虚構の街【1】
夢を、見た。
鮮血が滴り落ちて、何人もの人々が息絶える夢を。助けようとしても助けられない。
何故なら、それは過去の映像。私が経験した始まりの記憶。心に刻み込まれた一族の悲しみだから――……
「……お。漸く起きたんか?」
呆れたような声が頭上から聞こえ、少女は重い瞼を開けた。目に映し出されたのは、自分を覗き込むように見つめる青年が一人。
「……あれ、もう、朝……?」
「朝やない、昼になろうとしてるわ。随分長ぅ、寝とったなぁ」
寝坊助さん、と少女の額を叩き青年は少女の寝ていたベッドから離れた。
「そう思うんなら、もうちょい早く起こしてくれても良かったのに。私が朝日を見るの楽しみにしてるの知ってるでしょ……」
目を擦り、ベッドから起き上がると少女は青年を軽く睨み付ける。そんな少女の視線を軽く躱すと、青年はテーブルに手際良く料理を並べ始めた。
「そう怒らんと、冷えん内に飯食うてしまってや。今日は外に出てええから。な?」
青年の言葉に少女は目を輝かせ、勢い良くベッドから飛び降りた。その様子から喜んでいるのが良く分かる。
「ほんと!? ほんとに外出ていいの!?」
「ええよ。けど、二刻だけや。それ以上はアカン」
「二刻でも充分だよっ」
少女は嬉しさを現すように青年へ思い切り抱き付いた。頭突きの如く強いその力に、青年の身体は思わずぐらつく。
手にしていた料理を溢しそうになり、文句を言おうとしたが少女の方が行動は早く、満面の笑みを青年に向けると、逃げるように部屋を出て行った。
「ったく、相変わらずの馬鹿力や……。こうもお転婆やと嫁の貰い手あらへんで、絶対」
体当たりを受けた部分を手で擦りながら、青年は深く息を吐いた。
料理を並べ終えコップに水を注ぐと、懐から一枚の手紙を取り出す。見慣れぬ文字で書かれたそれは暗号のようなものだった。
「……梗砂、か。何や、嫌な予感するわ。この街が見つかるのも時間の問題やろな……」
あの子を守る為に築いた街だが、もう潮時なのかもしれない。
「柳兄ー。鶏が逃げてるけどー?」
「ッ、何やてぇぇぇ!?」
少女の自分を呼ぶ声に、青年の思考は見事に途切れた。
◆◆◆
広大な土地に広がる白亜の街並み。草原に囲まれたこの街は人や物資の出入りが全くない。街に住む人々は自給自足で生活している。
豊かな土地ではないが、皆優しく暖かい。互いに協力し合い日々を暮らしていた。
そんな閑かな街に住む少女――杏。
杏は住んでいる家を足早に出ると街の高台にある塔へ向かう為、一人街中を歩いていた。
赤紫色の長く伸びた髪を風で揺らしながら、少女は塔への道程を急ぐ。与えられた時間は極僅かだ。急がなければ直ぐに日が暮れてしまう。
「おや、杏じゃないかい」
「あ、明おばさん!」
塔へと続く道が上り坂に転じた所で、杏は年配の女性と遭遇した。彼女は近所の住人で名は明宝という。母が居ない杏にとって、明宝は母親のような存在だった。
「久しぶりだねぇ。塔に向かってるって事は、久々の外出許可が出たのかい?」
「そう! 柳兄が、今日はええよ、って言ってくれたから。今から向かう所なの」
杏は滅多に外出をしない。しない、と言うよりは外出を許されていなかった。
病弱な訳でも、街に流行病が蔓延している訳でもない。平和過ぎる街だというのに、何故か危険だからと柳は杏の外出を禁止にしている。
柳の許可が下りない限り、杏はこうやって街中を自由に歩く事すら出来ない。外出許可が出るのは月に五回ほど。杏は月の大半を家で過ごしている。
「今回は長かったねぇ。ええと、十ニ日ぶりになるかい?」
「うん。柳兄がなかなか許可出してくれなかったから、今月に入って初めての外出だもん。しっかし、何で柳兄は外出禁止にするのかな……」
嬉々とした表情から一変、杏は溜息と共に愚痴を溢した。その様子に明宝は苦笑を浮かべ、手に持っていた荷物を脇に抱え直す。
「……そうだねぇ。まぁ、きっと柳は杏が可愛くて仕方ないんだろうさ。赤ん坊の頃、高熱を出したらしいからね。単に過保護なだけじゃないのかい?」
「むぅ、そうかなあ……。でも、柳兄は何かを隠してるような気がするんだよね」
杏はずっと兄と共に暮らしている。血の繋がらない義兄と二人きり。両親も親類もいない。言い換えれば柳しか頼る人がいなかった。だから、何の疑問も持たず平凡に今までこの街で暮らしてきた。
だが、自我が芽生え行動範囲が広くなってくると何故家の敷地から出ては行けないのか、杏は疑問に思い始める。
外は魔物が徘徊しているから。街中には外から来た有害な人間もいるから。柳は様々な理由を付け杏の疑問を今まで上手く躱し、跳ね退けていた。
今年、杏は十五歳になる。もう誤魔化しが効く年齢ではない。
真実を知りたいと思いは日に日に増している。だが、それを柳に言う事はなかなか出来ずにいた。
「思った事言ってみれば良いじゃないか。意外にすんなりと話してくれるかもしれないよ?」
「でも、なんかこう……胸の奥がザワザワするの。焦燥感やなくて、何だろ……。予感、みたいものかな。話したら、聞いてしまったら、何かが変わってしまいそうな気がするんだ」
杏の言葉に明宝は目を細めた。
柳がひた隠している理由を知らない訳ではない。知らないのは杏だけ。街の人間はその理由を知っている。
明宝が杏を元気付けようと口を開いたその時だった。高台にある塔から爆発によく似た轟音が響く。
明宝と杏は思わず互いの顔を見合わせた。
「……何の音?」
「さてねぇ……。塔に何かが落ちたようだけど」
前方に見える高台の塔からは白煙が上がっている。何かが落ちて来たのは間違いないようだ。
塔を見ていた杏は何かを思い出したように、手を叩くと塔に続く上り坂へ足を向ける。
「塔には飛爺さんがいた筈。怪我してないかちょっと見てくる!」
「杏っ! 危険だよ。柳や若い者を連れて来た方が……」
「平気っ! 護身術くらいは扱えるし、第一もう子供じゃないんだから!」
そう明宝に言い返すと杏は、塔に向かって真っ直ぐ走って行く。
「ああ、大丈夫かねぇ……」
次第に小さくなっていく杏の姿を見つめながら、明宝は小さく息を吐いた。




