日々を彩らず、ただ自然に
僕と彼女の放課後は、再び日常になった。
昇降口の柱の影に立つ彼女。
坂道を並んで歩く二人の影。
交差点で別れ、明日を約束するその一瞬。
それらはすべて、夏休み前と同じように繰り返されていた。
──いや、むしろ以前よりも自然になっていた。
待ち合わせの合図もいらなくなった。
僕は下駄箱で靴を履き替え、ふと顔を上げると、必ずそこに彼女がいる。
言葉もなく目を合わせ、わずかに笑みを浮かべて歩き出す。
その流れが当たり前になっていた。
けれども、「当たり前」には必ず影が潜んでいる。
日常は甘美であると同時に、少しずつ色を失わせていく。
坂道を歩きながら、彼女は今日も色々なことを話していた。
「この前さ、駅前の古本屋で偶然面白い本見つけて」
「隣のクラスの先生、めちゃくちゃ早口でさ」
「コンビニの新作アイス、絶対食べてみて」
その声は相変わらず柔らかくて、聞いているだけで心が落ち着いた。
だけど、僕はふと気づいた。
返す言葉が、少なくなっている。
以前なら一つひとつに感想を返していた。
「へえ、面白そうだね」とか、「わかる、それ昨日見た」とか。
でも今はただ、「うん」とか、「そうなんだ」とか。
短い言葉しか出てこなくなっていた。
彼女もそれに気づいているのかいないのか、変わらず笑顔で話し続ける。
けれどほんの一瞬、僕に目を向けるとき、どこか探るような表情を浮かべるのを僕は見逃さなかった。
──本当はもっと話したい。
──もっと彼女のことを聞きたい。
そう思うのに、口を開くことができなかった。
胸の奥にある言葉はすべて、「好き」という一言に行き着いてしまう気がして。
それを言ってしまえば、この関係が壊れるような恐怖が常に付きまとっていた。
だから僕は黙る。
だから彼女が話す。
その均衡の上で僕らの関係は成り立っていた。
夕陽が差す交差点に着く。
車の音、信号の電子音、人々の足音。
彼女はいつものように笑って言った。
「じゃあ、また明日」
「……うん、また」
そのやり取りに、もう胸が熱くなることはなかった。
代わりに、どこか安心と、そして少しの退屈が同時に生まれていた。
──僕らはいつの間にか、互いを「日常の一部」にしてしまっていた。
家に帰ると、机にノートを広げながらぼんやり考える。
彼女と過ごす時間は確かに大切だ。
でも、もしそれが永遠に続いたらどうなるんだろう。
好きだと言わない限り、何も変わらない。
言ってしまえば、壊れるかもしれない。
僕はその狭間に立ち尽くしていた。
夜、眠りに落ちる直前。
頭の中に浮かんだのは、彼女の声だった。
「ねえ、なんでそんなに黙ってるの?」
あのときの問いが、今もずっと耳の奥に残っている。
僕はその問いに、いまだに答えられないままだった。




