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第022話「何をやっているんだ、僕は」

 黒森真琴(くろもり・まこと)は会社から与えられた最新のパソコンを前に、カーディガンの袖を無意識にまくった。

 伸びた髪が視界にかかって鬱陶しい。けれど、まとめると「モデルみたい」とかまた言われるのが目に見えていた。

 会社は私服OKだが、何を着ても「かっこいいですね」だの「素敵ですね」だの、結局は顔ありきの反応ばかり。

 別に気取っているつもりはない。ただ、自分がどう見られているかは嫌でもわかる。子どもの頃からずっとそうだ。社会人になってもその延長線にいるだけ。

 唯一、前職の先輩SEだけは、自分を一人の人間として、男としてみてくれた。しかし、あんな奇跡は恐らくこの先はないだろう。


 ──自分の中身に誰も興味を持ってくれない。だけど、誰かに誇れるようなモノも自分にはない。


 それが、真琴が自分自身にかけた自己評価という呪いだった。

 幾度となく自分に語りかけているその言葉を思い出し、キーボードを叩く手が止まった。


「少し休むか……」


 真琴は椅子に深く座り直しながら、周囲を見回す。

 ここ、ワイバーン・システムズ株式会社の開発部のフロアでは、何十人もの社員が作業をしており、キーボード音や話し声が絶えず響いている。こんなに大勢の人間がいるのに孤独なのは何なんだろう?

 かといって、もう二度と「少人数のアットホームな職場」とやらに戻る気はないが。


「黒森さん、会社には慣れましたか?」


 不意に背後から声をかけられ、振り返る。そこにいたのは、やわらかい雰囲気をまとった若い女性だった。年齢は真琴と同じく二十代後半ぐらい。シンプルなブラウスにミディ丈のスカートという装いが、いかにもオフィスカジュアルの見本のようだ。

 彼女が首に下げたネームプレートを一瞥し、黒森は記憶を探る。人事部の職員らしい。しかし、この本部ビルには全部で800人以上が働いている。ネームプレートを見たところで、正直なところ誰が誰だか判別はつかない。


「まだまだですね。何しろ、前の会社は小さかったもので」


 疲れ切った目頭を押さえ、無愛想に答える。


「聞いてはいましたけど、黒森さんほどの方が小さな会社にいたなんて驚きですね」


「僕なんか、以前の会社の先輩や後輩に比べたら大したことはないですよ」


「ご謙遜を。それに黒森さん、かっこいいっていうか美人さんだし……この会社にいてくださるだけでもありがたいです。何か困ったことがあったら、遠慮なく私に言ってくださいね」


 そう言いながら、彼女は缶コーヒーとともに、小さな袋菓子をデスクに置いた。缶には付箋紙が貼られており、恐らく彼女個人のものと思われるメールアドレスが書かれている。


 黒森は小さくため息をもらした。

 自分のような技術者に対し、「能力より、その場にいてくれるだけでいい」など、無礼にもほどがあると思う。ただ、厄介なのは本人はお世辞のつもりであり、まったく悪意がないことだ。


「……何をやっているんだ、彼女は」


 そう呟きつつも、頭の中に浮かぶ考えを振り払うことができなかった。

 自分の中性的で整った顔立ちが、異性にどう映るのかは想像に難くない。同じように美形である妹の結衣は、その外見を生かし、大学に通いながらファッション誌の読者モデルをしているのだが。


 ――ちやほやされるのは苦痛だ。


 それが黒森の本音だった。妹の行動は理解できないし、仕事中にメールアドレスを渡してくる、さっきの女性の行動も理解不能だった。

 陰鬱な気持ちを振り払おうとした時、ふと視線が止まる。

 デスクの上に置かれたスマホのロック画面の壁紙には、彼と尾本コウ、広瀬あかりの三人が並ぶ写真が表示されていた。前の会社の仕事帰りに花見をした時のものだ。

 画面の中では、尾本コウと広瀬あかりのふたりが楽しそうに笑っている。それを眺める黒森の顔に、わずかに陰りが落ちた。


 尾本と広瀬に対する複雑な感情が、胸の奥で静かに疼く。

 広瀬が尾本の隣にいる。その光景は、まるで心に鋭い針を刺すような痛みをもたらした。


 感情を押し殺すようにスマホに手を伸ばし、ロック画面の画像を〝無難な〟風景写真へと変える。


 それは、星空を見上げる一匹の黒い犬の写真。家族でキャンプに行った時に撮ったものだった。


 あの夜、愛犬であるオスカーはいつものように真琴のそばに寄り添い、焚き火に照らされながら穏やかに星空を見上げていた。狼を思わせるその凛々しい姿が、真琴には神々しく感じられ、自然と一眼レフのシャッターを切ったのだった。

 そんなオスカーの存在が真琴の心を癒してくれたことが、今は遠い過去の出来事のように思える。

 半年前に天国へ旅立った愛犬と見上げた星空の美しさは、今や真琴の心の中で色あせはじめていた。


「……何をやっているんだ、僕は」


 職場の忙しさも、自分の心の霧を晴らしてはくれない。


 助けを求めるようにオスカーの写真に目をやると、写真の中の星空が青白く静かに瞬いた気がした。

 その光を見つめるうちに、胸の奥で微かなざわめきが生まれる。

 心の奥底に沈んでいた〝何か〟が、静かに目を覚まし、脈打ち始めたように感じられた。


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