第302話 帝都決戦 二
後ろを振り返る余裕などない。
氷邑梅雪は、以前に戦った時より苛烈さを増している桜の剣を、全力で捌かねばならなかった。
時刻はすでに夕暮れ時。
複雑にパイプや歯車が絡み合った、そびえたつ帝の居城──帝都蒸気塔。
あちこちから白い蒸気を噴き上げるその塔は、梅雪の背後から差す夕日を受けて、長い長い影を帝都に落としていた。
斜陽の中で、桜の顔が影に染まる。
それは彼女の操る『影』のような、黒い、のっぺりした、表情のわからない顔だった。
だが、感情は伝わって来る。
桜の声は、あまりにも、感情を隠そうという意思が感じ取れない。
「凄いよ梅雪。『死』を間近に感じる! 私、生きてるんだ!」
「そうか。今、死ね」
空中で斬り結ぶ。
『空中で地を踏むように』ではない。三次元的な軌道で、時折自由落下さえ交えながら、上下左右前後、あらゆる角度で相手を殺すべく、二人は刀を振るいあう。
梅雪側はシナツの加護によって風を操り、空を舞う。
一方で桜がどういう仕掛けで飛んでいるのかと言えば──
……ばちばちと。
桜の足の下で弾ける雷光を、梅雪は見た。
「……貴様、ミカヅチの迷宮を見つけたのか」
ミカヅチ。
それは、桜の師匠である剣聖シンコウが得ていた加護の神である。
神の加護を受けられるのは、神ごとに『地上に一人』のみ。
なのでシンコウが死んだ今、ミカヅチの加護は空いていた。
……しかし、迷宮の発見というのは、通常通りやっても、困難を極める。
『ここらへんにありそうだな』というのをわかって探さないと、このクサナギ大陸においては、迷宮というのはなかなか見つけられないものだ。
梅雪であれば大体の場所を覚えているので発見は可能であった。
……が、ミカヅチの迷宮は穴山家の持ち物である。これに手を出す政治的な面倒くささがあり、なおかつ、梅雪は、剣聖の死後──熚永平秀の乱以降、まとまった時間を取りにくい状況にあった。
とれたとすれば『ニニギの迷宮に行く前に、ちょっと寄るか』というぐらいだが、梅雪の住んでいる帝内地域は現実日本で言えば畿内地域で、ミカヅチの迷宮は山梨・甲府あたりに存在する。そしてニニギの迷宮は九州である。位置的に『ついで』で寄れるような場所ではない。
が、たとえ寄れたとしても、梅雪は自分がミカヅチの加護をとれるとは思えなかった。
剣聖シンコウから受け継がれた気持ち悪い運命的なものが、どうあっても桜にミカヅチの加護をとらせるのではないか──こういう予感が、ひしひしとしていたのだ。
だから梅雪は、桜がミカヅチの加護を引っ提げていたことに、さしたる驚きを覚えなかった。むしろ、腑に落ちた、という感覚だ。
……加えて言えば、アシュリーを側近にしている以上、ミカヅチの加護を取りにくかった、というのもある。
ミカヅチの加護は『騎兵の行動を停止させる』というものだ。
これをとってしまうとアシュリーを『ただの幼女』としてしかそばに置けない。
加えて、もしも九十九州入りの前にとっていれば、こうして黄金龍に乗って帰還するのも、多少の面倒と無防備(アメノハバキリによる加護のオフを行うと、索敵や急な襲撃に対応するための速度などが犠牲になる)にさらされたことだろう。
シナジーを考えた結果、梅雪はミカヅチの加護をあきらめた。
郎党の誰かにとらせようというのも、実力(迷宮を攻略できない者は加護を受け取れない)や相性などを加味して、誰も取らせたい人物がいなかった。
強いて言えばヨイチあたりにとらせたら強そうではあったが、いない間の政務を任せている都合上、さすがに『ついでに迷宮を探索しろ』とも言えない──
──迷宮に挑むというのは、内部でどのぐらい時間が経つか、未知数なのである。
梅雪がシナツに挑んだのも、当時の父・銀雪が過剰に放任主義でなければ、監督付きでなければ許されなかったことだろう。
閑話休題、桜がミカヅチの加護を得たということは、黄金龍はこの戦線に復帰できない、ということだ。
あの白色破壊光線をモロに受けて無事であれば、ではあるが……
まあ、黄金龍そのものはどうか知らないが、搭乗員の心配はしていない。
何せあの内部には父がいる。
白色破壊光線を身に受け止められる人材はこのクサナギ大陸でも限られているが、そのうち一人が父であることは、疑いようもない。
……そして。
梅雪と桜が、宙を踏み、何度目かの鍔迫り合いをする。
鍔迫り合い──『するつもりのない鍔迫り合い』をしてしまうのは、互いに互いの剣を避けきれず、また、刃に触れた相手の力を流し切れないからだ。
技術が間違いなく伯仲している。
……だからこそ。
鍔迫り合いをする梅雪と桜の頭上から、一条の火炎が降ってくる。
その火炎の正体は──
──全身火炎化を成し遂げた、ウメ。
「っ、わ」
桜が脳天から真っ二つにされる。
梅雪はウメの落下先に風の地面を出しながら、左右に両断された桜を蹴り飛ばし、距離をとる。
「どうした、まさかこの俺が、貴様ごときと一対一で剣を交えてやるとでも、思っていたのか?」
上に忍ばせていたウメの一刀は、確かに桜の命を削る。
……だが、まだだ。
ニニギの知識でこういう不知死のストーカーを殺すことは可能になった。
しかしまだ削りが足りない。
ニニギの膨大な知識を得て、梅雪は改めて実感させられた。『裏技、一部の人のみが使っているずるなどというものは、基本的に世の中には存在しない。何かを成し遂げる者は地味な積み重ねあってこそその成果を掴んでいるし、何かを楽に成している者は、その裏に膨大な修行・練習の時間を重ねている』と。
つまり、『楽に一撃で不知死の者を殺す必殺技』みたいなものはない。
手順を積み上げ、削り、殺す。
桜は……
真っ二つになって、体を左右で分けられ、自然落下していく桜は。
断面から黒い影を伸ばして左右に分かれた体をくっつけ、
「梅雪はそういうやつだよね」
笑う。
笑って、すぐさま、宙を蹴り、梅雪に肉薄する。
それをウメが阻む。
やはり、鍔迫り合いに持ち込まれる。
桜と剣を交えると、剣聖とやった時のように、刃と刃が奇妙にねばつく感覚があるのだ。
技術的なものももちろんあるだろうが、それ以上に、性格的なものを感じざるを得ないねばつきだった。
「知ったふうな口を利くな。不愉快だ」
梅雪は鍔迫り合いをする桜の隙を探す。
切っ先を突き込めるぐらいの隙ではない。もっと大きな動作を伴う攻撃を入れる、そういう隙だ。
だが、やはり、ない。
……削って削って、相手を疲れさせ、大技を入れる隙が出来る状態にしていくしかないだろう。
「ねえ梅雪、私さ、梅雪と二人きりになるにはどうすればいいか考えたよ」
「おぞましい」
「それでね、思いついたんだ。──他の人が介入できない状態にしちゃえばいいんだって」
梅雪は警戒をもう一段高めた。
何かをするのは、わかる。
想定も可能だ。
恐らくは、物量。
梅雪以外が対処に回らねばどうにもならないほどの物量を、『影』によって出す。
そうして一対一の状況を作るつもりなのだ──梅雪は、こう考えた。
大枠は合っていた。
ただし、二点、見誤っていた。
一つ。
桜の神威量。
「開こう、すべて」
……頭上を影が覆った。
唐突に出現したその天蓋に、思わず梅雪は視線を奪われる。
……それは。
それは──
「ヴィヴィアナ、遠慮なくやっちゃいな」
──それは、桜が呼び出す、『想いを継いだ仲間』の一人。
桜の少し後ろ、空中に座るその黒い影は、九十九州において暗殺者により斬り殺された『魔法使い』ヴィヴィアナ。
そのヴィヴィアナの大・迷惑術式が発動している。
『異界との門、無節操に開きっぱなしにする』という、スタンピードを発生させるだけの、ド迷惑行為。
九十九州の決戦において、梅雪を相手に行った『最後っ屁』。
それが、『帝』という強固な神を戴き安定していたはずの帝都に、複数の異界との穴を空ける──すなわち、人々の中で、『帝は死んだかもしれない』と思われる何かがあった、ということだ。
とはいえ『影』となった以上、神威は桜が供出する。
桜は──
──複数の異界との門を開くヴィヴィアナに、神威を送り続けられるだけの神威量を保持するに至っていた。
そしてもう一つ、梅雪が何を見誤ったかと言えば……
「どうする梅雪? これから──帝内地域全土を氾濫が襲うけど」
──倫理観。
もともと壊れた女だとは思っていた。
だが、それでも、『関係のない者を巻き込まない』という……常識、ではなく。慈悲、でもなく。『己で己に課した決まり』みたいなものが、桜の行動には通底していた。
中国地方での砂賊糾合事変。その時の桜の動きから、梅雪は自分の中の『桜像』を修正した。そしてそれは、正しい修正であった。
……だから、見誤ったのは、倫理観というよりも。
「これで、二人きりにならざるを得ないね」
桜から自分への、想いの強さ。
確かに桜は、己で己に課した決まりを変に守る。
それはこういう常識外れの思考をするものによくある精神の働きだ。こういう連中は社会のルールや人の迷惑などはまったく顧みない、そもそも意味がわかっていないが、自分で自分に課したルールだけは本当によく守る。
だが、想いの強さが、その強固なはずの『自分ルール』を曲げさせた。
梅雪はすべてを察した。
本当に、冗談でも比喩でもなく、帝内地域にいるすべてが、危機に陥る。
──当然、氷邑邸にいるはずの夕山や、義母のトモリなども含まれる。
「貴様……貴様は、いったい、なんなんだァ!?」
あまりにも狂いすぎていて、梅雪はまだ言語化しきれていない問いを吐き出さずにはいられなかった。
桜は楽しそうに、口をにんまりとさせている。
「私は『命』が大好きなんだ」
まったく嘘に思えない発音、抑揚であり、梅雪は言葉も出ない。
「その『命』を感じさせてくれるあなたも、好きだよ。梅雪」
言葉は明瞭で、発言には一切の嘘がない。
だからこそ、意味がわからない。
梅雪は、桜の思考を追うことをやめた。
頭がおかしくなりそうだったからだ。
「貴様の話に付き合おうと思ってしまったのは、俺の失態だ。──何も理解せぬ。何も考慮せん。ただ、死ね!」
梅雪の殺意がほとばしる。
……それは、使命感にも似た殺意だった。
これまでは、『なんか気持ち悪い、絡んでくる女を手打ちにしたいな』ぐらいの、言ってしまえば緩い殺意ではあった。
だが、今、改めて、氷邑梅雪の殺意は更新される。
──この生き物は、生きていてはいけない。
生きているだけで、世界を脅かす──侵略的外来種。
梅雪の剣に使命を帯びた殺意が乗る。
斬り合いが加速し……
帝内地域全土が、戦場と化す。




