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現実《リアルワールド》オンライン  作者: 消砂 深風陽
【ミカミ編】二章 アルカナード編
38/242

天使の裁縫師

 矢が獲物の後頭部に突き刺さると、獲物は少しの間痙攣した後、その動きを止めた。

「ミカミん、腕上げたねぇ」

 クーはそんなことを言いつつ、こちらへと戻って来た。

 その姿が血塗れなのはいつものことだ。仕方ない。魔物とはいえ生き物を殺す以上、血を浴びてしまうのはクーのせいではない。まぁ最近、ギルドに血塗れパーティがよく戦果を持って来るせいで大分慣れた。

「では、そろそろ休憩しましょうか」

 言うカルアも近接戦闘職なのに、こちらはほとんど血に塗れていない。上手く避けているのかと思ったが、カルアの場合は位置取りにその秘訣があるようだ。

 得物を突き刺す瞬間に状況を把握し、血が飛び散らない方向へ移動することで血を浴びるのを未然に回避しているのに気付いたのは、カルアと何度目の狩りをした時だったか。

「あ、じゃあ、あたし拾って来るね」

「なら俺も行こう」

 クーの性格はそろそろわかってきた。ソロ歴が長いようなのでその影響なのか、自分ができることは積極的にこなしてくれようとするのだが、それに甘えているとこっちがダメになりそうだ。加えて、相手に優しいというか甘いというか、男女問わず甘やかす癖があり、褒める所は褒め、ダメな所は自分がカバーしつつ庇う。

 前の世界で遊んでいた、某フラッシュゲームのあるキャラを思い出させるほどのダメ人間製造機だ。

 多分、なら任せたと言えばやってくれるだろうが、そんなに疲れているわけでもない今は甘えるべき場面でもないだろう。

 まぁそもそも疲れていたとするならば、クーも同様以上に疲れているはずなので、尚更その言葉には甘えられない。

「では私も」

 カルアも苦笑しつつ、すでに手近なひとつに手を触れていた。



「これもミカミんが作ったの?」

「はい。確か小麦粉と砂糖と牛乳、それに卵を混ぜてフライパンで焼いていました」

 惜しい。正確には小麦粉だけではなく、片栗粉が混ざっている。

 まぁ小麦粉と片栗粉を混ぜた後からの工程しか見ていないので、見た目は確かに小麦粉にしか見えないだろうが。

……ちなみに片栗粉は自作した。ライアスから捨てるようなジャガイモを貰って作ってみたら結構上手く仕上がった。

 この世界では片栗粉は売っていない。ひょっとしたら皆自作しているのかと思ったが、片栗粉を使う料理がそもそも出て来ない。

 唐揚げも全部小麦粉らしく、場合によっては米粉が使われているが、片栗粉は見たことがない。

 一度ライアスに片栗粉を提案してみるか。

 ジャガイモを捨てることはよくあることらしいし、もったいないだろう。


「冷えるとあんまり美味くないんだがな。カルアのリクエストでな」


 カルアは甘いものが好きなようで、作った直後のものを食べ、あっさりその虜になったようだ。まだ完成ではないと教えると、後は何が必要なのかと積極的に手伝ってくれた。

……欲望に忠実なのは悪くない。

 欲のない人間は成功しないと言うからな。

「これでも温かい方がもっと美味しいのですよ。これも美味しいですが」

 一口食べて俺の言った意味が解ったのか、カルアは少し不服そうだ。

「へぇ。あ、甘くておいしー」

 クーにもいい評価を貰った。

 いっそ、片栗粉がないなら量産して売ったらどうだろうかと考えたが、さすがに実入りが少なすぎだろうと考え直す。

「帰ったら作りたて食べてみたいかなぁ」

 まぁまだ材料はあるし、そのくらいはいいけどな。片栗粉作るのが面倒臭いが。


「あ、いましたね。こっちです!」


 不意に声がして、その方向からリーシャが顔を見せた。ボブが少し遅れて続く。

「あれ、アレイさんは一緒じゃなかったんですね」

「こんな面倒なところにあいつがいるわけがないな」

「違いない」

 不思議そうなリーシャに思わず言うと、ボブが大きく笑った。

「仕事が終わって聞いたら、ライアスに多分ここだと言われてな」

 なるほど。まぁ最近狩りといえばここだし、間違いではないな。

「で、戦果は?」

「……皮が26枚だね。3人って言っても、結構出たね」

 指折り数えてクーが答えると、ボブは少しだけ驚いた顔をした。

「クーの仕事が終わってからまだ3時間だろ、よくそんなに……」

「所詮ミンラビだしね。慣れればこんなもんじゃない?」

 なぜかちらりとこちらを見つつ、クーが言う。まぁ、腹を見せて寝転がってたヤツなんかは俺が頭射って倒したりしたしな。

「そうか。まぁいいか、それで、どうだ?新しい防具の方は」

 あぁ、合流しに来たのかと思ったら用件はそれか。自分が作った防具の出来を聞きに来たのだろう。

 あの日、一度全部を持ち帰ったボブは、わずか一晩で防具に(メイ)を入れ、次の日ひとりひとりに手渡しで渡しに行ったらしい。

 ちなみに、(メイ)とは、要するに専用装備化のことらしい。それをすることで、例えば誰かに防具を奪われてもそれを使うことはできないというものだ。

 俺の弓や短剣に付いているアレだな。

 ふと気付き、弓のシステムを起動する。

「……今日はそろそろ終わるか」

「そう?あたしはまだいけるけど」

「私もまだ大丈夫ですが」

 何気に2人ともノリノリだな。だが、弓の攻撃力が80を切っている。どちらにしても見てもらおうと、ボブに(それ)を手渡した。

「……なるほどな。少し緩んでいるか」

「――と、言うわけだ」

『なるほど』

 カルアとクーの声がぴったりハモる。

「あと、ギルドに預けているキャラットとヒミを迎えに行かないとな」

「……わかりました。そういうことなら、コレの作りたてで手を打ちましょう」

「そうね、どこで作って貰おうかな」

 どうやら、いつの間にか話が決まってしまったようだ。まぁ別に構わないが。

「む?それはなんだ」

「ひとつ貰っていいですか?」

 別にいいのだがリーシャよ。許可する前にもう掴んでいるぞ。そして当たり前のようにボブに渡すか。それじゃふたつだぞ。……別にいいんだけどな。

 渡されたボブは、一口囓って「ほう」と呟いて目を細めた。どうやら気に入ってもらえたようだ。



 金鯱亭に帰ってきた。

 約束通りというか勝手に決められた通りというか、とりあえず焼いた分を渡すと、最初にカルアが、次にクーが手を出した。

「すご、ふわっとしてて美味しい」

「でしょう?冷めたものが美味しくないとは聞いていましたがあそこまで違うとは思ってませんでした」

 まぁ、焼いたものは焼きたて以外はマズいよな。コンビ二に売ってるのが何であんなに柔らかいままなのかが不思議で仕方ない。保存料とか何かだろうか。よくわからんが。

 片栗粉については処遇が決まっていないので見られないようにこっそり入れた。

 ひょっとしたらそれで商売ができるかもしれんし。まぁ誰かこっちの世界に伝えた人くらいいるかもしれないけどな。どこかの名産とかになってたら商売の邪魔になるのも可哀想(かわいそう)だ。

「……これはうまいな。このかかってるソースは何だ?やけに甘いが」

 ボブが興味深そうにカラメルソースをフォークでひと舐めし、「甘いだけじゃないな。少し苦味もあるのか」と呟くと、クーがそれを聞いて真似し、「ホントだ。でもおいしー」と呟いた。

 4つに切り分けたうち、最後の1切れを手にしたのはリーシャだ。エムリさんとどっちが先に食べるかの譲り合いに負けたようだ。柔らかいのが気になるのか、指で触感を確かめる。……まぁ、冷めてた時は固かったもんな。

「……これは、美味しいですね。黄油の香りも素敵です」

 口に入れ、食感や味を確かめた後、リーシャが誰にともなく言う。

 そんな間に次のが焼け、4つに分けて皿に追加すると、エムリさんがまず真っ先に手を伸ばした。

 皆1つづつ食べているので遠慮したのか、エムリさん以外は手を出さない。と思ったら遠慮の無い手がふたつ。クーとカルアだ。このふたり、相当気に入ったのか。

「どうぞ」

 リーシャが苦笑すると、ボブはつられたように苦笑を返し、「いや」と呟いた。

「俺はもういい。あとは4人で食ってくれ」

「……いや待て。俺の分は」

「ミカミんいつでも作れるじゃん」

 そういう問題か、という突っ込みをぐっとこらえ、まぁ次の分でひとつ摘んで3切れだけ渡してやろうと心に決めた。

 と、ふとカルアを見ると、キャラットに小さく千切(ちぎ)って与えている。……猫に甘いものって大丈夫だっけか。太るだけならいいが、と記憶を辿る。

「あんまり猫にやると……太るぞ(・・・)

 びくぅっ!と女性陣が――カルアを除き――反応した。女性はどこに行っても「太る」という言葉に過剰反応するな。認識はこの世界でも共通だったか。

 実家で猫を飼っていたのだが、うちの猫は非常にふくよかだった。()(てい)に言えばデブだ。デブ猫だ。豚猫と言ってもいい。名前もトンちゃんだったしな。まぁそれは別の由来から付けたのだが。

「大丈夫です。ソースの方は与えてませんから」

「いや、生地の方にも砂糖は入ってるが」

 作るところちゃんと見てただろ。砂糖ばっちり入れてたんだが。

「ちゃんと私の方でセーブしますよ。……あら、皆さんどうしました?」

「……うん。何でもない」

「同じく何でもないです……」

 クーとリーシャは呟くように言って、1度箸を置いた。

 どの道もう生地の種があと1枚分ほどしかないから、この程度で太ることはないと思うが。

「……自覚があるのならば運動すればいいのですよ」

 カルアが見かねたのか、苦笑しつつ助け舟を出した。


「美味しかった!」

「頻繁にはちょっとアレですが、また作ってもらいたいですね」

「裏返すタイミングがちょっとわかりませんでした。次はその辺も踏まえて作り方を」

 クーは簡潔に。リーシャはまだ気にしているのか。そしてカルアよ、作り方を教えるかどうかは片栗粉の製法をどうするかを決めてからだ。これに関しては簡単に教えるつもりはない。

 まぁ、バターといい炭水化物といい砂糖といい、太る要素満載だからな。リーシャの気持ちはわからなくもない。そしてクーはもう少し心配した方がいい気がする。まぁあれだけ食って太らないなら問題はなかろうが、ひょっとしたら努力の結果なのではないだろうか。

「……ご馳走さまでした、ミカミさん」

 エムリさんは丁寧に俺に頭を下げた。

「いやいや。厨房を借りたしな」

「使っていない時間ですし構いません」

 いくら使ってない時間と言っても、借り物は借り物だ。火種なんかも使わせてもらってるしな。ガスでない分、火の調整が思ったより面倒だったが、意外と何とかなるもんだ。ライアスはあの調整をあんな涼しい顔でこなしているのか。


「もうこんな時間なんですね」


 リーシャが言うので気付いた。窓の外はすでに赤く染まっている。

「あ。毛皮ギルドに売ってこなきゃ」

「あぁ、それは俺がやっとこう」

 ボブが言うと、「いいの?」とクーが呟き、「どうせついでだしな」とボブが返した。

「じゃあ遠慮なく」

「おう」

 クーがぼすん、と音がするほど無造作にリュックごと渡すと、ボブはそれを何でもないように受け取った。結構重さがあるはずなんだが、アレ。さすが壁役(タンカー)というべきか。

「ミカミも来るか?今日ならルフェリアもいると思うんだが」

 何気なくボブが言う。どうするかと少し考えるが、まぁ答えはほぼ決まっている。別件の用事がないかを思い浮かべるも特に思い付かないから問題ないだろう。

「そうだな。防具の件で礼も言いたい」

 言うと、ぴくりとカルアが反応した。

「あぁ……例の裁縫師がいるのですか?」

 ふむ、とカルアは自分の格好を見つめた。

 デザインが気に入ったのか、まぁそもそも普段着として問題ないレベルなのでほぼ常に身に付けているらしい。さすがに洗濯時や寝る時なんかは着替えるようではあるが。



 ギルドに入ると、ボブは修理受付のカウンターから中へと入って行った。

 ルフェリアという人物は人見知りが激しいらしく、仕事中は特に外へ出て来ないらしい。

 ギルドの職員というか、働いているメンバーにはよく顔を見せるらしいが、それ以外の……一般メンバーなんかは顔どころか名前すら知らない人もいるらしいとのことだ。


「ほらどうした」

「……あぅ……」


 例に漏れず、俺やカルアに対しても「人見知り」は有効だったようだ。

「会いたいと言ってたじゃないか」

「……見せて、って、言ったの」

「似たようなもんだろう」

「遠目で、いいの……」

 声のトーンや話し方からして女性だろうか。人見知りというか、極度シャイ属性というか。

「一度挨拶するだけだ。ほら来い」

「……あーうー……」

 ずるずると押し出されて来たのは、金髪碧眼の天使だった。

――いやそんなわけないな。よく見れば頭に輪っかがない。あれ?そもそも輪って宗教的には存在しないんだっけか。単に後光が反射して輪のように見えるとかそんな感じだった気もする。とするならばあれはやっぱり天使なのか。背中に翼もあるし。


「――こっ、……こんばん、は……」


 尻(すぼ)みになってしまった上、どこのニートだと言いたくなるような(ども)り具合だったが、彼女にしては頑張った方なんだろう、と解釈することにした。

「……初めまして。俺が三上だ。カルアの防具を縫ってくれたとか」

「あ、え、あ、は、はい、えっと、あのあのあの、何かごめ、んなさい?」

 なぜ謝るのかについては突っ込まないでおこう。正直似たような人物(やつ)を知っている俺に隙はなかった。本気で苦手に向き合おうとする人間――ではないが――を馬鹿にできるほど、俺は偉くない。

「こっちがカルアだ」

「……お初にお目にかかりま――」

「――おおおお」

 カルアの自己紹介を遮り、ルフェリアが目を輝かせた。その勢いに押され、カルアもつい言葉を止めてしまったようだ。

「……すっごい。可愛い」

「――ありがとうございます」

 褒められて悪い気はしないのだろうが、どこか照れたように髪を弄るカルア。

「後ろ」

「え?」

「――向いて」

 ルフェリアの言葉が指示だと気付き、「あ、はい」と素直に後ろを向くカルア。

「おおおお……超いい」

 言って、手でぺたぺたとカルアの服……じゃない、鎧に触れて行く。

 そういえば、この前見せてもらったのだが、カルアのこの服も名称は<月の毛皮鎧>だった。

 系列や属性はもちろんだが、防御、防具レベル、特殊能力もすべてクーのものと変わらない。まぁひょっとしたらリーシャのも同じなのかもしれないが、リーシャのは見ていないので何とも言えない。

「……先程狩りをしてきたので、あまり触ると汚れてしまいます」

「いい」

 一応気を使ったのだろうカルアの言葉をたった2文字でばっさりと切り捨て、鎧をぺたぺたと触れて行く。――と、不意にルフェリアの目が感激のそれから真剣なものへと変わった。

「ちょっと」

「――はい?」

「こっち」

「え、はい?」

 カルアの手を引き、ルフェリアがカルアをカウンターの中へと誘った。

「ちょっ、いいのですか、ボブ」

「構わん。気に入らないところがあるんだろ、入っていいぞ」

 ボブに助けを求めたようだが、ボブはあっさりとそれを許可。苦笑し、カルアは手を引かれるままルフェリアの後を追って中へ。

「ルフェリアはあれで優秀だからな。気に入らないところがあるのなら直させた方がいいだろう」

「……ふむ」

 ボブの言い分はもっともだ。まぁその間俺は待たなければいけないが、どうせ用事はない。あるとすれば金鯱亭の宿泊予約くらいのもんだろう。



「……遅いな」

「そうだな」

 思わず呟くと、何でもないようにボブが呟いた。

「多分徹底的に気に入らないところを直してるんだろ、待ってやってくれ」

 待つのはいいが、暇だ。

――クーやリーシャがいれば少しは暇も紛れたかもしれないが、生憎(あいにく)ふたりとも帰ってしまっている。

 それにしても。

 背中の羽を頼りに常識を検索し(ググッ)てみたところ、あれはティタニアというようだ。黒か白かその中間色の翼を持つ種族で、現在でこそ広く知れ渡ってはいるが、元々はエルフ同様人間から隠れ過ごしていて、発見された歴史ですらここ20年ほどとかなり短い。飛ぶことはできるが、それ以外は人間とほぼ変わらず、神秘的な何かがあるわけでもない。飛ぶためには幼少期からの訓練が必要で、ほとんどのティタニアは訓練の方法も知らず、または知っていたとしてもそれほど上手く飛べるわけではないとのことだ。黒い翼ほど滞空時間が長く、白い翼ほど制御が上手いと言われているが、それが真実かどうかは検証するほど飛べる人材がいないので不可能。稀に4枚の翼を持つ者もいて、こっちは誰に教わることもなく飛空が可能だが、ティタニアの中で宝扱いされることが多いため、滅多に人前には姿を現さず、神のような扱いを受ける。――とのことだ。

 ルフェリアの羽は灰色だ。白に近くも黒に近くもない。見た目は完全に中間の「灰色」に見える。


 少しだけ咲良のことを思い出した。


 望まない「神扱い」。そんなティタニアもいるのではないだろうか。

 咲良のように受け入れ――あるいは諦め――ているのなら話は別だが、やはりそうして望まない待遇を受けているティタニアもいる気がする。



「――終わりました」

 ようやくカルアが戻って来たのは、夕刻の鐘が鳴ってしばらくしてからだった。

 確か夕刻の鐘が7時だから、2時間くらいはかかったことになるだろうか。

「どの辺が変わったんだ」

 見てみるが、どの辺が変わったのかまったくわからない。

「この尻尾の部分が少しキツかったのですが、調整していただきました。ほかにも細かい修正が色々とあって時間がかかったようです」

「……ふむ」

 カルアにこの辺とこの辺と、と言われ、見れば確かにという感じではあるのだが、傍目にはほとんど変わっていない。職人というのはどうしてこうも神経質なのか。……まぁ、鎧なので神経質になって当たり前なのかもしれないが。

「俺が縫った所もあるからな。色々気に食わなかったんだろう」

「――あぁなるほど」

 言われてみれば、最後の仕上げはボブがやったんだったな。ルフェリアがやったのは仮縫いまでと言ってた気がする。

 ちらりと受付の中を見ると、ルフェリアがひょっこりと顔を出していたのだが、俺と目が合うとオノマトペと集中線でも発生しそうな勢いで引っ込んで行った。

「……ところで、ルフェリアは帰らないのか?」

「あぁ、あいつは誰もいなくなってから最後の鍵かけの仕事も任されているからな」

 最後に出ることで誰にも会わなくて済むようにしているのか。人見知りの極みだな。


「ふぅ」

 思わず溜息を吐く。カルアがそれを見て苦笑する。

「先に帰っていただいても良かったのですが」

「いや、どうせだからお湯屋にでも行こうかと思ってな」

 この町の風呂……お湯屋はひとつしかない。そして開くのは夕刻の鐘が鳴った後だ。まぁ別にお湯屋に行かなくても、お湯だけ頼んで拭いて終わりでもいいのだが、たまには入りたいと思ってしまう。前の世界では嫌いなくらいだったんだがな。

「では私も?」

「――そのつもりだが問題はあるか?」

 特に問題はないだろうと判断したのだが、驚いたように呟くカルアに思わず聞き返す。

「あぁいえ、問題があるわけではないのですが。お湯屋ですと万一の場合護れませんし」

「いや、護ってもらうために仲間にしたわけじゃない。気にせず入ればいい」

「……いいのですか」

「構わんだろ」

 カルアは、自分を全奴隷だという認識を変えようとしない。

――特にどこかに焼印を入れられるとか、魔法的な何かで奴隷だとわかるわけではないので、正直な話黙っていれば誰にもわかることはないのだが。――例外があるとすれば、俺のようにシステムを見れる人材くらいか。まぁそれも、奴隷システムを見れる人材でなければ無理だが。

 トカシアから譲り受けた手前、全奴隷を簡単に解雇できないところも悩みのひとつだ。

 全奴隷は、半奴隷と違って解雇システムがある。まぁ半奴隷は言わば仕事の一種だし、持ち主は奴隷商人の方だから解雇できなくて当たり前だが、全奴隷の場合は解雇イコール「所有権放棄」だからな。捨てるかどうかという問題でしかないのだから、当たり前といえば当たり前なのか。

「ではお言葉に甘えます」

「――あぁ。そうしろ」

 元より甘えろと言ったのは俺の方だし、奴隷として行動を制限するつもりもない。

 主人として慕ってもらえるのはありがたいが、たまには自由を与えるのも「主人としての自由」のはずだ。



 お湯屋の主人にふたり分の金――鉄銭1枚――を渡し、入り口で別れて中に入ると、見覚えのある濃茶の髪が目に入った。

「お?ミカミじゃねぇか。奇遇だな」

「――お互いな」

 思わず苦笑すると、アレイは笑いながら中に入って行った。

 風呂で知った顔と会うと、気まずい気がするのは俺の気のせいだろうか。気のせいか。気のせいだよな。少し躊躇(ためら)ったが、まぁいいやと服を脱いで籠に入れる。

 ちなみに、ロッカーなんてものは存在しない。財布は番頭……じゃない主人に渡しておくしかない。

「これを頼む」

「……合わせ札をどうぞ」

 無口な主人に財布を渡し、代わりに木札をもらう。

……まぁこれが盗まれた場合ということも考えられるのだが、さすがに人が介入しているのでそうそう騙して盗むのは難しいだろう。


 とりあえず体を洗うと、お湯へと向かう。すでにアレイはそこにいて、俺を見つけると軽く手を上げた。

「久し振りだな」

「そうか?……そういやそんな気もするな」

 苦笑し、アレイはお湯で顔を擦った。

「それにしても、ミカミがこんなところにいるとはな。さすがに驚いたぜ」

「たまにはな。ふ……お湯屋自体あまり好きでもないんだが」

 言うと、「俺もだ」とアレイは顔を崩した。

「――ミカミがアルカナードに来てから、どのくらい経つっけか」

 言われ、ふと計算する。

 確か来たのが9月半ばだったと思う。今が11月だから、「大体2ヶ月か」、と呟くと、「もうそんなになるのか」とアレイは苦笑した。

「最初見た時は死んでるのかと思ったぞ。揺すっても起きなかったからな」

「――あぁ、アレはな」

 揺すられた記憶はないので多分、最初にアレイが見た時は、俺の魂がまだ入っていない状態だったのだろう。いや、意識がなかっただけか。どちらにしても人が倒れてたらビビるよな。

「あの時はすまなかったな」

「いや、別にいいけどよ」

 アレがなかったら、多分アレイとは出会わなかった。まぁアレイがあそこにいたのも、俺を見つけたタイミングで俺が倒れていたのも、偶然でしかないのだが。

「……恵まれているな。俺は」

「ん?いきなり何だ」

 呆れたように笑い、アレイはもう一度お湯で顔を擦った。

「パーティメンバーの中で、俺が一番のお荷物だってことだ」

「……あぁ、いつだったかリーシャの嬢ちゃんにもそんなこと言ってたらしいな」

 なぜか少しだけ面白くなさそうにアレイが呟く。

「まぁ、ミカミがどう考えようがどうでもいいけどな、俺はそうは思わないぜ」

「――そうか?」

「あぁ」

 そう言えるのは、実力を持った人間だからだと思う。

――俺のように周囲を護ってもらいながらでないと戦えない人間と、アレイのようにひとり(ソロ)でも立派に戦える人間とでは考え方も違って来るだろう。

「少なくとも、ミカミは俺たちのパーティの中で遠距離火力としては最優秀だと思うぞ」

 それはリーシャの方だろうと反論しようと思ったが、水掛け論になりそうな気がしたのでやめておく。どの道、俺がたとえ本当に優秀だったとしても、自分で自分を優秀だと思っていたら慢心し、……俺のことだ、きっと高飛車か天狗になってしまうだろう。なので内心はこのままでいよう、とひそかに決める。

 昔の俺がそうだった。ギルドと呼ばれる集まりを作り、自分(マスター)が一番強くなければいけないと思い込んでリアルを捨てた、あのときのようにはなってはいけない。

 まぁいつまでこれが続くのかはわからないが。

 自分ひとりで本当に通用するようになった時、それでも慢心せずにいられるかと聞かれたら、きっと答えは否だろう。現に、考えてみれば腹を見せたミンクラビットは一撃で倒せるという慢心がすでに俺にはあるのだから。

「まぁ、謙虚なのが悪いとは言わんがな。謙虚ってのは度が過ぎると嫌味にもなるぞ」

「……その時は言ってくれ。善処する」

「自分で気を付けろ、面倒臭い」

 アレイは笑って切り捨てた。

 自分では限界があるから頼んだんだがな。まぁいいか。


「ミカミ、アレイ。こっちです」

「おう、カルアも来てたか」

 片手を上げてアレイが言うと、カルアは苦笑した。

「よく言います。気付いていたのでしょう」

「ん?何のことだ」

「――まぁいいです」

 カルアがはぁ、と溜息を吐いた。

 まぁ、俺がいる時点でカルアがいるのは想像の範疇だろうな。カルアのいう、「気付いていたのでしょう」と言うのはそういう意味だろう。

 ところで。

 ちらりと目を向けると、カルアの隣にはひとりの女性が座っていた。

 髪の色は黒。途中まではストレートだが、肩を過ぎたあたりから緩やかにパーマをかけたようになっている。

「――そっちの人は?」

 視線を合わせて尋ねてみる。

「……初めまして」

 どこかで聞いた声だ。

 どこだったか。顔に見覚えがないが、……と思ったところでひとつだけ、心当たりを思い出す。


「ミランシャ=A=アルフォースと申します」


 いつぞやの予言の女性だ。思っていたよりも若いな。

「用事があるというので、待っていてもらいました」

「……猫なら、ちゃんと世話しているぞ」

 ちゃんと世話しているのかを聞きに来たのかと思いつつ、そう言って苦笑を向ける。


「――猫?」


 ん、と思わず声が出た。

「……いつかの予言のことじゃないのか?」

 とりあえず直球で聞いてやると、「予言?」とミランシャは首を傾げた。


「……何のことです?」


 声は間違いなくあの女性だと思うのだが、予言のことは知らないのか。

「違ったか。いや、ある預言者の声と似ていたものでな」

「……そうでしたか」

 本当に違うのか(とぼ)けているのか、ミランシャはくすりと微笑んだ。



「姉?」

「はい。私とはファミリーネームが違いますが」

 姉、……つまり女性と聞いて、思い付く人物は意外と多い。

――誰のことだろうか、と思っていると、カルアが「クーのことです」と呟いた。

「クーの妹か。……言われてみりゃ似てるな」

「そうですか?」

 ミランシャは嬉しそうに笑いかけ、アレイに視線を向けた。


 ミランシャの話はアレイの茶々入れで何度も脱線した。

 なので頭の中で要約してみることにする。

 クーはミランシャの種違いの妹で、クーがハーフエルフなのに対してミランシャは人間。

 クーに知らせたいことがあるが、以前に喧嘩別れしてしまったために合わせる顔がなく、どうしたものかと困っていたところ、クーが俺たちと一緒にいるところを何度か目撃したので思い付いたらしい。

「……で、つまるところ間を取り持って欲しいということか?」

「――そこまで虫がいいことは考えていません。そうお願いできるのであればいいですが、……多分無理でしょうね」

 苦笑するミランシャ。何が原因で喧嘩したのかはわからないが、少なくとも俺たちで何とかできる問題ではないらしい。

「何をして欲しいんだ?はっきり言わないとわからん」

 アレイが苦笑して見せると、ミランシャは「あ、はい」と素直に姿勢を正した。


「……簡潔に申し上げれば、姉に帰郷して欲しいのです」


 帰郷。……家に帰って欲しいということか。

 まぁそりゃ嫌がるだろうな。原因はわからんが喧嘩してる妹の住む家だ。さっきのミランシャの話によれば、それが嫌で家を出たような気もするし。

「理由は?」

「……母が重篤(じゅうとく)でして」

 聞けば、意識不明とかそういう類ではないらしいが、あと数年のうちに死んでもおかしくないのだという。

「――それは、俺たちの口から話すべきことではないだろう」

「ですが……」

 気持ちはわからなくもないが、それはダメだ。

 まず間違いなく、混乱したクーはこうして俺たちに密かに会ったことから糾弾するだろう。最終的にわかってもらえるにしても、妹との確執は確実に深まる。

「家族のことは、家族同士で話し合うべきです」

 カルアが言うと、ミランシャは困ったように苦笑した。

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