俺は、あなたを愛したりしない!
「俺は、あなたを愛したりしない!」
「そう。」
豪奢に飾り立てられた新婚の寝室で、ヘクト伯爵家の一人息子であるハントは、新妻のヒルダと言い争っていた。
——いや、正確には、一方的に喚き散らしていた。
ハントは顔を真っ赤にしながら、唾を飛ばしてまくし立てる。
この結婚がいかに自分にとって不本意で、耐え難いものなのかを、必死に説明していた。
彼の話によれば、彼には学院時代から想い合っていた初恋の女性がいた。
名はヴィクトリア。
月光のように美しい銀髪と、紫水晶を思わせる妖しい双眸を持つ、学院でも名高い美少女だった。
二人は卒業後、それぞれ家に戻って婚約の許しを得ようと約束していた。
しかし、帰宅したハントを待っていたのは、すでに決定済みの政略結婚だった。
両親に泣いて縋り、土下座し、時には首を吊ろうとまでした。
それでも、決定が覆ることはなかった。
結局、愛するヴィクトリアは国外へ嫁ぐことになり、彼は家の命令に従って、この女——ヒルダと結婚するしかなかったのだ。
「俺の心はヴィクトリアだけのものだ! あなたを愛することなんて絶対にない!」
「はいはい。じゃあ、とりあえず服を脱いで、やることを済ませましょうか。」
ハントは、自分の耳を疑った。
「……今、なんて言った?」
ヒルダは答える代わりに、ベッド脇のテーブルへ手を伸ばした。
使用人たちが新婚初夜のために用意した、装飾の美しい酒杯を手に取る。
琥珀色の酒が、燭台の灯りを受けて揺れていた。
ヒルダは柔らかく微笑む。
「あなた。まずはお酒でも飲みませんか?
せめて今夜くらい、ちゃんと結婚式を終わらせましょう。」
「話を聞いていないのか!? 俺はあなたを愛さないと言ったんだ! 俺が愛しているのはヴィクトリアだけで——!」
「でも、“形だけの結婚にしたい”とは仰っていませんでしたよね?」
「なっ……」
ハントの顔がさらに赤くなる。
「こ、この恥知らずな女……! 年下だからって、俺を丸め込めると思うなよ!」
ヒルダは小さくため息をついた。
「私たちの結婚は、国王陛下の勅命によるものです。
ヘクト伯爵家とセイレン男爵家を正式に結びつけるためには、血を継ぐ子供が必要になります。」
「愛のない結婚に幸福なんてない!
人が生きるうえで最も大切なのは、愛する相手と共に生き、子供を作ることだ!
愛し合う者同士から生まれた子供だけが、祝福されるべきなんだ!」
「でしたら、今日から少しずつ愛を育てていけばいいのではありませんか?」
ヒルダはそう言って、穏やかに笑った。
その笑みに見つめられると、なぜか調子が狂う。
ハントは居心地の悪さをごまかすように、乱暴に酒杯を掴み、中身を飲み干した。
ハントの愛するヴィクトリアは、学院でも有名な美少女だった。
月光のような銀髪に、宝石めいた紫の瞳。
妖精姫と称されるほどの美貌。
だが、目の前にいる妻は、彼女とはまるで違う。
ヒルダはリタール王国ではありふれた茶色の髪と瞳を持ち、身体つきもどちらかと言えば豊満だった。
決して肥えているわけではないが、華奢で儚げなヴィクトリアとは正反対である。
顔立ちは悪くない。
瞳は明るく、表情も柔らかい。
社交界でも彼女に好意を寄せる男は少なくなかった。
だが、それでも。
ヴィクトリアの、あの幻想のような美しさには到底及ばない。
……しかし、もうヴィクトリアには会えない。
彼女は父であるキャンティ公爵の命によって、強大なディマン王国へ嫁いでいった。
王太子の側妃として。
ディマン王国の王太子妃には子がいない。
もしヴィクトリアが男子を産めば、未来の王太子——いや、国王の母になる可能性すらある。
愛する女性が遠い異国へ連れていかれた現実に、ハントの胸は耐え難い悲しみに満たされていた。
酒の勢いも手伝い、彼はとうとうテーブルに突っ伏して泣き出してしまう。
そんな彼の背中を、ヒルダは静かに撫でていた。
子供をあやすように。
怯えた獣を落ち着かせるように。
気づけば、二人の身体は自然と寄り添っていた。




