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湯けむり猫のお宿はいつも雨降り  作者: 蒼山 螢
2章 朝にまたたび
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4

 テーブルに乗る、空のお椀、お箸。料理が乗っていた小鉢、皿。向かいに座る、白と銀の兄弟。明るい和室を見回す。すべてはここにあるのに、わたしたちが本来住む世界とは違う。ここでは、わたしと孔輝が異質なのだ。


「どう、しよう」


 孔輝は震える瞳でそう答えた。なんだか少しがっかりして、それを顔に出してしまう。孔輝も不安なのに、ここで責めてどうする。あんまりだ。わたしの顔色に気付いた彼は悲しそうに言う。


「ごめん」


 怖いのは孔輝も一緒なのに。

 睡眠欲と食欲が満たされたあとにこんな絶望を味合わせられるなんて。絶望なんか欲しく無いよ。まだやりたいこともあるし、10代なのに。つぼみのままで死んでいく、いや違うな、消えていくなんて。

 そこまで思って、再びぞっとした。消える? まさか。どうなるのかな。思考が追い付かず絶望しか感じられない。黙り込んでしまった。


「ねぇ孔輝くん、そこは『俺に任せろ』とか言っておけば明日華ちゃん惚れ直すと思うよ」

「ばっ……ええ!」


 暗く沈んでいたはずのふたりが勢いよく顔をあげた。惚れ直す?! 誰がいつ誰に惚れたというのか! わたしは掴んでいた孔輝の浴衣を離した。


「明日華ちゃん、ちょっと『頼りないなぁ』っていう顔してるもん」

「牡丹、それが当たっていても言っちゃだめだよ~」

「そうかな」


 仲良し兄弟。わたしたちを無視するな。


「彼氏がそんなに情けない顔してちゃ、ねぇ」

「かかか、彼氏なんかじゃないし!」


 わたしは全力で否定した。孔輝の様子が気になったけれど、顔を見ることができない。


「あれ、そうなの? ねぇ、違ったみたいだよ、萩」

 牡丹さんは萩さんを見た。ふたりで肩をすくめている。なんなの……。

「そっか。でも部屋はあのまま一緒でいいんでしょ?」

「え? あ」


「しばらくはここに居て良いから。衣食住は心配いらない。まぁちょうど手伝いを探していたところだし、うちは助かる」


 ここに居ていい、だと……更に手伝う。住み込みのバイトか。

 いやいや、心配いらないって言われても、はいそうですかと納得できるわけがない。わけの分からないままこの猫町だか森だかに迷い込み、気付けば猫のお宿。そしてこの世界から出られなくて、この宿で寝泊まりするのか。旅館の手伝いをしながら。いったい、いつまで?

 萩さんは、飲み終わった湯呑をテーブルの端に寄せた。


「牡丹、孔輝くんに薪割りさせる気なんだろう」

「だって、あれ肉球にマメができるし、カサカサになるんだよ」

「仕事なんだからちゃんとやらなくちゃ」

「もちろんやるよ。手伝ってもらえば早く終わるじゃない?」


 また、わたしたちの気持ちを置き去りにして、ふたりはなんだか楽しそう。


「うう」

「ばか、泣くなよ!」

「だって、だって。帰れないのに」


 泣こうと思っていたわけじゃない。でも、悲しいし悔しい。抑えようと思っても涙が出てくる。


「怒ったり泣いたり、忙しいなぁ人間は」


 のんびり言う牡丹さんのその態度が癪に触った。イライラがぶくぶくと膨れあがった。


「なによ……人間にいたずらして楽しんでる妖怪のくせに。困ってるわたしたちを見て、内心、喜んでるんでしょ」


「おい、八つ当たりするなよ。助けてもらったのに、そんな風に言うな」


 孔輝がたしなめてくる。たしかにそうだ。怒りと不安を兄弟にぶつけても仕方がないのに。

 牡丹さんの顔を見ると、瞳がきゅっと締って、きらりと光った。怒ったのだろうか。わたしはごまかすように、垂れそうになった鼻水をすすった。


「じゃあ知らないよ。勝手にそのへんでのたれ死ねばいいよ」


 牡丹さんはつんとした顔をしてふいと顔を背けた。


「まぁ牡丹。子供相手にそんなにムキにならなくてもいい」

 萩さんがテーブルの食器をお盆に片付け始めた。

「すみません……」


 孔輝はわたしの頭を掴んで一緒に下げさせる。首に力を入れて深く下げないように抗った。よくないことを言ってしまったと思っても、すぐに謝るのが嫌だと思ったから。そんな風に思う自分がとても嫌だった。


「ふたりとも、お茶飲んで落ち着いたら帳場へおいで」


 かちゃかちゃと音を立てるお盆を持ち、萩さんが部屋を出て行った。牡丹さんもそれに続く。和室にふたり残され、目の前にある湯呑をじっと見つめていた。


「……あんな言い方するなよ」


 孔輝が低く言った。


「……だって」

「愚痴言って八つ当たりしている場合じゃないだろ。ここから出ることを考えないと」

「うん……」


 戻るぞと言われ、孔輝と同じように自分に出された湯飲みを持って立ち上がる。足を少し気にしているようだ。


「痛む?」

「少し」


 崖から落ちてこの程度の怪我で済んだことを幸運に思わなければいけない。キシキシと鳴る廊下を戻った。


 部屋に入ると、わたしと孔輝の服が畳んで置いてある。いつの間に……湿っている様子は無い。きちんと乾燥させてある。


「靴も乾かしてある」

 孔輝はスニーカーに手を突っ込んで驚いている。

「裸に浴衣だったから驚いたけどな。親切な妖怪で良かった」

「たしかに、親切だけれど……」


 カーディガン、スカートなど身に着けていたものは全部乾いている。靴下に少し土の汚れが残っていた。崖の下で、不安でたまらなかったことを思い出した。

乾いた服の匂いを嗅いだりして、着替えようとしている孔輝はなんだか楽しそうに見えてしまう。


「孔輝、怖くないの? 不安じゃないの?」

「そりゃあ、怖いに決まってるだろ」


 強がりを言うと思っていたら、あっさり認めた。


「お前さぁ、さっきからずっとそうだけど、文句ばかり言っても仕方ないだろ。なにも変わらない。現実を受け止めろ」

「も、文句って」

「実際こうなんだから仕方ないだろ? 目を逸らしていたって、いま俺たちは、なんかへんなところに迷い込んで、携帯も繋がらないしまわり化け猫や猫又、妖怪だらけ。それが現実だろう。ちゃんと受け止めてそれから考えろ」


 ぴしりと言われて、なんだか体の奥の方が震えた気がした。


「孔輝、なんか凄いね」


 やんちゃなイメージは変わらず、そのまま大きくなったような気もするんだけれど。ちゃんと受け止めろ、考えろと真っ直ぐな視線でわたしに言う。


「お前、俺のこと馬鹿にしてんのかよ……」


 呆れた様子でうなだれてから、ぱっと顔を上げた。


「さ。早く着替えて帳場に行こう」

「う、うん」

「俺、こっちで着替えるから」


 部屋には窓際に障子で仕切られるスペースがあり、洗面台が付いている。孔輝はそこへ入り、障子を閉めた。


 わたしがトイレで着替えても良かったのに。障子の向こうで服がこすれる音と気配を感じながら、わたしも綺麗になった服に着替えた。



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