな」
低く、腹の底に叩き込む声で答える。
その一言で、たったその一言だけでこの場の熱気はさらに高まる。
歓声に気圧されながらも胸の辺りを強く握り、僕の視線はあの場所を見据える。
そこからの事は正直覚えてなかった。
目の前のすべてが僕の世界を一つ一つ叩き崩していき、完全に壊し尽くしていた。
でもそれが、決して生の音楽だからってわけではない事は理解できていた。
言葉の一つ一つに破壊的な重さがあり、剥き出された僕の心は完全に飲み込まれてしまった。
こんなに時間が勿体ないと感じたことは初めてだった、度重なる刹那の瞬間が永遠に続けばいいのにと切望したことでさえも。
演奏中は照明が落ち演奏している人たちに対してのみライトは当たり続けていたが、照明が変わり周囲は明るく全体がよく見えるようになっていた。
「今日は本当にありがとう」
先ほどまでの興奮は冷めやらぬままとはいえ、誰もが固唾を呑むように見つめる。辺りの雰囲気では、恐らくそろそろ終わりなのだろう。
「今日はいつもより気合入ってたけど、さ。ついてこれたかな」
その言葉に全員が呼応するように叫ぶ。
「ありがとう、今から歌うのは最後の曲になるけど私たちの想いを、魂を乗せて歌うから。最後までしっかりと付いてきてほしい」
今、一瞬目が合ったような気がした。
あまりの興奮に気のせいだとは思うが、思わず視線を反らしてしまう。
ここまで興奮している姿は、少しだけ恥ずかしく思えてしまう。
「じゃあ、聴いてください……“LIFE„」
力強く地を這うような重たい音が会場を包んでいき、周囲は先程までのように薄暗くなっていく。
最後の瞬間を迎えようとこの場にいる全員が一体感を生み出そうとしているのが伝わる、ほんの少しだけでもその中に入りたい。
意識が溶け込んだようで境目がなくなってきた頃、飛び込んできた言葉。再び引き離されたように、周囲の音が消え歌詞だけが突き刺さる。
【誰に言われたこの人生/つまらないんだって/叫んだって/届かない】
それはまるで。
【一人なんだって/誰もいないんだって/”つまらないんだって„】
僕の歌にも聴こえてきて。
【でもそれってさ/お前にいわれるもんじゃないからさ】
勘違いかもしれないけど。
【関係ないんだって/叫びたくて/壊したくて/笑い飛ばしたくって】
そう感じずにはいられなく。
【今までの人生を/これからの人生を/自分で決める】
言葉にならない声が、叫びが。抑えきれずに溢れ出て、それは同時に大粒の雫を落としていく。
【誰になんと言われようと/つまらない人生じゃないって/胸を張って】
涙として出た感情は全身を洗い流していく。
今日ここに来れて良かった、この瞬間に出会えてよかった。何がと言われたら今はまだ言葉にはできない。けど、確実に何かが変わった気がする。
明日からの日々が全く違うものになるんだという、根拠のない自信が芽生えていた。
そうして最後の曲が終わり、いつの間にかアンコールも終えていた。人生初めて全身で感じた音楽は、熱く煮え燃えた感情だけを、この胸に残火の様に灯し残していく。
冷めやまぬライブハウスを後に、朧げな視界をこすりながら入ってきた階段を上っていく。明日はスーパーに行ってこの抱いた想いを伝えに行かないと、色々と言いたい事がある。
でも、この行場のなくしそうな感情は一体何処へ向ければいいのだろうか。抱いたまま本気で打ち込めるほどの何かには出逢えるのだろうか。
確かに人生が変わるほどの衝撃を受けた、その証拠に先ほど入ってきた外の景観は色鮮やかに輝いて見える、周りの会話でさえ音楽のように心地よく胸に響き渡る。
すると突然、後ろから肩を強めに叩かれて声をかけられる。聞き覚えのある声に思わず振り返ると、見知った人物がそこにはいた。
「秋雨君だよね……やっぱり」
「え?、佐山さんだよね」
目の前にいるのは同じクラスの佐山小春で、今でもはっきりと覚えている。『なんかつまらない事ばっかり言うよね』、と昔に言ってきたその人だ。少し気になっていた女子なだけに、あの言葉にはひどく落ち込んだもので今でも忘れられずにいる。
その佐山さんが何故ここにいるのかと思うが、その向けられた表情に向こうも同じ考えなのだろう。
「こんなところでびっくりしたよ。ライブ中、隣に見知った顔がいてまさかとは思ったけど」
「そ、そうなんだ。全然気が付かなかったよ」
どうして声を掛けられたのか不思議に思うが、佐山さんはあの日の事は気にもとめていないのだろうか。
僕は思い出したかのように慌てて顔を逸らし、流していた涙を拭いながら不機嫌を浮かべてしまいそうな表情を整える。
「やっぱり、凄い泣いてたよね?」
「あっ、いや……これは」
佐山さんは関係ないかのように、こちらを覗き込みながら会話を続けてくる。
「そんなにBREAK Gardenが好きなのっ!?」
「いや、実は…」
さらに覗き込むその表情に輝く瞳は、あの日の記憶が塗り重ねられる程に可愛い。
いや、違うと必死に自分へ言い聞かせる。今はそうじゃない、昔に言われたことを忘れたかと。
「今日が初めてで」
「うっそ……」
僕の言葉に驚嘆の表情へと切り替わる。
「じゃあ何でBREAK Gardenにしたの?」
「それは…「もしかしてここによく来るとか、音楽が好きで特にバンドが好きとか、SNSで見つけて実際に来たとか?」
あまりに矢継ぎ早に飛んでくる勢いの質問に僕は、今日スーパーで起こった出来事を全て話す。
「なにそのスーパー……神じゃん!!」
佐山さんは学校ではいつも明るく周囲からの評判も高かった。この天真爛漫な性格もそうだが、物怖じしない態度にはっきりとした物言いは本来なら反感を買いそうだが、身にまとう雰囲気がそう感じさせずにいた。
短く少し明るい茶色のショートボブとも言える髪を揺らしながら、声高らかに叫んでいた。
見せられた僕はただただ圧倒されるしかない、柳井さんとはその違ったその迫力で。
「いや、逆にファンだからこそそこに踏み込むのは失礼にあたる……そうよ、ここは我慢よ小春」
「あ、あの……?」
「でっ、初めての感想があの涙!?」
矢張り前に僕に言った言葉を忘れているのだろうか、逆なら気まずくてここまで話せないとは思う。思い返せばあの言葉以降、学校の中でも外でも二人で話した記憶は皆無だった。
「ねぇ、ねぇ、ねぇ。どうなのよ」
「えーと…控えめに言って人生変えられました」
「…なにそれ」
また切り替わった表情と声に、何か気に障ってしまったのだろうかと今度は不安になる。
でもそれは杞憂だったらしい。
「いいじゃん秋雨君!分るよそれ、私もそうだったから!!」
そうして僕の肩を勢いよく何度も叩いてくる、あの日の言葉がその度に薄れていくような気がするが、その笑顔を見るとそれでも良いなと思えてくる。
周りの目も気にせずにライブハウスの近くで流れるように僕たちは、今日の感動を共有しあった。佐山さんがBREAK Gardenに出会う事になったきっかけや、今までに感動したことの数々を。
気が付けば辺りからは人気もなくなり、スマホの時刻も10:00を表示させようとしていた。
「やっば、そろそろ帰らなきゃ」
「もうこんな時間なんだ」
「そうだ。帰る前に…はいこれ」
そうして手渡されたのは一枚のCDだった。
「これは?」
「手持ちにはこれしかないけど、BREAK Garden初心者の秋雨に貸してあげる」
表には確かにBREAK Gardenの文字が書かれており、裏面を返してみると今日聞いた覚えのある楽曲リストが並べられていた。
急に借りられないとCDを返すために顔を上げるが、すでに近くにはいなかった。
「これでもっと好きになってねー!!」
「いや、さすがに」
「あとごめんね、前に秋雨のことつまらないなんて言って!!」
覚えていたのか。
その言葉を飲み込みながら預かったCDを握りしめ、再び落とした視線の先には〝LIFE〟の文字が見えていた。
僕はそれを大事に鞄の中へと仕舞い、佐山さんとは反対の方へと向かって歩き出す。
歩き始めた帰り道は重暗い静けさが辺りを呑み込み、誰かが歌っているわけでもイヤフォンで音楽を聴いているわけでもないのに頭の中では先程までの曲が、あの熱量のまま再生され続けていた。
たった一度聴いただけの音楽がひたすらに繰り返され、僕の中を掻き乱し離れずにいる。
それは燃料のように心の中へと焚べられ足を動かす原動力となり、疲れ切った体を忘れさせ地面を強く踏みしきる。体は風を切り、景色の移ろいは激しさを増していく。
「誰に言われたこの人生っ」
突き動かす燃料は体を動かすだけじゃ飽き足らず、喉の奥から絞り出すような声はうろ覚えながらも、拙いながらも思い出せる限りの歌を紡ぐ。
「つまらないんだってぇっ!!」
全てを吐き出さずにはいられなかった。
感じてきた焦りや劣等感、不満や嫌悪感を全部。
声が枯れて喉が灼けても構わない。
これは僕だけの感情で僕だけの人生だ、何も気にすることなかったんだって言われてる気がした。
唸る声と共に気持ちが少しだけ晴れていく。
唯一照らす月明かりがまるでスポットライトのようで、まるで物語の主人公になったような気分となり歌が彩りを与える。
【晴れやかな気持ちは月明かりに焦げ/この日初めて受けた生は産声と共に空に消える/唸る咆哮と共に反旗を翻す】
急に頭の中で浮かんだこのフレーズは、思わず口に出してみたが途端に恥ずかしさに襲われる。道中で少し気が大きくなり、まるで自分が歌を生み出したようで。
それから家に帰るまでは、陽気な鼻歌だけで心を躍らせながら歩んでいく。
翌朝ー。
いつも以上に良く寝れた気がする。
頭の中に心地の良い風が吹き通るようで全身を軽やかにしてくれている、少し現実味のないこの感覚は昨日の出来事が嘘だったようにも思わせてくる。
でもそれは違うと視界に映るそれが、自室の机の上に置かれ鞄の中からはみ出していた一枚のCDが全てを物語り本当の出来事なんだって。
一晩経った今でもあの興奮は忘れさせないかの様で、手に取ったCDは熱を帯びているかのように胸の内を燻らせてくる。
また僕は、考えるよりも先に動いていた。
いつものように誰もいない家を飛び出し、僕は着の身着のままで走り向かう。迷惑かもしれないと思っても、身体は動かずにいられなかった。
そうして僕は、再びあのスーパーへと訪れる。朝方とはいえ夏の暑さは目を覚ましているようで、到着して気がつけば滝のような汗を流していた。
見渡してみるがお店が空いてる気配もなく、手に持つスマホで調べてみるとどうやら、開店時間にはまだまだ届いていなかった。焦る気持ちを表したかのように姿は寝間着のままで、途端に恥ずかしくなり誰にも見つからないように一旦家に帰ろうと身を翻すと。
「あらぁ、なつきちゃんじゃないの」
背後から野太い声で呼ばれ、その声は忘れもしないものだった。
「て、店長さん」
「んもぉう、つれないんだから〜。マ・リ・ンって呼んでね?」
そう言いながら店長さんはまたもや突き刺さる様なウィンクを決めてきた、これが佐山さんなら良かったのにと思わずにいられない。
とはいえ、ここに来て前回は和やかに終わったが、門前払いされる事も覚悟はしていた。
なので僕は、このやり取りを凄く嬉しいと感じる。
「あら、すごく可愛い格好ね熊ちゃんだなんて」
「これは、すいません…何も考えずにここに」
「もしかして昨日のライブのこと?」
「はい!そうなんです柳井さんに伝えに」
「寂しいこと言うわね〜、お姉さんには興味なし?」
「いや、そういうわけでは」
「冗談よ〜、冗談冗談」
その言葉に少し戸惑いながらも乾いたような笑い方しかできなかったが、店長さんにもチケットの感謝を告げたく深々と頭を下げながら伝えると、照れ臭そうにしながら〝気にしないで〟と。
そのまま僕は、昨日のことを聞かれて興奮のままに口にしていく。会話として成り立ってるかは疑問だが、それでも感じたままに。
「お、店長と…秋雨だっけ?朝早いね」
「柳井さん!」
どうやらかなり話し込んでしまっていたらしく、後から来た柳井さんに声を掛けられた。二人はここで話さずに中で、と言いながら昨日と同じ部屋へと案内してくれていた。
店長さんは開店準備があるからと、暫くは二人しかいないようで気兼ねなく話せていた。
「本っ当に感動しました!上手く言葉に出来ないことが非常に悔しいですが確かに人生変わりました…いや、変えられました!」
「そっか。そう言ってくれて良かったよ」
「はいっ!!」
「てか、ごめん。なんで熊ちゃん?」
「ねぇっ、可愛いわよねぇ~っ」
「起きたばかりで衝動のままに‥‥つい」
戻ってきた店長と共にまじまじと見られ、僕は顔が火照りながらも続けてCDを買いたいことや再びライブに行きたいのでどうしたらチケットを買えるのかなど、初歩的かもしれないが知りたいこと全てを聞いていった。
そうして二人はお店の準備があるからと、邪魔をしては悪いと感じた僕は我に返りながら、申し訳なく最後にもう一度お礼を述べて店を出ていく。
一通り落ち着いて家に帰ろうと、お店を出たところで側の電柱から怪しげな人影がこちらを覗いているのが見えた。だが、何処か見覚えのあるその姿に恐る恐る近づいてみる。
「さ、佐山…さん?」
「秋雨くん!?」
見間違う事なくその姿は佐山さんだった、昨日の話を聞いてからだろうか、そのこちらを覗く姿は完全に不審者にも見えていた。
それに、背中にはギターのようなものを背負ってるようにも見え、確実に柳井さんに会いに来たのだろう。
まじまじとお互いに視線を送り合っていると、目が合った瞬間に勢いよく腕を掴まれて引きずり込まれる。
「よ、よぉーっし。今から私とカラオケでも行こうか秋雨くん!!」
「えっ、ちょ。ええぇぇぇ?」
僕の抵抗も虚しく、力のままに体が振り回されていくが佐山さんにはこの格好が目に入っていないのだろうか。隣を歩くのも恥ずかしいとは思うが、そんな事は横目に無言のまま突き進んでいく。
しばらく歩いてカラオケ店の前に立ち、中へと入っていく。佐山さんは受付を済ましているらしく僕は怯えたように辺りを見渡していた、初めて来た場所だったので少しばかりは楽しみな部分もあったがこんな状況と格好では迎えたくはなかった。
幸いなことは受付が無人だった事ぐらいだ。
「はい行くよ、208号室ね」
そう言いながら階段を上がって奥へと進んでいき、”208„と書かれた部屋の中へと入っていく。
「いやぁーっ、びっくりしたね」
背負っていたギターのような物を降ろし、薄暗い部屋の中にあるソファに腰掛けながら大きな声を上げていた。
思っていたより狭い室内に、心臓が口から吐き出しそうな程に緊張していたがそれが悟られないようにと、恐る恐る机を挟んだ向かいのソファーに同じく腰掛ける。
「てか、その恰好なに。超面白いじゃん」
「これは、昨日のお礼を言いに勢いよく飛び出してしまった結果といいますか」
「嘘じゃん、会いに行ってたの!?会えたの!?」
「その反応はやっぱり、朝一から張り込んでたんですか」
「良いじゃんいいじゃん、だって抑えれなかったんだもん」
そう話す佐山さんは、薄暗がりでも分かるぐらいに照れ臭そうに興味津々で話してきた。
「で、会えてたの?」
「……はい、しっかり会ってきました」
「その格好で?」
「この格好で」
しばらく僕たちは互いを見合ったまま沈黙が流れ、特大の笑い声を響かせていた。ずるいだのせこいだの散々なことを言われていたが、身体が先に動いていたと必死に弁明をしている。
「そんなこんな行動、いちファンとしてアウトでしょう」
「た、確かにそうですね」
思い返すと確かに迷惑だったのかもしれない、でももう気軽に会いには行かないだろう。そこまでの関係性でもなければ、これからはライブハウスで見ているだけで十分だった。
「だ・か・ら。ファンの私から言い渡します、罰として今から付き合いなさい」
「へっ」
思ってもいなかった言葉に、間の抜けた返事しか返せなかった。確かに連れてこられたのはカラオケで、先ほどの確認をする為だけに呼ばれたとは思っても見なかったが。
「さぁさぁ、歌うぜぇ~」
僕の事は気にもしていないのか、佐山さんはそう言いながら鼻歌交じりに楽しく体を揺らしながら棚に置かれていた端末とマイク二本を手に取り、そのうちの一本を差し出してきた。
渡されたそれを無言のまま手に取り固まっていると、無音だった部屋の中を音が埋め尽くしていく。聞いたことのなかった曲で、"BREAK Garden„かと思ったがどうやら違うらしい。
歌い始めた佐山さんの声は元気なイメージとは裏腹に美しく聴こえ、清流のようでゆっくりと体の中に染み渡っていく。柳井さんとは対照的な歌声ながらも、より一層好きになるには十分に魅力的だった。
そんな心地よさだけを残して歌い終わる。
「ねぇ、なんでずっと固まってるの」
「す、すいません。つい」
「ついってなによ」
「感動しすぎまして、イメージと違って美しい歌声なんだなと」
「イメージって何よ……」
「いや、変な意味ではなく…すいません言葉足らずで」
少し気まずい空気が流れながらも次に歌ってと、不貞腐れたように催促してくる。
僕も、それなりにメジャーな曲しか知らなかったので最近は、どこでもよく聴くもので選曲してみる。まさに今を体現したような青春の一曲らしく、頭に残るメロディーで明るい曲調だ。
「おっ、いい選曲だね私も好きだよ……」
少しでも明るい雰囲気になればとマイクを握り返す。昨日初めて生の音楽に触れたからか、まるで自分がライブハウスで歌っているかのような錯覚を覚えそうになる。マイクから拾われた声がこの曲に乗せられて部屋中を飛び回るようで次第に気分も乗ってくる。
こんな風に誰かに聴かせるように一人で歌うのは初めてだったからどう思われるのかは想像できないが、せっかく連れてきてくれた今日のこの時間をお互いに少しでも楽しめたらなと。
必死に画面に映る歌詞をなぞる様に歌い切り、マイクから口を離す。曲が終わり暫く静かになると、恥ずかしくて佐山さんの顔が見れなくなり俯きながらマイクを机に優しく添える。
「つ、次。佐山さんどうぞ」
反応がなくまた変なことをしてしまったのかと不安になりながら、佐山さんの顔へと向き直る。
そこには思っていたのとは違い、不機嫌そうにしているわけでもなく目線はしっかりとこちらに向き合っていた。
「……佐山さん?」
「……ぱり」
「はい?」
「…やっぱりじゃん」
「え、僕なんかしましたか」
「やっぱり”そんなものを„持っているのに、なんであの時つまらなそうに!」
その言葉に、過去に言われた記憶が掘り返されていた。ある日の授業終わり、廊下ですれ違いそうになった時に。
「またなんでつまらないって」
「違う違う違う、そうじゃなくて。ごめんさい」
「どうせつまらないですよ、僕は…」
「だから違うんだって!」
突然佐山さんは身を乗り出し、両手で僕の頬を掴んできた。あまりの出来事に思考が止まり、視界が佐山さんで埋め尽くされる。今、何されてるんだっけ。
「やっぱり秋雨くんいい声持ってんじゃん!それだけじゃなくてさ、何て言っていいのか心の奥底から叫びだしたような。気持ちの込もった歌ってこういう事なんだって、それで…それでそれで「すいませんっ、佐山さんこれ以上は…色々限界です!!」
そう伝えるだけで本当に限界だった。
至近距離でかつ何故か僕の顔を包み込みながら、連ねる誉め言葉。
顔が燃えるように熱くなり張り裂けそうな心臓を必死に抑え込むが、もう限界だった。
「あ、ごめん……つい。」
そう言いながら手を離し、元の席に申し訳なさそうに戻りながらも気まずい沈黙が流れる。
「あ、あのさ‥‥前に言ったこと謝ったよね。〝つまらない〟って言ったことなんだけど」
そうして話すのは佐山さんが昔に言ったことの理由だった。それは、その言葉を告げられた日のもう少し過去まで遡り、高校1年生の時にクラスの文化祭で予定していた合唱の練習をしている時らしい。
クラスで練習をしていた際に僕の歌声が聞こえたことが何度かあったようで、その時に凄くいい声で心に響くと密かに感銘を受けていたらしい。
だが、そこから時が経つにつれ僕はつまらなそうに学校生活を送っていることや合唱の練習も適度にサボっているところを見て、つい憤ってしまい出た言葉なんだと。
「正直、今の歌声はあの時以上の感動だったよ」
そう言いながら佐山さんは白い腕を僕に見せてきた、言われた通りでそこには鳥肌が立っており嘘を言っているようにも思えなかった。
「そうだったんだ、ごめん。知らなかったよ」
「いいよいいよ、こっちこそごめん。勝手に決めつけて、勝手に言いたいことだけ言っちゃって」
「いや、正直間違ってないですよ」
「そんなわけ…」
続くその言葉を遮るようにして僕は返す、言われた通りでずっとつまらない人生を送っていた。いや、これからも送ることになっていたと。
そして、そんな僕を変えてくれたのが昨日のライブで柳井さんが届けた歌だったと。
「初めて全身に血が通った気がしました、歌詞の一つ一つが染み渡っていくようで」
「…それは、私にも分かる気がするな」
「な、なんか変な感じになっちゃいましたね。せっかく来たんでまだまだ歌いましょうよ」
そう言いながら僕は、端末を手に取り再び選曲を始めていく。次も最近はどこでも耳にするアップテンポで有名な曲を選んだ。
そうして選んだ曲も良かったのか歌い終わると先程よりも大きな拍手が響き渡る。そうなると、思っていたがそうではなかった。
歌い終わると急に佐山さんは無言のまま何かを取り出すようで、ずっと背負っていた鞄から取り出していたのは先程から気になっていたギターだった。
ギターの種類はそんなに知らないが、紅く仕上げられているそれは佐山さんの情熱を形作ったようで、立ち上がったその姿はとても様になっていた。
「さ、佐山さん?」
「この曲知ってるんだね」
そう言いながらギターを傍にあった機械にコードで繋ぎ三角形の板のような物を取り出し指で握りながら何度か音を鳴らし何かを準備し始めていく。少しだけ、柳井さんの姿と重ねながら。
「ねぇ、さっきの曲もう一回歌ってね」
「さっきのって、もう一回入れるの?」
「待って、そのまま…」
そうして構えたギターへと腕を振り下ろす。
部屋中に放たれる音は先程までとは違い激しく、腹の奥底で響き反響するようだった。
それはよく聴く音…いや、曲として流れてくる。
僕は突き動かされるように同じく立ち上がり、再びマイクを握り直す。佐山さんが生み出す音に声を乗せていき、混ざり合うそれは一つの曲となってこの空間を埋め尽くす。
同じ事を考えてくれているのか、佐山さんの表情からは笑みが溢れているようにも見え心臓が締め付けられたように苦しくなる。
ほんの数分のこの時間が、永遠に感じられ二人だけの音で全身が満たされていく。
歌いきった僕は肩で息をし下に俯く。
芯から震えるほどの感動。でも、それ以上の不満や後悔が後から覆いかぶさり言葉が出なくなる。
「ふふっ…」
でも、佐山さんは違っていた。
ギターを抱えたまま僕の歌声以上に高らかと笑い声を上げている、涼しい部屋の中に居ながらも額から一筋の雫を垂らしながら。
「すごいね良いね、想像以上だったよ」
「そ、そうだよね……でもさ」
「足りないんでしょ?」
「えっ?」
足りない。
その一言は僕の心を燻らせる。
「何がって言えないけど確かに足りない」
「それが何なのか私には分かるよ」
先ほどは一体感があると錯覚していたが、冷静になった今思い返すと、昨晩のBREAK Gardenが魅せたものに比べると何もかもが足りてない。
雰囲気だけで良く見えていただけなんだろうか、でもそれは当たり前のことではある。
それでもこの、煮え張ってきたマグマのような感情は吹き出す出口を探し始めてしまっている。
「これも何かの縁だと思うんだ、私」
僕は顔を、視線を見合わせる。
「私と一緒に、音楽を作ろうよ」
ご完読、誠にありがとうございます。
すみません、文字数多すぎましたね。
気合が入りすぎましたが、最後まで読んでいただけたのなら本当にありがとうございます。
ぜひ次回もお楽しみに。これからも応援よろしくお願いいたします。また次話でお会いしましょう(*´∇`*)




