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「いやああああああ」
なんなの。怖いよ、怖い! やばいどうしよう失禁するかもしれないいまこの場で。
「明日華うるせぇご飯粒が口から出てる」
食事と一緒に出されていた手ぬぐいで、孔輝が顔を拭いてくれた。いや! そうじゃなくて!
「なにを落ち着いてんの……! わたしたち、妖怪に取って食われるかもしれない……!」
小さな声で孔輝に吠えた。また口からご飯粒が飛び散る。
「きったねーなぁ……。こんな優しそうなのに、俺たちのこと食うわけねーだろ」
「……そ、そんな」
この落ち着きぶりはなんなのだろう。
「ハハ。食べたりしませんよ~」
萩さんが手をひらひらさせて笑った。いまの会話、聞こえたの?
そうか。猫はひとの何倍も聴力がある……って、やはり猫なの? 疑いようもないことなの? 誰も否定しないの? しかも普通の猫じゃない。
「人間を驚かせたいから体を大きくしたり、ひとに化けてみたり。別に懲らしめてやろうとかいう気持ちじゃありません。いたずらというか、遊びに近い。じゃれたい。人間と暮らしていた子たちは、懐かしくて嬉しくて、そんなことしちゃうんですねぇ」
牡丹さんがしみじみといった様子で話している。萩さんは自分も湯飲みでお茶を飲んでいる。
「まぁ、なかには呪い殺そうと思っているやつもいますけれど、ここにはいない……あちち、ちょっとお茶が熱かった」
「萩、火傷してない?」
「大丈夫。牡丹も飲むかい?」
「いただこうかな。喉が乾いちゃった」
萩さんは茶びつから湯飲みを取り出し、急須にお湯を注いだ。
「……猫舌か……」
「じゃあ、俺たちを林の奥へ誘い込んだのも、いたずら?」
孔輝はわたしの言葉が聞こえなかったのか、ふたりに話しかけた。
「ちょっと待って。人聞きの悪いこと言わないでいただきたい。それは俺じゃありませんね」
「違うの……?」
遠目にしか見えなかったし、木々の間に見えた猫とさっきここに来た猫は白猫だという共通点しかない。目の色だってよく見えなかった。
「似てたんだ。あのとき見た白猫。飼っていた猫に……だから、思わず」
ポツリと言う孔輝。そうだ。混乱の中にいて忘れていたけれど、孔輝の飼い猫は白猫でその子を、亡くしたばかり。
「萩、この子たち、どこにいたの?」
牡丹さんが、萩さんを見ながら言った。
「見送りに行った帰り。沢に足突っ込んでびしょびしょになって倒れていたのを見つけました。あ、だから勝手に悪かったけれど、着ていたものは洗って干してあります。畳んでおきますから」
そうだった。自分の着ているものが脱がされていた恥ずかしさをまた思い出す。
「見送りって、1丁目のピアール」
「ピアール……」
「そうそう。彼、大船渡の猫町に行くからね」
「萩に懐いていたもんね。あのチビッコ黒猫」
「三陸の美味しいもの入るだろうなぁ大船渡だと。羨ましいねー」
「ねー」
顔を合わせて仲良しだな、この兄弟。そして、こんな不思議な場所が大船渡にもあるっていうの。ピアールくんという黒猫は旅立ったのか。
「いや、あの。その、だから、俺が飼っていたのが、白猫で」
「あ、ごめん」
話を戻したくて孔輝がおずおずと声をかけた。兄弟仲良しなのはいいけれど、どうもさっきからわたしたちを放置して会話をする。自由というか……。
「君たちが見た猫は、俺ではないようですね。あと、長く生きているけれど、俺に君の記憶は無いから、ここへ呼んだわけでもありません」
「そ、そう……だよな」
「生きている人間を呼び寄せることは、本来、出来ないですから。住む世界が違う」
萩さんが真剣な表情で言うと、孔輝は肩を落とす。
「自分の猫だと思ったの?」
「まあな。いつでもどこでも白猫を見かけるとつい追ってしまうよ」
孔輝は、猫をとても可愛がっていた。ペットロスという言葉と、どういうものかぐらいは知っている。孔輝はいま、生傷を抱えているようなものなのだ。そう考えると苦しくなる。
「愛されていたんだなぁ、きみの猫。幸せだったろうね」
寂しさから抜け出すには早すぎる。下唇を噛んでいる横顔に、胸が痛んだ。
「あー……だめ。思い出すと」
見ると孔輝は目を潤ませている。わたしは見ていないふりをした。みんなの前では大っぴらに泣けないだろうし、我慢しているところも見られたくないだろう。飼い猫を可愛がっていたことは知っているだけに、とても切ない。孔輝は顔を隠すようにしてお味噌汁を飲んで、箸を置いた。
「この町にいるのでは、とも思ったのですが」
その言葉に反応し、孔輝が顔をぱっとあげた。
「長生きした子が行方不明になった、とかいうならともかく、寿命かご病気で亡くなっているんですものね?」
牡丹さんが首を傾げ、孔輝を見た。
「そう、ですね。先週なんですけど。病気でした」
消え入りそうに、ぼそぼそと話す。
「じゃあ、いないか」
「……そうなんですか?」
萩さんが頷く。
「猫叉は、そりゃあ長生きした猫がなるものだからね。恨みがあって化けて出るならまた別な話だけど、可愛がって貰っていたなら、可能性は薄いでしょう」
「そうか」
孔輝は目を伏せた。
「その子、ええと名前は」
「ネネ」
「女性ですね」
顎に指を当てて萩さんがそう聞いてきた。
「じょせ……メスです」
萩さんって、とても真面目か天然かどちらかなんだな。綺麗なお顔を少しも変えずに、湯飲みにまた口をつける。
「例えば……転生後に長生きして猫又になり、記憶が少しでもある。そういうことなら望みはあったかもしれないけれど、先週じゃあそれもなさそう」
牡丹さんが言う。孔輝は、ぐっと下唇を噛んでいた。なんて顔をしているの。
「そうだよな。死んだネネに会うなんてそんなの非現実的だ。もうここに1泊しちゃってるんだし、帰らないと」
「そう、だね」
牡丹さんが目を細めた。微笑みのなかに、なにかを含んでいるような。そして彼は口を開く。その言葉に耳を疑った。
「どうせ、君たちはここから出られないよ」
ヒュッと、喉が鳴ってしまった。え? え?!
「で、出られない? なにそれっ。どうして」
「さあ。それは俺たちにも分からないよ」
「そ、そいえば」
持ってきたリュックを漁って、携帯を取り出す。充電は半分になっていたけれどまだ使える状態だった。しかし、電波が無い。そういえば昨日、崖の下でもそうだった。
「電波、無いの」
「うそ。いつから?」
「昨日、落ちたときには繋がらなかった」
わたしは再び兄弟を見た。
「家に帰れないってこと?」
「自分たちの世界に戻れない……?」
どう言い換えようとその事実に変わりはないのに、わたしと孔輝は喚いた。
「うーん。戻る方法は、いまここでは分からないなぁ。自分で見つけるといい。あるのならばの話だけれど」
「そ、そんな……」
「ここに迷い込んできた人間たち、その後どうしたか知らないもん」
牡丹さんがなんとなく言ったその言葉は、わたしの腕を泡立たせた。血が下がっていくのを感じる。ここから出られない? 戻れない? その後、ここの住人にも気付かれないような末路なの?
「やだっ。孔輝、ど、どうしようっ」
孔輝の肩を掴んで揺すった。兄弟が猫の妖怪だと分かったときも怖かったけれど、いまはまたそれと違う恐怖が襲っている。
「親も、サブちゃんも美智も、みんな心配しているよね……どうしよう」
「どうするったって、分からないよ」




