第002話「来なくていいから救ってください!(前編)」
――数日前の夢の中の話。
「聞こえますか……尾本コウよ……聞こえますか……」
自分の名を呼ぶ声が、静寂を震わせるように響いた。
目を開く。視界が、真っ白だ。ゆるやかに漂う無数の光の玉が虹色に輝き、かろうじて空間の奥行きを感じさせる。
「……お願いです、私たちの世界を救ってください……」
聞き間違いかと思うほどの微かな声が、再び耳元をかすめる。
声のするほうに目を向けると、自分に向かって祈りをささげる少女がひとり。
彼女のまとう純白のローブは、たおやかに揺れながら、聖なる光を宿している。
「誰だ……?」
尾本の問いに答えるように、少女はゆっくりと目を開いた。天空を思わせる青い瞳と視線が交わる。その瞬間、まばゆい光の花びらが彼女の背後から吹き荒れ、荘厳な鐘の音が何度も鳴り響いた。
そして――
「あ、つながった? 聞こえてます? もしもーし!」
少女はぴょこっと尾本の目の前まで近づき、不思議そうに見上げてきた。
自分に気づいているか確認するつもりなのだろう。そ~っと伸ばされた人差し指は、尾本の鼻の穴を狙っていた。
「ちょっと、やめてくださいよ! 聞こえてますって!」
まさかの軌道に尾本は顔をそらす。もし刺さっていたら、お互いに不幸になるではないか。
「よかった~! やっと届いた! 2週間かかるとか、どんだけ鈍いんですか?
正直に言って、女神の私もドン引きですよ。女神ドン引きです!」
女神と名乗った少女はあきれたように肩をすくめた。先ほどの神聖さは、もはや微塵もない。それを指摘すべきか迷っていると、彼女自身もそれに気づいたらしく「しまった」という顔でうろたえた。そして、ふわりと浮かび上がり、神妙な表情を作り直す。
「尾本コウよ。どうか、私の世界を救ってください――」
その口調は確かに神聖さを感じさせるものはあったが、どうにも今さらな感じが拭えない。
「ん? つまり、あれですか? 俺のところにも例のテンプレートが来たってこと?
異世界行きのトラックに轢かれたりとか痛い目に遭わなくても、楽々そちらの世界に行けるということでよろしいですか? 37歳の社畜システムエンジニアが、異世界で無双する物語という事ですか?!」
尾本は、興奮したように前のめりになりながら一気にまくし立てる。
「なんで早口? いや、こちらの世界に来ていただかなくても結構ですけど……」
「えええ~! いや、俺はもうこっちの世界に何の未練もないんですが?
なんなら、明日なんか来てほしくないレベルで。もう仕事の納期に追われるのは嫌なんですよ!」
「そちらの世界もなかなかですが、私の世界もなかなかハードモードですよ?
戦闘力皆無なあなたなんか瞬殺です、瞬殺。予言するまでもなく、異世界召喚された瞬間に首と胴体が別々の方向に飛んでいくことになるでしょう」
女神が神々しく輝きながら両手を広げて宣言する。まるで「どうだ、すごいだろう?」と言わんばかりだ。
「えげつねえな」
尾本のつぶやきに、女神は楽しげに口元を緩めた。
「しかも、我が世界はポリコレ準拠! あなた好みの美少女もシチュエーションも存在しません」
「……おやすみなさい」
尾本は自分の夢の中という設定を利用し、イメージの中でふかふかの布団を生み出した。夢の中で寝るというのもなんだが。
「待って待って! お願いですから私の世界を救ってください!」
慌てた女神が地面(?)に降り立つと、掛け布団を引っ張り始める。
「いやいやいや! さっき女神様は『来なくていい』って言ったじゃないですか。それに瞬殺って!」
負けじと尾本も掛け布団を引っ張り返す。二人の攻防が、白い空間に奇妙な緊張感を漂わせる。
「来なくていいから救ってください!」
「どうしろと? あ、わかった。リモートワークで魔王を倒せ、的な?」
「斬新な発想ですね。どうやるつもりなんですか? まあ、私の世界にはリモートワーク以前にPCもスマホもないですけどね。文明レベル的には、こちらでいうと17世紀ぐらいでしょうか。もっとも工学的魔法技術が発達しているんで、そちらの世界に劣ってるとは思いませんが」
「あー だったらお断りします。パソコンはともかくスマホがない世界とか一秒だって無理です。そっちはそっちでがんばれ。ファイト。おー!
……それじゃあ、おやすみなさい」
尾本は掛け布団に完全にくるまると、眠れる場所を求めてぴょんぴょんと跳ねていく。
「こらあっ!」
女神が尾本に全力でタックルをかます。ふたりはそのままゴロゴロと白い空間に転がった。
「な、何なんですか! もうちょっとこう……女神様らしく、腕力以外の方法で止めるとかあるでしょうが!」
尾本は布団から頭だけ出して抗議する。
「まじめに話を聞いてください! まったく話が前に進まないじゃないですか! だいたい、尾本さんにも関係ある話なんですよ!」
「え? 俺に関係ある話?」
「関係あるどころじゃないですよ!」
女神は布団から出てこない尾本を睨んだ。




