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散歩で拾った「箱」—エンディングロールは、ふたりで  作者: 輝


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第12話 見た目だけは大人、涙は子ども

 六月の第2週、木曜の夜。商店街のカフェの裏口に「本日終了」の札が掛かったあとも、まおはなかなか外に出てこなかった。洗い物の音が止まって、しばらく。快が表の椅子をひとつ降ろし終えたころ、裏口のドアが、こっそり開いた。


 まおはジャケットの襟を立て、髪を一度きれいにまとめている。さらに、夜なのにサングラスを掛けていた。さすがに怪しい。

 「……その、それ、必要?」

 「必要。大人の余裕」

 言い切った瞬間、鼻をすんっと鳴らした。サングラスの隙間から、まつげが濡れているのが見える。


 快は笑わずに「余裕、いいね」とだけ言い、鍵を閉めた。慰めの言葉を探すより先に、歩き出す速さを決める。まおが置いていかれない速さ。まおが追い越して走らなくてすむ速さ。


 川沿いの散歩道は、初めて箱を拾った夜より湿っていた。街灯が水面に落ちる光は細く、風はゆっくりと頬を撫でる。二人は並んで歩いた。まおは「平気」を口の中で何度も転がして、結局、外には出さない。


 快のトートバッグの中で、紙の角が当たってかさりと鳴った。今夜読んだ手紙の封筒だ。快は歩きながら、無意識にそれが折れない位置へずらす。まおの「見た目だけは大人」の鎧は薄い。折れ目ひとつで、また崩れそうだった。


 「……さっきの、あれ」

 まおがつぶやく。父の手紙のことだと、すぐわかった。

 「読んだの、後悔してる?」

 「ううん。……でも、顔、ぐちゃぐちゃだった」

 彼女は笑おうとして、喉の奥でひっかかったみたいに息を吸った。


 自販機の明かりの下で、まおはホットのボタンを押した。紙コップが落ちてくる音が、夜に妙に響く。

 「これ、苦いほうが大人っぽいから」

 まおはカフェラテを選び、ふたを開けてすぐ口をつけた。

 「熱っ……!」

 泣きかけの目で、今度はむせた。咳が止まらず、肩が揺れて、結局、笑いにもならない笑いが出た。

 「……見た目だけは大人」

 まおが、自分に向かって言う。

 快はレシートの角で、反射的に指先を整えた。編集の癖が、ここでも出る。紙の端が揃うと、ほんの少しだけ息が楽になる。

 「中身は、まだ追いついてない」

 「やめて。追いついてないって言われると、焦る」

 「焦ると熱いの飲む」

 「それは今だけ!」


 まおは紙コップを両手で抱え、唇をすぼめて湯気を逃がした。涙も、いっしょに逃がしたいみたいに。サングラスの奥で、鼻先が赤くなっていくのがわかった。

 「私さ……焦恋、やめたい」

 言葉は小さく、夜風に消えそうだった。けれど、快にははっきり届いた。


 快は、歩幅を変えなかった。背中を叩いたり、無理に笑わせたりもしない。代わりに、足音の間隔だけを揃えた。まおが泣くなら、泣ける場所までいっしょに行く。まおが黙るなら、黙れる時間を守る。

 「やめたいって言えたら、もう半分終わってる」

 「何その編集っぽい慰め」

 「慰めじゃない。……確認」

 快は言って、照れたみたいに視線を川面へ逃がした。水の流れは止まらない。早送りも巻き戻しもできないのに、ちゃんと前へ進む。


 まおは紙コップを見つめたまま、ぽつりと続けた。

 「私、数字が伸びると嬉しい。嬉しいのに、夜になると……置いていかれる気がして」

 「置いていかれないように、走る?」

 「走ると、息切れする」

 「じゃあ、歩く」

 快の返事は短かった。けれど、その短さが、まおの肩の力を抜いた。


 しばらく、会話が途切れた。風の音と、遠くの電車の走る音だけが入る。沈黙が気まずくならないのは、たぶん、快が逃げないからだ。まおが横目で快を見る。快は、見る前に、気づいているみたいに少しだけ口角を上げた。


 まおはサングラスを外し、ポケットに押し込んだ。もう隠すのが面倒になったみたいに。

 「……ねえ。箱、まだ持ってる?」

 快は頷き、トートの口を開けた。白い小箱のふたの「ありがとう」が、街灯に白く浮かぶ。まおは指先でその文字をなぞり、すぐ引っ込めた。触れると、また何かが溢れそうだった。

 「これ、空っぽなのに、重い」

 「入れるものが決まってないからかも」

 「じゃあさ。今夜は……私の焦恋、ここに置いていっていい?」

 まおの言い方は冗談みたいで、冗談じゃなかった。


 そのとき、まおのスマホが震えた。画面には舜爾の名前。まおは指を止めたまま、ためらう。

 「出る?」

 快が聞く。

 「……うん。出ないと、あとが怖い」

 彼女は、息を整えて通話を取った。


 『明日の朝、五時集合。撮れるうちに撮る。店の許可? あとで俺が話す。とにかく来て』

 スピーカー越しの声は早口で、余白がなかった。まおの指先が、紙コップの縁を強く押す。白いふたが、きしっと鳴った。

 「……五時?」

 まおが小さく復唱する。舜爾の声はさらに速くなる。場所、段取り、撮影の流れ。まるで秒針みたいに。


 通話を切ったあと、まおはしばらくスマホを見下ろしていた。目尻の濡れたところが、また熱くなる。

 「無理、かな」

 まおの声は、さっきより子どもっぽかった。


 快は答えを急がず、川沿いのベンチの横で立ち止まった。まおの手から紙コップをそっと受け取り、ふたをきっちり押さえ直す。こぼれないように。むせないように。泣いても、両手が空くように。

 「無理かどうか、まず一回、呼吸してから決めよう」

 快はそう言って、ベンチに座った。まおも隣に座る。肩が触れそうで触れない距離。


 快のスマホも震えた。舜爾から、今の通話を裏づけるような長文のメッセージが届く。集合、撮影、投稿、再撮。夜明け前から昼まで、休みの文字がない。快は画面を見て、指で短く打った。

 『許可は先に。店の時間も人の体力も、素材。壊すな』

 送信すると、すぐ既読がついた。返事はない。既読だけが残るのが、妙に不安だった。


 街灯の下で、二人の影が並ぶ。大人ぶった笑いも、子どもみたいな涙も、その影の中に一緒に入った。まおは鼻をすすり、快の隣で小さく息を吐く。焦って走るより、今夜はここで、歩幅をそろえるほうがいい。



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