4曲 コンクール、出る?
「音香先生、お願いします」
音香先生が口を開いた。
「8人以上という条件を満たしたので、合唱部の存続は認められました」
先生が、上機嫌な声でそう告げる。
周りも「わぁ…!」、「やった!」という喜びで満ちている。その喜びも、束の間なのだが。
「響、一ヶ月後にある地域音楽交流会、三ヶ月後にあるコンクールはどうなっているの?」
その言葉に、あからさまに響先輩が口ごもる。交流会なんて聞いていない。
「地域音楽交流会」
七歌ちゃんが呟いた。
すかさず私は、「知ってるの?」と問う。と、七歌ちゃんより先に音葉先輩が反応した。
「毎年近くの中学校同士でやっていて、吹奏楽部、合唱部、演劇部がお互いに発表する交流会」
「わ、楽しそう!」
私たち1年生はワクワクでいっぱいになる。……が、どうやら先輩たちは違うようで、空気が少し重たくなる。
口を開くのは、絃先輩が最初だった。
「出たいです」
格好良く言い切る。凛先輩は同意して頷く。
「私も、そう思っています」
響先輩もそう言った。
3年生2人がそう言うのなら、すぐさま出る方向に向きそうだけれど、続いて何かを言おうとした琴先輩は言いづらそうな顔つきだった。
「………私は、それで良いとは思えません」
「琴……」
私たちを見据えるように、琴先輩は言った。
絃先輩と響先輩は目を防げがちに俯く。それが正論と目が語っていた。
「私…私は出てみたいです!」
長く暗い沈黙を破ったのは、入部したばかりの1年生、七歌ちゃん。高く柔らかなその声は、緊張と不安を纏わせていた。
次に言うのは私───と言うような雰囲気になる。
「私は、その交流会も、コンクールにも出たいです。他の学校の合唱も聞いてみたいです」
「───1年生はそう言ってる。3年生も、琴以外はそう言っている。2年生はどう?」
音香先生が2年生に問いを与える。
自分たちの選択が左右する、次世代の最高学年としての自覚を育てるために。
「音葉ちゃんも、私も出たいって思ってます」
心音先輩がそう言った。
ぎゅっと拳を握りしめて、律歌先輩の言葉を待ちわびる。
「私は、1年生の意見を尊重すべきだと思います。私が言えたことでは無いのはわかっていますが、経験は欲しい」
「───皆、良くできました」
音香先生はさっきよりも安堵した笑みを浮かべる。8対1で、交流会は決定。
「それでね、来週から……」
全員がごくりと唾を飲み込む。
「コンクールまでの間、外部からコーチが来ることになりました!」
一瞬ポカンと音香先生を見る。が、すぐにその意味を理解してはっとする。
「「コーチ!?」」
先輩方が一歩詰め寄る。私と七歌ちゃんは目をきらりと輝かせ、お互いを見る。
「そう、是非にって話が来ていてね。あまりコンクールに前向きじゃないなら辞退しようかと思っていたのだけれど、皆がやりたいのならお受けします」
「凄い……」
「金賞取る学校みたい!」
各々の反応を示しつつ、その日のミーティングはそれで終了。新しく来られるコーチに胸を躍らせながら、私たちは家路についた。
♢♢♢
一週間後。
「初めまして、鈴屋と申します。よろしくお願いします」
凛とした、きっちりとした音を鳴らすよう。
その滲み出る重厚感のある名とは裏腹に、とても若々しくお淑やかな女性だった。
鈴屋さんは「すずさん」と呼ばれることになった。「すずのやさん」だと言い辛いからだそう。
「部長の響です。すずさん、これから、よろしくお願いします!」
「「よろしくお願いします!」」
これでコンクールは安心、私たちは楽観的に、そう思っていた。
♢♢♢
「他の学校は40人以上!?」
圧倒的な人数による圧倒的不利。
否、先輩達は分かっていたんだろう。私と七歌ちゃんが悶絶してへたり込む。
「やっと廃部を免れてっていう私たちには、そういう学校に勝つことは出来ないの」
はぁーあ、と大きくため息をついて天井を仰ぐ2年の先輩たち。
それに対抗したのは3年生だった。
「人数が多いからって、だめな訳じゃない」
「そうそう、10人程度のところだって賞はとれる。なら、10人に満たない私たちが賞を取ってしまえばいいじゃない」
クールに言い放つ絃先輩に、柔らかくも厳しい言葉を投げかけてくる琴先輩。
それに、七歌ちゃんが頷いた。
「そ、そうですよね」
と、黙って話を聞いていた部長、響先輩が口を開いた。
「でも、声量が足りないのは事実」
「響!」
「先輩…」
「だったら、そのハンデを吹き飛ばせば良い」
響先輩は、にっと策士のような笑みを浮かべた。
「そのために、すずさんがいるんでしょう?」
あまりにも豪胆で大胆なその言葉は、けれどすずさんをしっかりと信頼している言葉でもあった。
まだ、初対面からたったの数日。それでも響先輩は彼女を信頼して任せている。自分の実力をきちんと分かっていて、相手を尊重できるからこそ出来る配慮だとも思う。
流石、先輩だなと心の中で尊敬する。
「こんにちは」
ちょうどよく、すずさんが部室に入ってきた。全員で「こんにちは」と挨拶して、礼をする。
「すずさん」
調えられたピアノに、楽譜の準備をするすずさんに、響先輩は徐に足を踏み出した。
すずさんは「どうしたの?」と首をかしげて聞いてくる。
すぅ…と息を吸い込んで、響先輩は真剣な顔ですずさんに申し出る。
「私たちは、最高の合唱がしたいです。どんな大人数にも、誰にも負けない、美しい合唱を。私たち音宮中合唱部に、技術を教えて下さい!」
ばっと勢い良く頭を下げる。先輩の短髪の癖っ毛がくらりと揺れる。一拍おいて、私たちもお願いしますと頭を下げる。
顔を上げて、真っ直ぐに彼女を見据える。
すずさんは、きゅっと顔を引き締めた。唇には弧を描いて頷いた。
「えぇ、やりましょう」
♢♢♢
初めて音宮中合唱部の部室に足を踏み入れた時、私は思わずときめいた。
合唱をしているときの瞳が、これほど透き通るまでに澄んでいて、無垢な瞳が、あるのかとすら思った。
「鈴屋さんだから、すずさん!」
初対面なのに、私をのけ者にせず喜んで受け入れ、愛称までつけてくれる彼女たちを、私は育て上げようと決めた。
「こんにちは」
けれどその日、部室に入った私「すずさん」が感じる空気は、いつもより少しぴりぴりしていた。
それは、焦りなのか、悲嘆なのか分からないけれど。彼女たちの感じていることは、合唱の声や質となってすぐに表れてくる。
私は彼女たちの言葉を待っていた。あんな美しい声も、瞳も持つこの子たちは、自分たちで答えを導けるはずだ。
「すずさん」
部長の響ちゃん。声的にはメゾに近いのだが、人の声を見抜く力で自らは棚に上げて、人他の人たちに合うパート分けをしている。
「私たちは……」
彼女たちの瞳が変わる。
───あの時、初めて出会った時の瞳。
「…えぇ」
私の口から、反射的に声が漏れる。
私は、迷うことなく彼女たちに頷いた。
「やりましょう」
きっと、可能性を感じた。
───ただ、それだけのこと。
彼女たちならきっと、奇跡を起こせるんじゃないかって、きっと信じているから。