ついに開かれるデバッグ室
僕は山田さんの後ろについて、廊下をゆっくりと歩く。
彼があまりにゆっくり歩くので、足がもつれそうだ。
こういうときは、足を外向きに斜め前へ蹴るようにして歩くと、歩幅が節約できて便利である。
廊下を歩きながら、トイレと給湯室の場所を確認する。
これは生活インフラ面で重要なポイント。
このフロアは6階なので、エレベータの位置も重要だ。
階段で降りられても、上ることは無理だから。
いくら『若いのに』と言われても無理なものは無理。
たまに顧客のビルで作業をするとき『下り4階分と上り3階分は階段を使いましょう』的なポスターを見かけることがあるが、プログラマーの体力を過信してはいないだろうか。
初めて行くところは珍しいからキョロキョロしていると、廊下の壁も天井もドアも年季が入っていることに気づく。
顧客のビルの悪いところを言うのは気が引けるが、少し陰気な感じもする。
よく見ると、節電対策か、廊下の蛍光灯の数が半分になっている。
蛍光灯を外すとは、強引な節電対策だ。
途中で、壁の上の方に鮮明な靴跡が2つもあったのには、驚いた。
2メートル以上の高さがある。
そこまで飛んで、ハイキックでもやったのだろうか。
いやいや、そんなワイヤーアクションみたいなことを、ここでするはずがない。
小学校の時に悪戯でやったことがあるが、靴を手にして手を伸ばして壁を叩けば明瞭な靴跡を残せる。
人類は天井まで足が伸びる能力を持ったのだ、って。
ストレスでそういう気分になったプログラマーでもいたのだろう。
同情する。
「ここです」
山田さんが、進行方向右に見える部屋のドアを指し示す。
それは、廊下の壁以上に年季が入っているドアだった。
塗装が所々はげていて、下の方は何かでこすったような跡がいっぱいだ。
ドアノブがドアに対して垂直じゃないように見えるのは気のせいか。
いよいよ、デバッグ室か。
緊張する。
こんな気分も珍しい。新人以来だ。
でも、今日の僕は、どうかしている。
まただ。
耳がキーンとして、手足が震える。
首筋、背筋が氷にでも触れたかのように悪寒が走る。
ネコではないが、背中の毛がそばだっていて、僕までシャーっと叫びたい気分。
これってやっぱり、第六感からくる警戒信号?
ドアノブに鍵穴がある。ということは鍵が必要なはずだ。
「ここの鍵はありますか?」
すると、山田さんは、『何を言っているんですか』という顔をして壁の右にあるカードリーダを指し示す。
「ここにカードをかざしてください」
今時そうですよねぇ。ちょっと、恥をかいた気分。
さて、今からしばらくここで、一人孤独にデバッグ作業をすることになるのだ。
この場に立って、今のお気持ちは? と自分にインタビューする。
気持ちですか? そうですねぇ……、とっとと帰りたいですね!
以上!
山田さんは右手でカードリーダにカードをかざす。
何も反応しないので、今度はイラッとした気持ちを右手の震えで表現しながら、カードをペタペタと当てる。
すると、不機嫌だったカードリーダからピッという読み取り音がしてドアがカチャッと音を立てた。
仕方ねぇ、開けてやっか、って具合に。
彼がドアノブを回して腰に力を入れながらドアを押すと、ギイイイッとイヤな音がする。蝶番の油が切れているようだ。
こういうのって、イヤな予感を助長する。
ドアが開かれた。
でも、見えた部屋の中は真っ暗だ。
全ての光が飲み込まれたような闇。
おいおい、ちょっと、おかしいではないか。
廊下の明かりが中に差しているのだから、何か見えるはず。
見えないということは、中に光を反射するものがない。
物質というものが存在しないことになる。
とその時、全身がブルッとして、肘も膝もガクガクとしてきた。
関節という関節で、軟骨が骨とぶつかる衝撃まで感じそうなほど震えているのだ。
何かとんでもないことが起こりそうな、イヤな予感がする。
それは、真っ暗だから?
それは、長期戦になりそうだから?
いやいや、それは、この部屋の闇の向こうに僕の第六感を刺激する『何か』があるから。
見えないけれど、僕にはわかる。そうとしか今は表現できない。
でも、ここで逃げ出すわけにはいかない。
山田さんはもう体の半分を闇の中に入れている。
置き去りにされる恐怖。
慌てて彼の背中にくっつくようにして部屋の中へ入ろうとすると、彼がこちらを向かずに忠告した。
「とも連れ禁止なので、カードをかざしてください」
後ろに目がないのに、このまま一緒に中へ入ろうとしたことが何でわかったのだろう。
僕も、先ほどもらったカードをカードリーダにかざしてピッという音が鳴るのを確認する。
それから彼の後を追って部屋へ入った。
中に入ると、光は背後の廊下の照明のみ。
それが僕より頭一つ背の高い山田さんの白衣の背中を映し出していて、僕のシルエットがそこに収まった状態になっている。
だから、漆黒の闇にわずかだが白いものが浮かぶ、奇妙な光景が展開している。
いったい、この部屋の中には何があるのだろうか。




