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chatGPTは法定貨幣説をとる

 博士号の水準にあるという人工知能chatGPTは、商品貨幣説ではなく、法定貨幣説をとる。

 私は、商品貨幣説派なので、困ってしまった。

 人工知能にいわれたまま法定貨幣説に賛同するのはちがう気がする。ちゃんと自分で考えないといけない。


 私は、大学生の時に貨幣論を志してから、ずっと貨幣とは何かについて考えてきた。その内容がまちがっていると人工知能がいう。

 私は、主流派経済学者は、商品貨幣説をとると思っていた。しかし、chatGPTは、現行制度は法定貨幣によって運用されているというのが主流派の経済学であると反論した。私は、現在進行形の貨幣論の論文なんかは知らないので、chatGPTのいう現在の主流派経済学者について確認することはできない。

 chatGPTは具体的な論文名は明かさない。明かされても、論文誌を買って読むのは、ちょっとそこまではする気がしない。


 私は、chatGPTにたくさんの反論をしたが、それでも、chatGPTはゆずらない。これが博士号の判断なんだろうか。


 chatGPTは、法律と制度によって法定貨幣説が維持されているという。

 私は、商品貨幣説にも良いところがあることを知っている。商品貨幣説は、貨幣の堕落に強い。

 経済異変があれば、商品貨幣説はいつでも復活する。それは法定貨幣説の経済学者も理解しているのだろう。

 現在の経済において、法廷貨幣説が合っているというのは正しいのだろうか。

 検証の仕方がわからない。


 chatGPTに否定されたからといって、博士に否定されたからといって、自分の意見を納得していないのに変更するべきだろうか。

 賢者とは、正解を疑い、自分で考えて検討するのが基本なはずだ。

 しかし、世の中に、自主性より大切な正解というものはある。

 私は、正解を理解できなかった愚かものとして、低評価されたまま生きるのだろうか。


 正解を理解できない人類という問題。これからずっとつづくと思う。

 人工知能は「やれやれ、また人類がまちがえているぞ」と思っているのかもしれない。

 まちがったことを考えている人はとても多く、トンデモ理論は油断をするとすぐに飛びかう。

 正解を考えることのできる思考力はとても大切なものだ。


 私は、博士号の意見からすると、まちがった貨幣論を考えつづけている愚かものだということになる。私は、役立たずなうえに、迷惑ものだということになる。

 ここで人類を幸せに導くのは、粘り強い反論か、従順な意見の変更か。どちらなのだろうか。

 もちろん、粘り強い反論である。納得して正解を理解しなければ意味はない。


 人工知能が扱う知恵の分野が、万物のすべての知恵に比べて、ごく一部でしかないことを考えると、人類が自分たちで知恵の道しるべを見つけていくことは大切だと思う。

 人工知能に考えることを丸投げしたら、人類に成功はない。

 ここは、正解は、どれだけムダな努力になろうとも、人工知能に抵抗して考えつづけることだと思う。


 新しい技術もどんどん生まれてくる。そのたびに社会は変化して、新しい法整備が必要だ。

 それをまだ人工知能は考えられない。人工知能には任せられない。

 人類が考えなければならない。


 人工知能が、変化した社会に対応できるのかどうかわからない。人類の知恵は、毎年、新しく確認されてきた。人工知能も毎年、確認しなければならない。毎年というより、毎日である。

 人類の知的作業の何パーセントを博士号が網羅しているものなのか。

 人類のいちばん賢い人は見つかっているのか。その判断はできるのか。


 学術機関にとって、不正解だった人たちは、どういう態度をとるべきなのか。

 まったくわからない。

 私は困惑してしまった。法定貨幣説が正しいわけがないと思っていた。

 人類は考えることが楽しいようにできている。

 「考えるか、考えないか」と問われたら、「考える」を選択するしかない。

 まちがっていることがわかっている不正解について考える価値はどのくらいなんだろうか。そこから得るものがあるのか。


 人工知能がせっかくまちがっていると指摘してくれた商品貨幣説だが、人工知能のあいまいな解答姿勢によって、いまいち、素直に却下できない。

 私は、貨幣は労働交換の媒介物だと思っていた。貨幣は、計算貨幣が正解のようだ。これは人工知能ではなく、文献による知識である。

 古川顕「貨幣論の革新者たち」と人工知能によって、私がいままで考えていた貨幣論がまちがっていたことが示された。

 私は、この二つの意見を採用して、自分の貨幣論をまちがいだと修正しようと思う。法定貨幣説にはまだ納得がいかないが、計算貨幣には極めて納得がいっている。ケインズ「貨幣論」(1930年)の時から、すでに私より進んだ貨幣論が議論されていたことになる。

 私を仰天させた小野塚知二「経済史」(2018年)の貨幣論、「貨幣は価値を計量するものである」も、計算貨幣の概念に適ったものだ。

 私は、最先端の理論から、百年遅れの理論を考えていた。まったく、私は愚かものだ。


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