計算貨幣という概念
古川顕「貨幣論の革新者たち」を読んだ。膨大な経済学書の読書をもとに、文章を引用しながら解説した本だった。
そこに、計算貨幣という概念が出てくる。私はそれまでそのような貨幣論を知らなかった。ケインズの「貨幣論」全五巻に書いてあるらしい。
計算貨幣とは何かというと、価値を計算できる商品が生まれたら、それはすぐに貨幣になるというものだ。金属塊であろうと、牛であろうと、鋳貨であろうと、価値を計算できる商品が生まれたら、人はそれを使って価値を計算し始めるのである。あれは、金属塊のどれだけの量の価値があるとか、あれは牛何頭分の価値があるとか、あれは鋳貨何個分の価値があるとか、計算し始めるのである。
価値を計算したいという人類の欲求はあまりにも強く大きい。そのため、計算貨幣が生まれたら、それはすぐに貨幣の誕生となる。物々交換の媒介物という過程を経ない。その経済圏で価値の計量がされ、その価値の計量は不完全かもしれないが、貨幣として取引され始めるのである。
これは、私の「貨幣は、物々交換しやすい商品の在庫管理から生まれた」という説明より普遍性が高い。
私は、これまでの主張を引っ込め、計算貨幣により貨幣が誕生したという貨幣論にのりかえたい。そうすれば、物々交換の経済を発見したことがないという人類学者の主張とも合意できる貨幣論になる。
計算貨幣が貨幣だったのだ。
結局、ケインズかよ、という気はするのだが、結局、ケインズだった。ケインズの「貨幣論」は私は未読である。
古川顕の「貨幣論の革新者たち」は、信用が貨幣であることの歴史を論じた本である。信用は計算できるだろうか。銀行は貸出をする時、信用を計算している。その計算は、おそらく、労働力、人件費を計算しているのである。
計算貨幣が誕生した瞬間から、人はどの労働が計算貨幣どれだけ分の価値があるか計算を始めた。そうして、信用も貨幣になったのである。




