第43話 ジレッタさん、かっこいいです!
帝都の最西端、打ち捨てられて久しい製粉所。その巨大な水車が、凍てついた川の流れを恨めしげに受け止めながら、断末魔のような悲鳴を上げて軋んでいた。
かつての活気は微塵もなく、風に舞うのは小麦粉の残り香などではない。鼻腔を突くのは湿った鉄錆の匂いと、地下の深淵から這い出し、空気を汚染する腐敗した魔力の異臭であった。
「……鼠が紛れ込んだようだな。それも、死に急いだ質の悪い奴らだ」
石造りの倉庫内、松明の炎が不規則に揺れる闇の向こうから、冷徹な声と共に武装した男たちが次々と姿を現した。彼らはハンター協会に籍を置かぬ『非公式』のハンターからなる傭兵たち。大商人ネイスの財力によって買い叩かれ、公にはできない汚濁を一身に引き受ける私兵集団である。
その傍らには、死神の法衣の切れ端から産み落とされたような、実体のない影だけの悪魔たちが、ゆらゆらと陽炎のように蠢いていた。
「リアム、ルナ! 下がってて、ここは私が道を切り拓くわ!」
ジレッタが凛烈たる声で吠えた。契約悪魔のアヌビスがジレッタに魔力強化を施し、彼女の手には、名工バラムが心魂を込めて打ち直した新たな相棒――魔剣が握られている。白銀の刀身が松明の火を反射し、凍てつく闇を切り裂くような鋭利な輝きを放った。
「抜かせ、小娘がぁ!」
先陣を切った大男が、身の丈ほどもある巨大な戦斧を振り上げ、自重に任せて振り下ろした。石床を粉砕し、火花を散らす凄絶な一撃。だが、その破壊が届くよりも早く、ジレッタは音もなくその懐へと滑り込んでいた。
「遅いわ!」
一閃。白銀の軌跡が真空を裂き、戦斧の硬質な柄ごと男の重厚な胸甲を易々と両断した。かつて『赤き死神』と恐れられた二つ名の由来――絶命の間際に吹き出す鮮血を浴びる間もなく、彼女は流れるような歩法で次なる標的、影の悪魔たちへと突進する。
「ギギィッ!」
悪魔たちが歪な爪を突き出し、四方から同時に襲いかかる。ジレッタは魔剣を水平に一回転させると、刀身に凝縮された魔力を一気に解放した。
「銀閃・円舞!」
まばゆい極光が爆ぜ、影の悪魔たちが絶叫と共に霧散していく。その剣筋は、以前の彼女からは想像もつかないほど鋭く、そして岩をも断つ洗練された重みを帯びていた。それは、歴戦の猛者たる老執事バビロの背中を追うことで得た、静かなる力の証明であった。
「……ジレッタさん、以前よりもずっと重心が安定しているな。バラムの魔剣を、完全に我が物としている」
「ジレッタさん、かっこいいです……!」
「ああ、そうだね。今の彼女は、本当にかっこいいよ」
後方でルナを庇護しながら戦況を見守るリアムが、感心したように呟いた。彼は迫りくる傭兵や悪魔を、抜刀すら必要とせぬ無造作な動作で、鞘のまま次々と吹き飛ばしていく。
ジレッタの奮戦により、十数名の傭兵と悪魔の群れは、瞬く間に沈黙を強いられた。
だが、安堵の間もなく、倉庫の最奥にある重厚な鉄扉が、不気味な軋みを立てて内側から蹴り破られた。
「ヒャハハハ! ゴミ掃除にしては骨があるじゃねえか、ええ!?」
噴き上がる砂煙の中から姿を現したのは、ボロボロのフードを目深に被った痩躯の男。その背後には、金色の装飾が禍々しく施された巨大な盾を持つ悪魔――契約悪魔『エルドラ』が、空間を歪ませるほどの重圧を放ちながら控えている。
「その格好……あんた、行方不明になっていたハンター、ジャックね?」
ジレッタが剣を構え直す。ジャックからは以前の落ち着きなど微塵も感じられず、狂気に塗り潰された笑い声を上げながら、腰から一振りの異様な剣を抜き放った。その刀身は金属ではなく、血の気の失せた『乳白色の骨』で形成されており、その芯を禍々しい紫の奔流が脈打つように流れている。
「ネイス様から頂いた、この『聖骨の魔剣』の味を教えてやるよ。それと……こいつもな!」
ジャックは懐から赤黒い液体が揺れる小瓶を取り出すと、一気に喉へ煽った。
刹那、彼の全身の血管が醜く浮き上がり、魔力が爆発的に膨れ上がった。その圧は、ランク千二百四十五位という凡庸な数字を遥かに凌駕し、特級下位悪魔に匹敵する極限の状態へと彼を無理やり押し上げていく。
「アハハ! 力が……力が溢れてくるぞ! これが『純血の雫』か! これなら、世界だって斬り裂けそうだぜ!」
ジャックの瞳は飢えた獣のように爛々と輝き、全能感という名の毒に酔いしれている。
「……骨の魔剣に、未知の薬だと? なんという忌まわしい力だ……」
リアムが、過去の百年戦争の記憶にさえ存在しないその歪な魔圧に、眉根を寄せた。
彼の鋭敏な直感が警鐘を鳴らしている。あの力は、この世の理を弄ぶ、あってはならない冒涜の産物であると。
「ジレッタさん、下がってください。奴は既に人ではありません。その薬で精神と魔力回路を暴走させている。ここは俺が……」
「いいえ、リアム! ここは私に行かせて!」
ジレッタが制止を振り切り、半歩前に出た。その瞳には、かつてないほど熾烈な『正義の焔』が灯っている。
「私は名誉のために戦うんじゃない。……この剣と、剣を打ち直してくれた人の想い、そして、この狂った武器の材料にされた少女たちの無念……全部、私が背負ってこいつを斬るわ。修行の成果、ここで見せなきゃ女が廃るわよ!」
「……分かりました。信じます。ジレッタさんの剣を」
リアムが静かに身を引くと同時に、ジャックが爆発的な踏み込みで地面を蹴った。人知を超えた速度。骨の魔剣が空を裂き、ジレッタの首筋を正確に狙って飛来する。
「死ねぇ!」
「させるかぁぁ!」
激突。白銀の鋼と禍々しい骨が正面から交差し、凄まじい衝撃波が製粉所の天井を紙細工のように吹き飛ばした。
薬による異常な『膂力』で強引に押し込むジャック。だが、ジレッタは一歩も引かない。彼女の足元、石床がミシミシと悲鳴を上げて砕けるが、その剣先は一点の曇りもなく、微動だにしなかった。
「何だぁ!? この俺の力に、女ごときが競り勝つっていうのかよぉ!」
「女ごときじゃないわ……! 私は、赤き死神……いいえ。銀鱗の……ジレッタよ!」
ジレッタの脳裏に、かつて『銀鱗の処刑人』として名を馳せた老執事バビロの姿が過る。彼が背負った深き哀しみ、数度の打ち合いで肌に感じた圧倒的な強さと、その奥底にある海のように広大な慈しみ。それはジレッタが理想とする、真に守るための強さそのものであった。
だからこそ、彼女は自ら『銀鱗』を名乗った。誇り高き戦士の名を継ぐ覚悟を、その魂に刻み込みながら。
ジレッタは魔剣を軸に、ジャックの狂った力を柔らかな円の動きで受け流すと、一気に死角へと踏み込んだ。
「銀龍・一閃!」
それは早朝、一度だけ許されたバビロとの訓練の中で見出した、彼女独自の極大出力による絶技。
純白の閃光がジャックを飲み込み、彼が纏っていた狂乱の魔力を真っ向から打ち砕いた。異形の骨剣は粉々に砕け散り、ジャックは糸の切れた人形のように、後方の壁へと叩きつけられる。
静寂が訪れる。
ジレッタは荒い呼吸を整えながら、白銀の魔剣をゆっくりと鞘に収めた。その指先は限界を超えた負荷に微かに震えていたが、その表情には、一本の筋の通った確かな達成感が宿っていた。
「……見事です、ジレッタさん」
リアムの賞賛が、崩壊した製粉所に静かに響く。だが、彼らの戦いは未だ端緒に就いたばかりだ。
崩落した壁の向こう側、地下へと続く深い闇の階段。そこからは、未だ囚われている少女たちの咽び泣く声と、そして――この惨劇を招いた真の元凶の、凍りつくような視線が向けられている気がしてならなかった。
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