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改めて部屋を見ると、六畳二間で障子窓、床の間には、猫の形をした焼き物。おそらく用途は花瓶。木の天井は濃い茶色をしていて、年期が入っている。ここ数年でできた宿ではなさそうだ。
「青葉山にこんなお宿もあったんですね。知りませんでした」
「ああそうか。君たちは青葉山方面から来たんだよね」
「方面って」
牡丹さんは人差し指を顎に当てて、考える仕草をした。なんだか可愛らしい。
「広瀬川から来る人間もいたなぁ。もしかして政宗騎馬像におしっこかけたりした?」
「し、してません!」
「そう。……ああもう君たちちょっと宿泊客と違うから普通に話させて」
「……どうぞ」
牡丹さんは、部屋に入ってきたときとまた印象の違う声を出した。不思議なひとだな。
「あの騎馬像にのぼったり、いたずらしたりするやつがいてね。時々ここに飛ばされてくるんですよ」
と、飛ばされる?
「悪いことしたら、自業自得だよねぇ」
牡丹さんは、ふんと鼻を鳴らした。
「……と言いたいところだけど。政宗様が、助けてあげなさいっていうから」
「ま、さむ、ね」
孔輝がひっくり返った声で言った。ちょっと待って。どういうことなの。牡丹さんの話に思考が追いつかない。飛ばされる? 政宗様? 政宗って伊達政宗のこと?
「政宗様、普段は騎馬像から世間を見守っているんだけれど、あ、ごめん政宗様はこのへん一帯を治めている聖なる魂で守り神的存在なんだけど、もうずっと昔に格調高い魂になってて無敵なんだよね」
なにがどうしたって? 混乱どころの話ではない。わたしと孔輝は思考停止だ。もう話に追いつけない。政宗は死んでからもなおこのへんを見守っているのか忙しい。いや、そうじゃなくて。
「そんな雑な説明をいきなりしてもダメだろう。牡丹」
突然、牡丹さんのうしろから声がした。名前を呼ばれた牡丹さんは肩をすくめた。
「おふたり、お食事はこちらです。立てますか?」
また着物姿の男性。長く真っ白な髪の毛をひとつに束ね、牡丹さんと同じ青い目をしていた。
「……なにごと」
「さきほどはどうも。萩です」
「えっ? えっ」
目の前にいるのは人間だ。ちゃんとわたしたちに通じる言葉を話している。牡丹さんと一緒。白髪なだけで、特別変わったところは見当たらない。さっきはどうもって。萩、兄の萩は猫……。
「ほら、牡丹がちゃんと説明しないから混乱してるじゃないか。いたずらして迷い込んだ人間と違うんだからちゃんと言わないと」
「ごめんって」
「そうそう。いたずらといえば今朝なんか玄関に腐った魚が置いてあったけど、ああいうのはやめて欲しい」
「なにそれ。悪いことしたらしっぺ返しが来るよ。自業自得」
わたしたちがここへ来たことと腐った魚とどう関係があるのだろうか。
ふたりの会話内容がさっぱり理解できない。孔輝を見ると、口を開けて放心状態だ。
「さぁ、話はあっちで。お腹が空いたでしょう。朝食へご案内します」
わたしと孔輝は、人間の萩さんに促されるまま、ぎくしゃくと立ち上がり、部屋を出た。
◇
障子が開けられた窓から、背の高い木や低い木に太陽の光が当たって、キラキラ揺れているのが見える。わたしと孔輝は並んで座り、そばに牡丹さんと萩さんが座っている。細い廊下を通り案内された部屋は12畳ほどだろうか。畳の部屋で、床の間には壺があったり、なにが入っているのか分からない木箱が重ねられた棚や背の低い箪笥のようなものが置かれている。
「お口に合うかな?」
「美味しいですぅ」
「美味しい、美味しい。腹ぺこだったから」
隣で叫びながら食事をする孔輝。わたしは頷きながら炊きたての炊き込みご飯を頬張っていた。筍がたくさん入っている。
空腹だった。けれど、知らない場所、知らないひと。調子よく用意された食事。簡単に口に入れていいのかと警戒していた。その様子を見て「毒なんか入っていないよ」と牡丹さんが言ったのだ。結局、空腹には勝てなくて、口を付けた。
メニューはというと、筍の炊き込みご飯、焼き鮭。なめこの味噌汁。茄子の漬け物。わらびとベーコンの炒め物の中にもう1種類食材が入っているんだけれど、なんだろうこれ。
「これ、なんですか?」
箸でつまみ、牡丹さんに見せた。萩さんはお茶を煎れてくれている。
「またたびの芽。元気になるよ」
ま、またたび? 初めて食べた。
「そうだ牡丹。今朝、採ってきたものは醤油につけておいたよ」
萩さんは牡丹さんにそう言った。
「いいね。漬かったら、町内会長に届けようか」
「そうだな。好物だから」
「あんまり塩分濃いのは体に悪いのにね」
「ね~」
ふたりはふふふと笑っている。また不可解なワードが出ているぞ。ご飯は美味しいけれど、夢であって欲しい。
「町内会って……」
わたしの言葉を聞いて、牡丹さんと萩さんは笑うのをやめた。萩さんが「お茶どうぞ」とわたしと孔輝に配ってくれる。
「きみたちが驚き戸惑っているのは、自分がいまどこにいるのか分からなくて、それがどうやら生活をしていた世界とは違っていると薄々気付き始めたからですね。そして、我々を不思議がっている」
「萩、なにそれ回りくどいよ」
「なんだ牡丹。だってそうだろう」
「そうだけど」
ちょっと黙ってなさいと牡丹さんを制して、萩さんはわたしと孔輝の顔を交互に見た。
「ここは人間界の隙間に漂う、猫の町です」
「……は?」
ネコノマチ。なにそれ食べもの?
「猫の町って」
孔輝が震える声で言う。なにを言っているのだろうこのふたりは。わたしは箸と茶碗を置いた。
「さっき牡丹がした説明は雑だったけれど、まぁ人智を越えた力がここを作ったとしか言えません。いつできたか誰も知らないですし。政宗様は、まぁ人間が知る伊達政宗であるようなそうではないような。魂というのは長くも短くもあり、強くもあり弱くもあり、簡単なようで難しいものなのです」
「萩の説明が難しくて俺、髭が震える」
「ああ、ごめん」
萩さんが真っ白な髪をすいっと撫でつけた。なんだかその仕草がとても優雅である。でも、今してくれた説明は、てんで頭に入らない。ナニイッテルノコノヒト。
「まぁ簡単に言えば、ここは人間界とは別なところで、森の中に形成された町に猫達が住んでいる。猫の町でも猫の森でもどっちでも好きに呼んでくれれば。まぁ住所的には仙台市猫町2丁目」
住所がしっかりしている。手紙も荷物も届くよ……。
「猫っていっても、きみたちが知っているものと、ちょっと違うかもしれませんが」
あのフカフカで可愛くて、気紛れだけれど憎めないお魚大好きな猫……の他になにがいるというのだ。萩さんの説明に黙って耳を傾ける。
「そうだね。俺たち猫は長生きするとどうも妖気を体に溜めてしまうみたいでね。尻尾が二股に分かれていったり、丸くてフワフワの体が、なりたいと思ったものに変化できたり」
いまなんて言った。体に溜めるヨウキとは。陽気? それとも容器?
「ちょっと待って。それって、猫というよりは……」
「そう。簡単に言えば、猫の妖怪です。猫叉や化け猫。聞いたことあるでしょう? 俺たち猫叉は長生きするうちに妖怪化して、ますます長生きする。化け猫と猫叉は区別して欲しいんだけれど一緒くたにされているみたいで」
頷きながら牡丹さんが続ける。
「あんまり気にしないけど。まぁその、長生きするといろいろあるからさ、妖怪化して不自由も悲観もしてないよ。人間の姿になれたほうがなにかと都合がよかったりするし。俺達は人間と暮らしていた猫だからね。人間がしていたことは見ていたし大抵のことはできるよ。でも、本体はとても可愛い猫だよ」
「ここには迷って人間界に戻れなくなった普通の子たちもいます。俺たちみたいな猫又と、死んで化けてる化け猫と、迷い猫など」
萩さんが数えるように指を折りながら話す。猫又というが猫の肉球は見当たらない。
「家で飼っていた猫がいなくなってしまって、しばらくしてから帰ってきたりする話を聞いたことない? それってね、こういう猫町に来ているんだよ。だから帰ってきた子は普通の猫じゃなくなってるんだな」
「そうだね。町全体が一時保護施設みたいなものかもしれないね」
白と銀の兄弟は「ねー」とか言って笑っている。
普通の子ってなんだよ。青葉山で見た白猫はいま目の前で微笑んでいる萩さんで、萩さんは牡丹さんの兄……猫……猫叉に化け猫。




