二三. はじめて
二三.
けたたましい音をたてて、アラームが鳴り響く。
覚醒度が高まるにつれ、瞼越しの陽光が視界を柔らかな朱色に染め上げていく。
トワイライトは毛布の下から弱々しく手を伸ばし、そのまま手探りでアラームのスイッチを切った。大音量に設定したベルが鳴り止み、再び穏やかな静寂が訪れる。
もう少し。否、今朝はもうしばらく眠っていたい。
一昨日の戦闘による怪我の処置は無事に終えたものの、到底本調子とは言い難い。それに、メイズにやられた地下研究室の後片付けのことも今は考えたくなかった。要するに思考を止めるには眠ってしまうに限るのだ。この際布団と融合して布団人間になってもいい。そういう訳の分からぬことを考えながら二度寝を決め込み、寝返りを打つ。と、何か柔らかいものに触れてそれ以上転がれなくなった。そこに衣擦れの音が被さる。なにかが寝台を軋ませ、続いて仰向けになった胴体に圧し掛かってくる重さを感じた。傷痕がわずかに疼く。
「ンだよォ……もう」
むにゃむにゃと文句を言いながら半眼になる。すると、どういうわけだか自分の裸の胸に、白くきめ細やかな肌が触れているのが見えた。華奢な肩口に緑色の患者着も視界に入る。その着崩れた襟元からは、膨らみかけの半球が覗いていた。血色がよく、健康的な肉の塊。
まだぼんやりと霧のかかった思考に走る電撃的な閃き。
――とりあえず、目の前に乳があるなら揉んでおくしかない!
なにを支離滅裂言っているのかという突っ込みなんか断固拒否だ。こちとら寝ぼけている。それに手癖の悪さも愛嬌だ。
はだけた襟元を割って手をのべれば、ふにゅっとした淡い感触が返ってくる。白い肉に指先が埋もれ、手のひらに若々しく滑らかな肌が吸いついてくる。しかし、内側から押し返す確かな弾力も感じられた。少々小ぶりな手のひらサイズの胸はまだ蕾、されど咲き零れるのを待つ秘めた気配さえ備えていた。
えも言われぬ感覚が、起き抜けの脳髄に多幸感を溢れさせた。
「んん……こりは……なかなかの美乳でむにゃ」
これは夢? 夢ならそれで構わない。もちろん現実であるに越したことはないのだが。
柔肉に、そして桃色の先端に愛撫を続けていると、相手が身を捩り、頭上で甘くかすかな吐息を漏らす気配があった。
起き抜けに訪れた偶発的な出来事に気をよくし、トワイライトは次の段階に踏み込もうと華奢な身体を自らの身体で覆うように抱きすくめ、その肩に鼻先を滑らせた。たっぷりと陽光を浴びたような、いい匂いが肺腑に満ちる。それは香水などではなく、相手の体そのものの匂いだった。甘く首筋を噛むと緑の病院着を引き剥がし、背中から尻へと手を滑らせる。ほどよく円みを帯びた小さな尻は果実のようで、片方のふくらみが五指の間にぴったりと収まってしまう。
「ふ、あ……あっ」
相手がまた小さく身じろぎし、甘い呻きを洩らす。なかなかに初で可愛らしい反応だ。
でも、これはいったい誰の身体だろうか。というか、昨晩誰かと寝た記憶なんかあっただろうか。
少なくとも体格からいってぼんきゅっぼんなハルとは違うし、素馨の香りも纏っていない。ってことは行きずりの相手? でも、遅くまで作業をしていた記憶があるし――。
普段の素行のために全く心当りがない、というか正確には思い当たる節が多すぎてよくわからない。女にとっては最低の相手だろうなぁ。トワイライトはあくまで他人事のように考えた。
そんな思考はいまだに寝ぼけた状態だ。でもそれはそれとして、あと少しだけ動けばもっと幸せになれるような距離に誰かの身体が圧し掛かっている。そう、自分の吐息がかかってしまいそうな、それくらい近くに誰かが横たわって……。ついでにその髪は蒼銀色、唇は紅をひかずともほんのり赤く、夢まぼろしのように美しい貌には稚さが残っている、って。
「オギャーッ!? ギャーッ!!」
認識した瞬間にトワイライトは完全覚醒、そのまま意味不明な雄叫びを上げた。
トワイライトの胸板に手を添え、その身体の上に這うような姿勢で寝そべっていたブルーが顔をあげて視線を合わせてきた。上目づかいの桃色の眼はどこか甘く霞んでいる。
「……続きはシないノカ? トワイライト」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい今のはオールカットの方向で――って違う! こら! お前おれの上に乗っかって何やってたの!? 続きってなんの続きのつもりなの!?」
熱く蕩けそうになった小さな身体を退けて、がばっと一気に身を起こすと、トワイライトは起き抜けにも関わらず全力で突っ込みを入れた。
「朝の房事は不老長生にヨイ、ブルーはさっきてれびとやらで知っタ。だからトワイライトが早ク良くナルよう、励ましにキタヨ?」
「都合良く小首を傾げるんじゃない! だいたい励まさなくてもおれはこんなにも元気、いやなんでもないです」
大慌てで体育座りになりつつ、ブルーが着ていた病院着を肩までたくしあげて少女の裸体を覆い隠す。
軽い眩暈を覚えているのは急に飛び起きたためだけではないだろう。
「一応聞くが、これは事後か? お前はおれになにもしていないな? おい、なぜ首を横に振るんだ?」
「心配せずとも、ブルーは十分に精気を」
「あっやだ、こわい、やっぱりやめて。なにも言わないで」
「了解した」
隣に寝転んだブルーが、無防備にも程がある笑みを浮かべてにこにこしている。丈の短い患者衣が捲れて桃のような小尻があらわになっているのをシーツで隠すと、不思議そうな顔をした。その表情すら美しく、トワイライトはまた一瞬の永遠、目を奪われてしまう。
発展途上の肉体は、それはそれで一つの完成形であり、ともすれば一瞬で失われてしまうような儚い少女の理想像をそのまま形にしたかのようだった。すんなりと伸びる脚は艶かしく、少女らしい頼りなさと健康的な色気の両方を兼ね備えている。
「ったく……目に毒もいいところだってのォ」
「目に何か入ったノカ? とってやろうか?」
ごろごろと寝台を左右に転がりながら、ブルーが暢気な調子で尋ねてくる。トワイライトは頭を振って「なんでもないよ」と答えておいた。
少女の青髪が花弁のごとく零れてシーツの上に散らばっている。髪で半分隠れているが、頬は薄っすら桜色をし、すっかり血色は元に戻っていた。魂魄が肉体に定着し、同時に緊張も解けてきたのであろうが、トワイライトの心労はそれと反比例して増してゆきそうだった。眩暈に加えて気分まで重くなったが、今さら気にしても仕方がない。
「だいたいね、お前にはちゃんと部屋をやっただろうが。とりあえず色々落ち着くまであっちでお休みなさいって」
「ソウだったカナ?」
「正直こんなにやんちゃな娘だとは思っていなかったんですがァ?」
「ひとりで眠るのは少シさみシイ。それに、トワイの怪我、心配だっタ」
「あーそりゃ……さいですかァ」
「心配、いけナイ?」
「そういうわけじゃないけどさ。あーでも元気になったからといって、今日みたくおれの部屋に勝手に入ってきちゃだめだかンね」
「なぜ?」
「なぜって」
結局は言い返すことができなくなって押し黙るトワイライトを、怪訝そうにブルーが見つめ返した。言いかえすかわりに片手でがしがし頭を撫でてやると、それが心底幸福であるかのように微笑む。地の底に一人きりでいたというのに、初夏のやさしい太陽を思わせる娘であった。
「……オマエ相手に怒ったり呆れたりしても無駄っぽいもんなァ」
ため息ひとつ。枕元の煙草を手にとって火を点けると、ブルーとは反対側に腰を下ろす。なぜ逆向きに座ったのかと桃色の瞳が問うていたが、こちらの表情がいつも通りになったのを目視してか、ブルーは安心したように再びごろごろと寝台の上を転がった。
みれば大きな枕がお気に入りのようで、急ごしらえの仮部屋からひきずってきたらしいそれを両腕に抱えている。一人で眠るのが寂しいというのは案外本心なのかもしれない。
トワイライトだって、今朝のようなそら恐ろしいハプニングを除けば、傍に他人がいるというのも案外悪くはないと感じていた。それも、この少女――幻にまでみた竜の子どもだからこそなのだろうが。
紫煙が煤けた天井に上がっていく。ボサついた髪を掻きながら、トワイライトはひとりごちた。
「そうねえ……いい加減、暮らしをなんとかしなきゃなァ」
「くらし」
「そ。おまえの服とか部屋とか、あとごはんとか色々、な?」
「ごはん」
ふいに対岸で「ぐうう」と腹の虫が鳴いた。振り返れば表情の乏しいブルーがそれなりに物欲しげな瞳で痛切な何かを訴えていた。
まずは朝餉をなんとかせねば始まらぬようだった。
「ここはどこだ」
「台所。食事の支度をする場所だ」
「その大きな箱はナンダ? それもトワイライトの部屋ナノカ?」
「……これは冷蔵庫といって、おれの部屋ではなく食糧を保存しておくための冷たい箱だよ。地下にも保存庫があるけど、この前の件でたぶん壺とかいろいろ割れちゃってるな。敢えて見たくないから今は行かないけどさ」
「うむ?」
「おまえにゃ教えなきゃいけないことが沢山あるなァ」
トワイライトは烨丰医院の最上階を自宅としている。
居住スペースにブルーを連れて上がると、少女は全てのものを珍しげに眺めては驚きを示した。まず風呂か食事か逡巡したが、ブルーの腹の虫が危急の問題を訴えてやまぬため、結局食事を優先することにしたのだった。
冷蔵庫の中を探れば、案の定ろくなものが入っていなかった。此度の騒ぎで買出しには行けずにいたのだから無理もない。あるのは保存食の瓶詰め数個に余りものの叉焼肉、そして麺の袋が3つ。後者は期限がギリギリだ。よく考えなくとも在り合わせの材料からできそうな献立はひとつだけだった。
「ソバしか出来ないけどいいよな? 温まるぞ」
「ソバ?」
「えーと、温かいスープにつけて食べる細い麺で、葱とか生姜とかの薬味をのせて……まあいいや。ちょっと座って待っていな」
「トワイライトが作ってくれルのか。すごいナ」
「…こんなの別にふつうだしィ」
二十分後。出来合い品を使ってごく簡単に仕上げたものを出すと、ブルーは目をきらきらと輝かせた。表情の乏しい少女だが、やはり空腹だったのだろう。情報を弄ってあるとはいえ召喚体である彼女が食事を必要とするか疑問もあったが、どうやら「食べる」という行為は必須らしかった。
湯気を立てる丼には黄色く透き通る細麺が盛り付けられ、刻みねぎと余りものの叉焼肉が添えられている。手間をかけている余裕はさすがにないので、市販品の鶏出汁パックを戻してスープを拵えた。かといって出来が悪いわけでもない。
「熱いから、気をつけてな」
「ウム!」
ブルーは元気よく頷くと不器用ながらも箸を構え、トワイライトの方をちらりと気にしてから料理に手をつけた。勢いよく食らいついた一口目が熱かったのか、次からはふーふーと息を吹きかけながらゆっくり一口ずつ啜っていたが、徐々にペースが早くなった。そのうちに夢中で麺を啜り始めた。本当に腹が減っていたようだ。「落ち着いて食え」と言って水のコップを差し出すと、あっと言う間に飲み干してしまう。見ていて気持ちの良い、漫画のような食べっぷりである。それに口いっぱいにメシを頬張っている姿はわけもなく可愛らしい。
無防備な横顔を見て、一瞬御し易そうだとすら考えた。トワイライトは自分があらぬ気持ちを抱いたことに気がついてすぐに我に返った。記憶を持たぬ少女の隙に付け込むなんて、さすがにそこまで落ちぶれてはいない。いない……気がする。たぶん。
「……味はどうだ? ありあわせだが、食えないことはないだろ」
「オイシイ! こんなに温かくてオイシイ食べ物があるなんて知ラナカッタ! これはとてもスゴイものだ」
「それはちょっと大袈裟すぎるな。世の中にはもっと美味しいものがたくさんあるんだよ。蟹とか蟹とか、蟹とかさァ」
「ソンナコトはナイ。きっとソバがいちばんダ」
目を輝かせて答えるブルーの頬には鳴門が貼りついていた。手を伸べて剥がしてやれば、恥ずかしがる様子もなく再びソバを啜り始める。この分だともう何をいっても耳に入らないだろう。ブルーの様子を気にかけながら、トワイライトも遅い朝食にありついた。
食事を済ませ、一息いれると、幾分か頭の中身が整理されたようだった。食事に衣料、その他の生活必需品を買い出しに行く必要がある。ハルのところにも顔を出さねば雷が落ちるし、いい加減、腕の刺青も直さねばならない。
トワイライトは買い物リストをメモしながら、デザートに剥いた桃を頬張るブルーを見やった。脂っ気を帯びてしっとりした髪が陽光を浴びて鈍く輝いている。それはそれで艶やかにも見えるが、どう考えても洗髪して培養液の残りや皮脂を落とす必要がある。風呂は必須として、買い出しに出かける程度の服であればなんとか古物で事足りそうだ。
「ブルー、ちょっといいか?」
「ん。桃とやらはウマいナ?」
「食い意地を発揮しているところ申し訳ないんだがね。薬房で注文もしたいし、服とかおまえのものも用意が必要だし、ちょっと外出しようと思うんだけど」
「つまり、ブルーはここで待つのがヨイ?」
「いや、一緒に外に出てみないか。おまえさえ平気なら、だけど」
「ブルーも? ……外に?」
「やっぱり嫌かな」
「……ツイテク。トワイの住んでイル場所、ブルーは知りタイ」
そう答えたブルーの眼差しは真剣で、適当に茶化すことなど出来るわけがなかった。
トワイライトはそっと頷くと立ち上がる。
「そうときまれば支度だな。風呂に湯を張るから、浴びてきな。その間に着替えは見繕っておくから」
「お湯? トワイライトはこないのか?」
「いや、なに言ってんのオマエは」
「ブルーはお湯をどうすればいいのだ?」
「……そうか。そこからか」
もしかしなくても、そもそもの入浴作法から教える必要があるらしかった。
トワイライトはブルーを浴室へ連れていくと、湯を張る傍ら目の前で石鹸を泡立ててみせ、それで身体を包みながら洗っていくよう説明を試みた。しかし、いざ固形の石鹸を渡してみると、ブルーはその剛腕でもって石鹸をぐにゃりと握り潰してしまった。大きく凶悪に発達した手指の中で、白くて四角い物体は、豆腐めいて無惨な形状に変貌していた。
おまけにシャワーヘッドを渡せば水流に翻弄され、湯を浴びる前からびしょびしょに濡れてしまうありさまだった。
暴れ回るシャワーヘッドを足で鎮圧したブルーは肩で息を切らしている。それはどこか水を嫌う猫のようでもあり、笑いと同時に憐れみをも誘う姿だった。
「これは……タイヘンな戦いだな、トワイライト」
「や、これは戦いとかそういう類のものではないんだが」
ブルーの両腕は人間のそれとは大きく異なっている。その身に秘めた力を体現したかのような凶腕では、確かに髪や身体を洗う作業は難しいのかもしれない。
「アー、うん、わかった。髪と背中はおれが洗うから、他はそれを真似して自分で洗うこと。あと入るときはこれで前を隠して」
タオルを渡せばブルーは両手でそれを広げ、不思議そうに首を傾げた。
「ナンダ、この布は」
「いやその、見えちゃうだろが」
「問題が? トワイライトは既にブルーの身体を見てイル。ちがう?」
「い……いいから! そんじゃ服脱いで先中入って椅子に座っていろよ」
「了解シタ」
さっと後ろを向くと衣擦れの音がして、ブルーが患者衣を脱ぎ捨てる気配があった。
浴室のドアが開き、暖かい湯気が足元に溢れ、再び閉まる。
「言う通りにシタ」
ドア越しにブルーが告げたので、トワイライトは自らの髪を後ろに結い上げ、シャツとズボンの裾を捲って浴室へと入る。ほどよく調整された室温が心地よい。
湯煙の中、髪を揺らしてブルーが振り返る。一瞬だけ桃色の瞳が揺らぐと、ぷい、とそのままそっぽを向いた。大きな掌が前を隠したタオルをぎゅっと握りしめている。
「……なぜ」
「なに? どうした、急に」
「……トワイライトも服、ぜんぶ脱グ」
「おま、あのな、無茶を言うなよ。というか別におまえは裸を気にしないンじゃなかったの」
「ブルーだけ服を着てイナイのは、恥ずかシイ……」
ブルーの細く華奢な肩は小さく震え、耳は桜色に染まっている。
朝とは打って変わって生娘のような(実際生娘だとは思うが)反応に戸惑うが、トワイライトは思い当たる節がいくつもあった。やっぱり内面のあれやこれやがにじみ出て嫌われちゃったとか、朝やそれまでのもろもろがダメだったとか。
「あー、ね。そんなにおれって信用ならない?」
「ちがう」
勇気を出して尋ねるが、ブルーはすぐに頭を振った。
「……せ、背中」
「ん?」
「背中を見られる、嫌。ブルーは不完全……だから」
両手で自分を抱きしめて蹲るブルーの背中は、頼りない子どものようだった。否、今は本当にその通りなのだ。自らを竜の子だと謳うブルーの背に、しかし翼は見当たらない。少女はただ無防備な白い背中を晒すばかりだ。
もしかすると、それがブルーのなけなしの羞恥心を煽りたてているのかもしれない。
「肌白くて、輪郭なんか蕩けそうで、ふつうに可愛いですけどねェ?」
「そういう問題、ちがう」
頬を染めながらそっぽを向くブルーだが、その身体からはほんのすこし力が抜けたようだった。少女は湿気で巻いた前髪をくるりとさせたまま項垂れている。
「どうする? 見られンのが嫌なら自分で洗う?」
「……頭、洗って。トワイライト」
俯いたままぽつりとつぶやくのが可愛らしくて、トワイライトはブルーを怖がらせぬよう、努めてやさしく長い髪を手繰り寄せた。少女の髪は埃まみれで、もう少し早めに洗ってやればよかったろうと後悔しつつ指で梳いた。
汗と湿気でぺったりとしてべたつく髪を濡らし、泡立てたシャンプーを時間をかけて揉み込んでいく。蒼みがかった銀髪は柔らかくてコシがあり、泡と馴染ませていくとやがて指通りがよくなった。練絹のような髪は手の中できらきらと輝いてみえた。
「いーなァ。おれ猫っ毛だから、うらやまし」
「トワイライトは猫なのか?」
「髪の毛が細くて弄りがいがないってこと。ブルーはあれだね、お団子とか三つ編みとか遊びがいがありそうだなァ。あとで色々やらしてよ」
「なんかこわいな」
「だからァ、物騒な意味じゃないっての。どの道長いままじゃ街中は歩きにくいから、適当に結わせてな? 昔は師匠の髪もよくやらされたから、一通りできると思うし」
「……わかった。頼んだ」
「じゃ、石鹸流しちまうから目ぇ閉じな」
ブルーがギュっと目を瞑ったのを確認して、一気にシャンプーを流してしまう。その後、丁寧に整髪剤で仕上げをして、もう一度湯で流す。するとどうだろう、ブルーの蒼銀の髪はばっちり元の輝きを取り戻し、天使の輪を宿しているではないか。
手にしたスポンジを握りしめ、トワイライトは己の女子力に打ち震えた。
「よかった、よかったよォ! 師匠にいろいろ仕込まれて辛い日々を送ったのはけして無駄じゃなかったんだ! おれは、おれの女子力は今この瞬間に爆発して……ッ」
「トワイライト、ブルーはいつまでこうしていればヨイ? はやく助けてくれ」
「あっ、ごめんつい。そいじゃお背中流しますので、なんかあったらすぐ言えよ?」
「……うん」
ブルーはどうにも風呂が苦手なようだった。
まるで出来の悪い犬猫を洗っているみたいで、ほんのすこし微笑ましい。それでも不安を煽らぬよう、念入りに泡立てたスポンジで背中をぬぐっていく。戦闘中、あんなにも頼もしく見えた背中は嘘のように小さくて覚束なげだ。
「……トワイライト」
「なに? 痛い?」
「いや、そうじゃない。……ブルーはほんとうに」
「なんだ、どうしたんだ?」
「ブルーはほんとうに此処にいてもヨイ? ごはんも作れナイ、風呂にも上手く入れない。ブルーは、なにも知らない。それでも、トワイライトの負担に……なりはしないか?」
泡まみれのまま振り返って聞くブルーの顔は真剣だった。どこか切迫し、泣き出してしまいそうでもある。
トワイライトは自らを追い詰める言葉をさらに吐こうとするブルーの鼻をつまんでやった。
「ふば!? ひゅび、はなぶ!」
「バァカだね、おまえは。あと数百年はおれにくれるんじゃなかったのかよ」
「ぷは、トワイライト……それは、その……記憶がナイから、スマナイ」
「記憶が無いアルぅとかって毎回泣きごと吐かれちゃ困るからもっかい言うけど、おれがおまえを完全にしてやンだから、ブルーはなんにも気に病む必要なんてないんだよ」
「……それは、約束か?」
「覚えてナイだろうけどね。ほら前向け前、さっきから見えてンだよ色々」
ぐぎぎ、と謎の抵抗をみせるブルーの顔を前に向けさせる。さきほど振り向いた拍子にブルーはタオルを放り出していた。それはたいそう眺めのよい光景であったが、目の毒には違いなかった。
「トワイライトが、ブルーを完全にしてくれる」
「ああ。そうだよ。だから今は大人しく洗われてな」
「……うん、わかった!」
得心がいったのか、こわばっていたブルーの背中からは余計な力が抜けて、再び伸びやかさを取り戻していた。
そのまま背中を流し終えると、他は同じ要領で洗うように言ってスポンジを渡し、トワイライトは浴室をあとにした。
直後にくしゃみをする声が聞こえて苦笑する。ともかく、もう心配はいらないだろう。
トワイライトは部屋に戻ると、古い洋服箪笥をあさりはじめた。
ちょうどいいお下がりがあればよいのだが。




