奇跡
学部間で共通の講義の場合は、大講堂で数百人規模になることも珍しくは無い。そうなると、話は退屈で後ろのほうの席では居眠りが始まる。
「中学校や高校ではタブレットが当たり前の時代に、板書ってありなのか?」
大学ってところは、研究こそ最先端であっても、それ以外の設備は旧態依然のままで、まったく進歩が無い。こんなことで、最先端の学問が学べるのだろうか?
「書物は進み具合が紙の厚さでわかるから、どこに何が書いてあったか思い出し易い。」
と、いう人もいるが、令和生まれの僕らはすでにタブレット脳だ。ぼくらにとっては、欲しい情報がどこにあるかが重要ではなく、どうたどり着いたかという方法が重要なのだ。僕らは言葉の意味を理解しているのではなく、意味を調べる方法を知っているだけだ。昔は辞書を丸暗記したものがえらいとされた。今はネットという辞書をすばやく引けるものが優秀なのだ。もっともそこに書かれていることの正確性も判断する眼力は必要となる。千個のゴミと百個の嘘のなかに一つしか真実はないのだから。
お経のような単調な講師の声を聞きながらうとうとしていると、背中を後ろからつついてくるやつがいる。
「よくいるんだよな。飽きると、こういういたずらをするやつ。」
僕は、しばらく無視していた。
トントン、トントン
感覚が速くなってくる。
ドンドン
拳で打ってきた。
よく考えろ。ここで、怒鳴ったら教師だったって、よくあるストーリだよな。でも、大学だからそれはないか。僕はゆっくりと脇の間から後ろを見た。黒い髪の長い女の子が見える。春らしい薄いピンクの服が見えた。
「なに?この子。かかわらないほうがいいかも。」
「大事なとこだからな。もう一回言うぞ。よく聞いておけ。テストに出すぞ。」
講師の声が遥か前から聞こえた。ぼくはあわてて、黒板を目で追った。それから、後ろの子に
「何か用?」
と、尋ねた。
「講義、大事なとこだったからな。」
そう、低くおしころした小さな声が僕の耳に届いた。化粧っ気のない顔、無理に出す低い声。ん~、どこかなつかしい。でも、こんな美人に知り合いはいない。
「あ、ありがとう。やさしいんだね。」
僕はすなおに礼を告げた。
「いや、僕は別に・・・。」
彼女の発した言葉を聞いて、叫びそうになった僕の口を彼女が両手で塞ぐ
「騒ぐな、静かにしろ。」
僕はあまりのことに驚いたが、離してくれるようにと、彼女の手を軽く叩いて意思表示をした。
「今日の講義はここまで。」