451 美味しさの先にあるもの
ルノアは、完成したばかりの桃クリームゼリーを前に、期待に胸を膨らませていた。
白い魔牛の乳と桃の絞り汁を使い、料理長と何度も試作を重ねて完成させた新しいお菓子だ。
これまで販売している桃花クリームゼリーとは違い、今回は少し固めに仕上げ、ひと口で食べられる大きさにしてある。容器に入れて持ち運びやすく、子どもでも一つから購入できる。冒険者たちにも、出先で手軽に食べられる品として喜ばれるはずだった。
味も食感も満足できる仕上がりになり、製造方法や販売価格も決めてある。あとは商品として売り出すだけだった。
ところが、父のラルフから思いがけない言葉が返ってきた。
「ルノア、この商品の発売は延期しよう」
「えっ……。何か問題があったのでしょうか?」
ルノアは驚いて父を見つめた。
「商品そのものに問題はないよ。味もいいし、価格も手頃だと思う。ただ、販売する前に、もう少し考えておきたいことがあるんだ」
「考えておきたいこと、ですか?」
「そうだね。ルノアは、このゼリーが一日に何個売れると思う?」
「それは……。まだ、はっきりとは分かりません。でも、子どもや冒険者の方には喜んでいただけると思います」
「では、どうしてそう思うのかな?」
「ひと口で食べられますし、持ち運びもできます。これまでの桃花クリームゼリーとは違って、外出先でも気軽に食べられるからです」
「なるほど。商品の特徴はよく分かっているね。では、どのくらいの人が、それを必要としていると思う?」
ルノアは答えに詰まった。
便利で美味しいものなら喜んでもらえる。そう考えていたが、実際にどれだけの人が購入するのかまでは調べていなかった。
「まずは、今まで販売してきたお菓子の記録を確認してみよう。どんな人が購入しているのか、どのくらい売れているのかも調べる必要があるね」
「桃花クリームゼリーの販売記録も参考になりますか?」
「もちろん。ただし、同じ桃を使っていても、商品が違えば購入する者も変わる。桃花クリームゼリーは、見た目や味を楽しんでもらう限定商品だね。
一方、このゼリーは手軽さが特徴だ。購入する目的も違うだろう?」
「はい。桃花クリームゼリーは、お菓子を楽しむために買ってくださる方が多いと思います。
でも、こちらは仕事や移動の途中でも食べられます」
「そうだね。冒険者や旅人だけでなく、働く人や子どもたちにも需要があるかもしれない」
ラルフは試作品を手に取った。
「実は私は、この商品はかなり売れると思っているんだ」
「本当ですか?」
「うん。今、市場で売られている携帯用のお菓子を知っているかな?」
「はい。何度か見たことがあります」
「あの商品は値段が高いわりに、味もあまりよくない。持ち運びやすさを優先しているのだろうけれど、食べる楽しみまでは考えられていない」
「そうなのですね」
「そこへ、手頃な価格で、美味しく、ひと口で食べられる商品が登場したらどうなると思う?」
「今までのお菓子に満足していなかった方も、買ってくださるかもしれません」
「そのとおりだよ。今まで別の商品を買っていた人たちまで、こちらを選ぶ可能性がある。
そうなると、ルノアが考えている以上に注文が集まるかもしれないね」
ルノアは、少し驚いた表情で試作品を見つめた。
「そんなにたくさん売れるのでしょうか?」
「私は、その可能性が高いと考えているよ。
だからこそ、販売数を予測しないまま売り出すわけにはいかないんだ」
「でも、予約制にすれば、作る数を決められるのではありませんか?」
「予約制は一つの方法だね。ただ、予約を受ける数そのものを、何を基準に決めるのかな?」
ルノアは考え込んだ。
「桃の収穫量から、作れる数を計算するのではないでしょうか」
「それも必要だよ。では、作れる数が分かれば、それだけ予約を受けてもいいのかな?」
「……いいえ。材料をすべて使い切ってしまうと、ほかの商品を作れなくなります」
「よく気づいたね」
ラルフは優しく頷いた。
「タスワンズ湖の桃は、妖精様と精霊様との約束を守って収穫している。
人族が収穫できる量には限りがあるね。
今ある桃をすべてこのゼリーに使ってしまえば、桃花クリームゼリーや、ほかの商品に必要な分まで足りなくなるかもしれない」
「そうですね。商品ごとに必要な桃の量を考えなければいけません」
「それに、桃は毎年同じ量を収穫できるとは限らない。これから先も同じ商品を販売したいのなら、今年の収穫量だけでなく、来年以降の供給についても考えておく必要がある」
「では、収穫量と使用量を記録して、どの商品にどれだけ使ったのかを把握するのですね」
「そうだ。さらに、売れた数だけでなく、購入できなかった人がどれくらいいたのかも調べるといい。
商品が売り切れたからといって、それが本当に適切な生産数だったとは限らないからね」
「売り切れた数だけでは、どれだけ欲しい人がいたのか分からないのですね」
「そのとおり。反対に、作りすぎれば材料も人手も無駄になる。
少なすぎれば、買いたいと思ってくれたお客様に商品を届けられない。
どちらも商会にとっては大切な問題なんだ」
ルノアは真剣な表情で頷いた。
「もし、買いたい方がたくさんいるのに、桃が足りなくなって販売できなくなったら……」
「お客様は残念に思うだろうね。それが何度も続けば、次の商品を楽しみに待ってもらえなくなるかもしれない。商会への信用にも関わってくるよ」
「せっかく楽しみにしてくださっているのに、それでは申し訳ありません」
「そうだね。だから、商品を売り出す前に、どれだけの需要があるのか、どれだけの材料を確保できるのかを考える必要があるんだ」
ラルフは、ルノアの前に試作品を戻した。
「今回のゼリーは、私も売れると思っている。けれど、売れると分かっているからこそ、きちんと準備をしてから販売したいんだ」
「分かりました。まずは、どんな方が購入するのかを調べて、販売数を予測してみます。
それから、桃の収穫量とほかの商品に使う分も考えて、生産できる数を決めます」
「いい考えだね。それに、販売を始めた後も、予約数や実際に売れた数を確認していくんだよ。最初の予測が正しいとは限らないからね」
「販売してからも、記録を続けるのですね」
「商売は、商品を作って売れば終わりではないんだ。お客様の反応を知り、必要なら生産数や販売方法を見直していく。
そうやって、少しずつ良い商売にしていくんだ」
ルノアは、完成した桃クリームゼリーを見つめた。
美味しいお菓子を作ることと、それを多くの人に届け続けることは違う。
誰が買ってくれるのか。どれだけ必要とされているのか。
材料は足りるのか。そして、約束した商品を確実に届けられるのか。
考えなければならないことは、思っていた以上に多かった。
「お父様、私、まだ商品のことしか考えていませんでした」
「最初はそれでいいんだよ。けれど、ルノアがこれから商会に関わっていく。
商品を作る側だけでなく、商会を運営する側の考え方も身につけてほしい」
「はい。今回のことを、きちんと勉強してみます」
「焦らなくていいよ。自分で考えて、調べて、答えを見つけることが大切だからね」
ラルフは微笑んだ。
今回の商品の発売を止めたのは、商品に問題があったからではない。
桃の収穫量を把握しているラルフには、何も考えずに販売すれば、予想以上の注文が集まり、ほかの商品に回す桃まで不足することが分かっていた。
だが、それを一言で説明して販売数を制限するだけでは、ルノアの学びにはならない。
これから先、ルノアが自分で商品を考え、商会を運営していくためには、需要と供給を見極め、利益だけでなく、お客様との信頼を守ることも覚えなければならなかった。
ラルフは、娘が自分の力でそのことに気づいていく姿を、温かく見守っていた。




