配属、営業部へ
入社式の翌週、俺は念願の営業部に配属された。
東邦通商、営業二部。中身は四十六の元営業だ。二十四年この道でメシを食ってきた。姿は二十三の新入社員・熊沢豪だが、売ることにかけちゃ新人のつもりはない。配属希望欄に「営業一択」と書いたら人事に二度確認された。女の体で営業希望は珍しいらしい。知ったことか。俺は売り場に戻ってきた。それだけだ。
初日の朝礼。部長が俺を紹介した途端に島がざわついた。
若手の男たちが一斉に手元の資料から顔を上げる。目が合うと揃って視線を泳がせた。一人は湯呑みを倒し、もう一人は電話の子機を落とす。年配の課長までが意味もなく咳払いをした。女性社員が小声で「新人さんモデルみたい」と囁く。俺はそれを「新しい戦力への期待だな」と受け取った。中身はおっさんだ。若い女に見られて動揺するという発想が、そもそも脳のどこにもない。
二十四年、俺はこの手の反応を客先で散々見てきた。相手がこちらに気を取られているなら好都合。懐に入る隙ができたということだ。営業の基本は、相手が勝手にこちらを意識してくれた瞬間に生まれる。俺はその隙を逃さず売り込む。そのつもりで朝礼の視線を眺めていた。売り込む相手が社内の同僚だという自覚は、見事に抜け落ちていた。
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俺の教育係は郷田という係長だった。
三十半ば。整髪料で固めた髪に、やけに距離の近い男だ。名刺交換の作法を教えるという名目で俺の背後に回り、肩に手を置いてきた。
「こうやってな。両手で、相手の目を見て」
肩の手がわずかに首筋へ滑る。二十四年、商談のテーブルを挟んできた俺の勘が低い音で鳴った。この手つきは名刺の持ち方を教える手じゃない。宴席で距離を詰めてくる取引先のそれだ。
俺は名刺を差し出す動作で、自然に半歩前へ出た。肩の手が行き場をなくして宙に浮く。上役の酌をかわすときの体さばきだ。女の体になっても染みついた技は錆びていなかった。
「……さすが、飲み込みが早いな」郷田が妙な笑みを浮かべた。
俺はそれを「指導熱心な先輩だ」と思った。肩に手を置く癖のある人なんだな、くらいに。中身がおっさんだと、こういう悪意は一周回って見えなくなる。見えないが、体の方はちゃんと逃げていた。長年の勘というやつは、頭より先に足を動かす。
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その日の夕方、郷田が一件の飛び込み先リストを俺の机に放った。
「新人の肩慣らしだ。どうせ門前払いだろうがな」
口元は笑っているが、目は笑っていない。できない新人に無理難題を投げて、潰れる様を見たい。そういう手合いだ。二十四年の間に、この顔を俺は何十人も見てきた。
リストの一番上に「丸和リテール」とあった。業界では「落ちない城」と呼ばれる大口だ。歴代の先輩が何人も跳ね返された相手だと、あとで聞いた。新人に投げるには重すぎる。嫌がらせか、試しか。どちらでもいい。
俺はリストを畳んで鞄に入れた。落ちない城ほど崩しがいがある。営業二十四年、俺はそういう城ばかり相手にしてきた。むしろ燃えてきた。
明日から俺の二度目の営業人生が始まる。女の体で。中身はおっさんのまま。売り方は、一つも変える気はない。




