1 マクアリール公爵家ルノア
マクアリール公爵家長女、ルノア・マクアリール十歳は、転生者である。
――といっても、その事実に気がついたのは、ほんの三十分前のことだった。
今、王宮では、第二王子サリド殿下、十二歳と、第三王子ライド殿下、九歳の側近候補や婚約者候補との相性を見るための、お茶会が開かれている。
伯爵位以上の家の子供たちと、その親たちが招かれたお茶会だ。
ルノアも宰相である父とともに、王族の方々へ挨拶をしようとしていた。
「あれ? なんだか、この場面……見たことがある」
そう思った瞬間、頭の中に大量の記憶が流れ込んできた。
――前世の記憶だった。
本当に驚くと、声すら出ないものなのだな。
ルノアは、そんなことを妙に冷静に考えていた。
悲鳴を上げそうになったものの、体に染みついた礼儀作法が、それを許さない。
何事もなかったかのように王族へ挨拶を済ませると、決められた席へ静かに腰を下ろした。
本来のルノアなら、この場で第二王子サリド殿下に番犬のようにつきまとい、他の令嬢たちが殿下と交流することすら許さなかったはずだ。
それが、このゲームに登場する悪役令嬢――ルノア・マクアリールだった。
そして今、自分がそのルノア本人なのである。
「……私、転生したんだ」
ようやく、その事実を現実として受け入れ始める。
前世の名前は、田中祐希。
三十一歳。
恋人いない歴も、三十一年。
仕事から帰宅したのは、実に十八時間ぶりだった。
疲れ切った体を引きずるようにして帰宅し、それでも唯一の楽しみだったWEBゲーム『私の運命の相手は貴方だった』の続きを始めた。
――そこまでは覚えている。
けれど、その後の記憶がない。
「あぁ……。続き、気になるなぁ」
思わず心の中で呟いた。
気になる。
ものすごく気になる。
けれど、もう自分はここにいる。
ゲームの続きを気にしていても、仕方がない。
ルノアは、前世の記憶を少しずつ整理していった。
母は、小学六年生のときに病気で亡くなった。
それからは、父と二人で支え合いながら暮らしてきた。
大学を卒業し、仕事もようやく落ち着いた頃。
これまで苦労をかけてきた父に、少しでも親孝行をしたいと思い、旅行へ誘った。
そこで父から聞かされたのは、自分の余命が残りわずかだという、あまりにも苦しい話だった。
その後のことは、あまり覚えていない。
実家だった田舎の大きな家には、思い出が多すぎた。
父との思い出が詰まった家を見るたびに苦しくなり、結局、親戚の大家族に気持ちばかりの金額で譲ることにした。
その後、都市部へ転職した。
けれど、小さな会社で、人間関係も仕事の環境も、なかなか馴染めなかった。
毎日の残業。
休日出勤。
それが当たり前の生活だった。
それでも、なぜか仕事を辞めることができなかった。
一人で生きていくことにも、少しずつ疲れていった。
最後の頃には、唯一の楽しみだったゲームを朝まで続け、そのまま眠れない日も増えていた。
「……きっと、過労死だったんだろうな」
そう考えると、不思議と納得できた。
前世で唯一の楽しみだったのが、あのゲームだった。
『私の運命の相手は貴方だった』。
何度もプレイして、何度も思った。
――こんな可愛い女の子に生まれ変われたらいいのに。
ゲームの中で少し癖のある悪役令嬢だったとしても、父親から溺愛されているルノアの姿は、羨ましかった。
前世では、もう失ってしまったものだったからだ。
都市部での生活は、給料も決して多くなかった。
それでも、将来への不安から貯金だけはしていた。
だから、ゲームに好きなだけ課金することもできなかった。
それでも、ゲーム内で時々手に入るレアアイテムには、いつも胸が躍った。
「……せっかく転生したんだもの」
ルノアは、小さく笑った。
前世でできなかったことを、今度は思う存分やってみよう。
ゲームの中でしか見られなかったレアアイテムを、自分の手で探してみたい。
実際に手に取って、触れて、眺めて――。
そして、思う存分ニヤニヤしてやろう。
そう考えると、なんだか急に気持ちが軽くなった。
「うん。もう、いいや」
前世のことを、いつまでも引きずっていても仕方がない。
せっかく、もう一度人生をやり直せるのだ。
今度こそ、自分がやりたいことをやろう。
ルノアはそう決めると、目の前に広がるお茶会の光景を、改めて見渡した。




