5曲 私たちは、9人だけど
だんだんと、音楽交流会が近づいてきた。
皆の心が一つになったあの日から、更に練習に熱も入り、歌はどんどん上達していった。
「音楽交流会では、「明日」を歌います」
すずさんが何枚かの楽譜を見ながら言った。
その曲は、「今を越える」というようなテーマの曲。音楽番組にもよく出ている人気の声楽グループ、リトルリの曲でもある。
「あと、10日」
「カウントダウンカレンダーでも作っちゃう?」
「賛成ー!」
そんな風に、和気あいあいと練習は進む。
休憩中は雑談だった今までとは打って変わり、うがいをしたり、表現の仕方を相談したり、それぞれが気になるところを自主練したり。
全員が「本気」で練習に打ち込んでいた。
♢♢♢
「今日は、「明日」の歌詞から情景を感じ取って、朗読するように歌って欲しい」
すずさんがそう言うと、全員が楽譜と睨めっこを始める。
「こえるよ、今を」
「少し弱いかな」
琴先輩が唇に人差し指の第一関節をあてて楽譜を見つめる。出だしの「こ」が弱い。
うーん……と少しだけ考える素振りをしていると横から違う声がした。
「心音はリズムは合っているけれど、音程が微妙で、音葉はその逆だね」
凛先輩が横からひょこりと出てくる。
サイドポニーを揺らして、口を開ける。そこから鳴らされるのは、えもいわれぬ美しい声。
2年生の2人は俯く。自分にはこんな声出せないと。
「声は、人それぞれ。だからね」
一歩前に出る。
「メゾは、もっと自信持って!」
その言葉に、メゾは大きく頷いた。
そして、それから数日後のパート練習。
「───っ」
「響先輩?」
「ううん、なんでもない」
少しミスをしたのか、響先輩が躓く。
それに気づいた律歌先輩が声をかけている。
首を横に振り、響先輩はまた歌い出す。お茶のような、澄んでいるけれどどこか濁ったような歌声。いつもよりずっと、声がうわずる。
「響」
ふと凛先輩に呼ばれた響先輩は、自分がひとりで歌っていることに気付いた。
はっとする響先輩の瞳に映るのは、律歌先輩と七歌ちゃんの2人。
「先輩」
「ソプラノは、響だけじゃないから」
凛先輩が言い、それににっこりと笑った姉妹は、ぎゅっと優しく響先輩に抱きついた。
響先輩の潤んだ瞳は、口に弧を描いてその涙を吹き飛ばした。
「ありがとう」
もちろん、不安にも襲われて。
「奏ちゃん、あのね」
「七歌ちゃん?」
もじもじしながら、七歌ちゃんが口ごもる。どうしたの?どこか具合でも悪い?と言いかけたけれど、それより前に七歌ちゃんが告白する。
「本当に、私歌えるかな?」
「え?どうして?」
分からない、と私が言うと七歌ちゃんが自信なさげに、徐に楽譜を取り出した。
そこには、響先輩やすずさんからの注意、自分が音を外す場所、そして家での自主練で書いたであろう姉との工夫が、事細かに書き込まれていた。……時折、落書きもちょっとだけあったのには目をつむる。
「これだけ歌っても、私…先輩みたいに歌える自信がないの」
涙が目を覆っていく。頬も赤みをさして、泣き出しそうな声を漏らす。
「七歌ちゃん……」
私には、どうにもアドバイスできなくて。
と、とん……と優しく背中を押された。後ろを振り返れば、先輩たちの姿。
「あーもう、後ろ向いたら雰囲気が台無しじゃん!」
「七歌ちゃん、皆が最初からうまかった訳じゃないよ。練習をずっと重ねてきたから、皆上手になったの」
「先輩……」
ごしごしと涙を拭い、七歌ちゃんは口を弧を描いた。ツインテールがはねた気がして、私は彼女に抱きついた。
「七歌ちゃん、大丈夫だよ!」
私も、先輩もいるもん!なんて笑いあった。
♢♢♢
「今日は、「明日へ」の歌詞から情景を感じ取って、朗読するように歌って欲しい」
越えるよ、今を
聞こえるの、未来が
「メゾは、もっと自信持って!」
弾ける音と、尽きない迷いを抱え
「ソプラノは響だけじゃないから」
不安が裂け、弱音が漏れたって
「本当に、私歌えるかな」
「七歌ちゃん、大丈夫だよ」
明日へ走る鼓動は溶けはしない
「明日は、ついに音楽交流会です。今まで頑張って練習してきた成果を、出し切りましょう」
「「はい!」」
不意に、今までずっと歌ってきた「明日」が流れてきた気がした。窓から夕日が差して、私たちに帰るように促す。
「でもね、これだけは言っておくよ」
響先輩が、真剣な顔になる。先輩方は、はっとしたように雰囲気を変える。それにつられるように私たちもくっと表情を変える。
「明日は、カルチャーショックを受けて下さい」
それだけ言い放つ。返事だけは返すけれど、実感は全く湧かない。文化が違うことによる衝撃、みたいな所なんだろうか。
「私たちは、9人だけど」
その時の響先輩は、どこか達観しているような目をしていた。
「他は、違うからね」
響先輩は表情を緩めて、すずさんと音香先生の言葉を待つ。ほんの一瞬の、静謐な時間。
「他の合唱部が、どういう練習や歌を歌うのか。それは、大変に良い経験です。コンクールで初めて聞くよりも、明日こうして聞くことができること。それは、今後の練習にとても役に立ちます。私が言えることではないけれど……皆さんは鈴屋さんと練習し始めた頃からぐんと上手になりました。きちんと、吸収してくださいね」
音香先生は安堵の表情を浮かべる。そして、次はすずさんが、その柔らかな声を鳴らす。
「明日、きっと他の中学生からは奇異の目で見られることでしょう。人数が少ない合唱部は、この辺ではここしかありませんから。でも、皆には才能がある、努力もできる。しっかり、歌いきりましょう」
「「はい!」」
次の日、私は早くに目を覚ました。楽しみでもあるけれど、怖いというマイナスな気持ちも、無いわけではないから。
「んー!」
ぐいーと伸びをして、制服に着替える。
音宮中学校には、みんなが待っている。
♢♢♢
「おはようございます!」
「おはよう、奏ちゃん」
朝8時。全員が集合した。控え室に指定された美術室に入ると、電子ピアノが一台だけ置かれている状態。
すずさんも少し遅れてきて、発声をする。
「────あ」
ふと、視線を感じた。戸の向こう、小さなガラスを見ると、違う制服の女の子が2人立っている。気になって引き戸を開けると、2人は一礼して挨拶をしてきた。
「星涼中合唱部です。盗み聞きのようになってすみません。歌、とても良かったです。今回も、よろしくお願いしますね」
「はい、こちらこそ」
隣の中学校、星涼中。部長と思わしき人が笑う。冷静で、どこか冷めたような、けれど闘志を燃やす志をもっている。そんな人に見える。
もう1人の子は、つり目がちな顔つきで、睨みつけるような目線を送ってくる。絶対に負けない、という思いが全面に出ているような子。
握手を交わして、2人は自分たちの控え室に戻っていく。と、2人は振り返ってすとんと姿勢を正した。
発声のフォームだ。
「───」
それだけを挑発のように言い残して、ぱたんと星涼中の控え室である第一音楽室の扉が閉められた。
「皆、そろそろ時間。体育館に向かおう」
後ろから、絃先輩が声をかけてくる。
私たちは水筒とプログラムを持って、体育館に向かった。
♢♢♢
プログラムは、私たちが1番目。次に星涼中が控えていて、その後2校が歌い、吹奏楽部や演劇部の発表に移る。
私たちは、ステージにあがる。フォーメーションも、練習した。
「───音宮中学校の演奏です」
響先輩にマイクが渡される。すぅ…と一呼吸おいてた先輩が声を発した。
「こんにちは、音宮中学校合唱部です。私たちは、1年生2人、2年生4人、3年生3人の、9人で活動しています。今日私たちがここで歌わせていただくのは、リトルリの「明日」という曲です。───それでは、聞いて下さい」
マイクを置く。ピアノの前奏が鳴り響く。
1、2、3─────────。
ぱちぱち……疎らに聞こえる拍手で、私たちは礼をする。客席に戻り、星涼中の合唱がスタートした。
「こんにちは、星涼中合唱部です。私たちは今年から35人の新体制で活動しています。───よろしくお願いします」
それからの演奏は、圧巻だった。
声量が違う、迫力が違う、臨場感も、練習量も圧倒的に違う。違いすぎる。
全てが終わったとき、私の何かが全て崩れ落ちて、0になるのを感じていた。
「───続いて……」
星涼中学校の合唱部が戻ってくる。と、私の前で挨拶を交わした部長が呟いた。
「コンクール、諦めた方がいいですよ」




