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earache 前編

「ありえない……なんで……」

 ロイヤーの視線は西側の空を向いたまま、釘付けになった。

 雲が近すぎる。あの規模の雲がこんなにも近いというだけで恐ろしいのだが、その上にあの位置であれば、直下は既にブリテン島だ。

 ロイヤーは理解する。いや、してしまった。

 父はあのドラゴンに──

 嘘だ。

 そう思った時には、体は既にほうきにまたがっていた。

 この新品のほうきの限界がどこかは知らない。だが、今出せる最高速度で彼は西を目指す。

 理性はない。理由もない。とにかく西へ。

 途中で巡回の魔法使いが声を張り上げた。

「君!この先は危険だ!止まれ!」

 だが、ロイヤーは速度を落とすことはない。

 彼にはその忠告は聞こえてすらいなかった。

 魔法使いは無線を取り出し、この先で待ち構える他の魔法使いに応援を求めた。

「暴走者だ!取り抑えろ!」

 ロイヤーの前に二人の魔法使いが立ちはだかる。

「止まれ!」

 魔法使いがロイヤーを魔法で拘束する。

 ロイヤーはほうきもろとも空中で縛り上げられてしまい、もう進むことは叶わなかった。

「離せ!!父さんが!!」

 空の向こうでは、雲が雄々しく嵐を巻き起こしていた。


 ロイヤーは家に送られる。新品のほうきにはほんの少しかすり傷がついていた。

 家に帰るとテレビが常にニュースを知らせる。

 その話題の中心にいたのは、ドーセットやウェールズ、アイルランドなどの広範囲で起きた悲劇。

 そして──

 ハリケーンのドラゴンの単独討伐という無謀かつ被害を顧みない判断を下した魔法使い。

 ジャスティン・ウィリアムハートだった。

 このハリケーンを未曾有の災害にしてしまった。

 世間はジャスティンが死してなお、その贖罪を求め続けた。

「ジャスティン。テレビのチャンネル変えてくれる?」

 キッチンから母が要求する。

「母さん。僕はロイヤーだよ」

「ああ……ごめんなさいロイヤー」

 ロイヤーはその後テレビのチャンネルを変える。

「ドーセットではハリケーン災害により──」

「ハリケーンはウェールズでも大きな被害を──」

「この災害を防げなかった討伐院のジャスティン・ウィリアムハート──」

「アイルランド沖は大時化で──」

 どのチャンネルに変えても、世間はハリケーンの話題で持ち切りだった。

「どこも同じことしかやらないね」

 ロイヤーがテレビを消して、そう愚痴っぽく言う。

「そうね」

 それにローラも賛同した。

 その日を境に、ウィリアムハート家のテレビは役目を失った。

 もう誰も、ニュースを見ようとはしなかった。

 次の日、ロイヤーが家にいると母親が紅茶を入れてくれた。

「茶葉を変えてみたのよ。いいやつ買ったの」

 陶器製のティーポットからは透明な液体が出てきた。

 お湯だ。

「母さん。茶葉は入れた?」

「あら……入ってなかった?」

 目の下のクマはどこまでも黒ずんでいて、精神状態も参ってしまっているのが目に見えていた。

 ロイヤーは決心した。


 数日後一台の高級車がロイヤーたちの家を訪れた。

「やあ、ロイヤー。大学入学おめでとう」

「お久しぶりです。おじいさん」

 彼はローラの父親だ。つまりロイヤーの祖父に当たる。

「それにしても……大変だねぇ」

「そうですね。僕も、まだ実感が湧きません」

「ローラは……しばらくうちで面倒を見るよ」

「ご迷惑おかけします」

「それじゃあすぐに帰るよ。大学頑張ってね」

「はい」

 祖父はローラを車に乗せて、地元に帰っていった。

 ドアの中に入ると、普段はそんな風に感じないのに、とても広く感じる。

「僕一人……か……」

 ロイヤーは寂しくなった。

 父を失い、母も離れ離れ、魔法も絶対じゃない。

 ロイヤーの世界には──

 もう、確かな味方は誰もいなかった。

「父さん……僕は……なにを頼って生きれば……」

 ロイヤーは腕で目を覆い、ドアにもたれた。

 帰らない父親に、問いかけたかった。

 父はなぜ負けたのか。なんでこんなことになった。

 あのドラゴンは。そういえば父の魔法は──

 その時、ロイヤーの頭にある記憶が蘇った。

「あのドラゴンには……弱点が……なかったんだ」

 だとすればすべてに合点がいく。

 あの父親が負けうる理由はその一点のみだ。

 とするならば間違っているのは──

 ロイヤーの視線の先には、あの隠し階段が目に入った。

「そうだ……」

 間違っていたのは父じゃない。

「全力で魔法を打てない、この世界だ」

 ロイヤーは階段を降りる。鍵は開きっぱなしだ。

 ──魔法は絶対だ。だが、絶対であるには条件があったんだ。

 ロイヤーは本棚を指でなぞって漁り、そして見つけた。

「Application of magic power enhancement」

 その本が、彼の新たな絶対になるまで──そう時間はかからなかった。


「一……」

「二……」

「三!」

 大学のグラウンドの一角。

 振り向きざまに、二人の魔法使いが魔法を射会う。

 ロイヤーとマイケルの戦いは大学でも続いていた。

 お互いに命中しないが、お互いそれは織り込み済みのように距離を縮めた。

 マイケルが撃つ魔法をロイヤーは何事もないように交わす。

 そしてロイヤーが放った一撃は、マイケルの腹に当たる。

 普段なら脇や手元を狙ってくるので、マイケルは少しだけ反応が遅れてしまった。

 そして恐らくこれはロイヤーも想定していない。

 さっきの一撃もそうだったが、わかったことがある。

 高校の頃と比べるとその時のような抜群のコントロールがあるわけではない。

 だがそれ以上に──

「重てえな……こんなの何発も食らってられないぜ」

 そんなことを考えているうちに、次の弾がマイケルを襲った。

 容赦のない一撃は、その決闘を一瞬で終わらせた。

「降参!降参だ!」

 マイケルは敗北を認める。ロイヤーは彼を起こしに、歩み寄ってきた。

「あー、負けた負けた。こんな瞬殺されんの久しぶりだわ」

「そうですね」

「いやー、それにしてもすげえなロイヤー。なんか雰囲気変わったんだな」

「そんなことないですよ」

「いやいや変わったぜ。高校の時はなんかこう……バチッと決める感じだったろ?でも今はパワーで持ってくって感じだ」

「それじゃ……ダメですか?」

 ロイヤーの声は静かだった。

 静かながらも、答えを逃がすまいとするような脅迫めいた雰囲気があった。

「いや、いいと思うぜ。これはこれで辛えし。それにしても、ここに来てまだ進化するとか……討伐院に行くの、厳しいか?」

 マイケルは冗談っぽく笑った。

 その答えに、ロイヤーも微笑んだ。

 ──間違ってない。

 ロイヤーは研究に勤しんだ。

 次から次へと本を読み漁って、彼は魔法の出力限界をどんどん上げていった。

 そして、彼の研究に応えるように、魔法もまた唸り声を少しずつ大きくしていくのだった。

 ロイヤーは大学でもその実力を遺憾無く発揮した。

 模擬戦で相手をする者は彼の魔法の破壊的な威力に恐れ慄いた。

 そして、マイケルもまた彼の変化を徐々に心配し始めた。

 この頃になると、マイケルはロイヤーの魔法の実験に付き合わされている節があった。

「なあロイヤー……また威力の実験か?」

「そうです」

「なあ、もう十分じゃねえかな。それより制御だろ。もちろん悪くはねえけど、これ以上出力を上げたら、いつ暴れてもおかしくないんじゃねえの?」

「まだです。まだ足りない。だから次は魔法の重ねがけを試したいんです。魔法は種類ごとに優位があるんですが、ここで同じ魔法を重ねがけすれば威力は四倍になるんですよ!これが実践出来れば僕は──」

「ロイヤー!」

 マイケルは怒鳴る。自分の言うことに聞く耳を持たないロイヤーに痺れを切らした。

「これ以上は危険だ。なんでそんなに威力が必要なんだ。お前は魔法兵器にでもなるつもりか?」

「そのくらい威力が出たら、どんなドラゴンにも勝てるでしょうね」

「バカ言うな。街が吹き飛んじまうよ」

「でも、ドラゴンを討伐することが魔法使いの責務です」

 ロイヤーは悪びれることもなくそう答える。

 マイケルは心配になった。

「なあロイヤー。もうお前休めよ。疲れてんだよ」

「そんなことはないですよ。僕は魔法を研究するのが楽しいんです」

「……お前のことだから、なに言っても無駄なんだろうけどよ。俺は、今のお前……見てらんねえよ」

 そう言うとマイケルは研究室を後にする。

「マイケル?どこに行くんです?」

「カフェテリア。飯食ってくる」

 そして、今度こそどこかへ行ってしまった。

「やれやれ、今日は一人で実験ですね」

 それ以来、マイケルは研究室に顔を出さなくなった。

 仕方がないのでロイヤーは、自分に挑戦状を叩きつけてくる身の程知らずな下級生で実験を続けた。

 そして三年のある日、ついに事件は起きた。

 大学の決闘用のグラウンドにとんでもない爆音が響いた。

「ポール!」

 観客席から何人かの男子学生が飛び出してきた。

 土煙が空けると、そこには一人の男子学生が横たわっていた。

「安心してください。手加減したので、そんなに火力は出てないはずですよ?」

 だが、ロイヤーの感覚は既に常人のそれから乖離していた。

「いや……折れてる」

「え?」

 ロイヤーが動揺する暇もなく、呻き声が聞こえる。

「ああああっ!」

 声は倒れ伏した相手のものだった。

「おい!担架!担架を持ってこい!」

 場内は騒然となった。ロイヤーの魔法はついに、自分の制御しきれない威力まで到達していた。

「ロイヤー!」

 観客の中からもう一人の学生がロイヤーに駆け寄ってきた。マイケルだった。

「ロイヤー。わかっただろ?もうやめよう」

「なんで……ですか?」

「は?」

「この程度で……怪我?……骨折?……そんなはずないですよ。僕は……手を抜いたんだ」

「ロイヤー……お前……」

 ロイヤーの目は虚ろだった。だがもう止まることはできない。

 そして、マイケルもまたロイヤーがそうであることを悟ってしまった。

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