神の神気、神の邪気
力の入らない左肩の傷を気にすることもなく、仁王のように立つ崇慧。
自分の何倍もの大きさの敵を前に、彼は引くことをしない。
それどころか、真言を唱えながら、前進をはじめた。
「オ―ン 金剛尊よ、願を満たしたまえ、ダン。オン バラ ダ バ ザラ ダン!」
一瞬ののちに、神々しい閃光が一言主に襲いかかる。
『ぐあぁぁぁ――!!』
眸を眩まされ、反射的に閉じると、体躯に衝撃が走る。
滅罪調伏の真言によって、背中から地に倒れこむ一言主。
天地がわからず、手足をばたつかせてもがき苦しむ姿を、息も絶え絶えに見つめる崇慧は大きく深呼吸をして、暴れる怨敵に近づく。
が、足がもつれ、地面にこけてしまう。
溢れる土煙の中、一言主はやっと足掻くのをやめ、うずくまったままで崇慧を殺意と畏敬をこめた強い眼差しで睨んだ。
右の額は肉が抉れて、どろりと血が流れている。
『死ね、死ね、死ね! 小賢しい方士めがぁ――!!』
全身から溢れる腐敗した神気が、自ら意志を持ったように蠢き、崇慧に向って伸びていく。
「くそっ、躰に力が・・・・・・」
なんとか起き上がろうとするものの、それよりも早く淀んだ気が襲いかかる。
顔を伏せ、眸を瞑る崇慧。
「なにやってんだ、崇慧!!」
誰かの声がしたかと思うと、目の前に人の気配を感じて閉じた瞼を開いた。
そこには小さな人がいた。
小さな晴が。
「お前が諦めてどうするんだ!」
彼は崇慧を睨みつけ、両手を広げて腐敗した神気から己を生み出した方士を助けるために身を挺した。
「ぐがががあぁぁ――――!」
まとう衣が千切れ、崇慧の頬に張り付く。
晴は両目を瞑り、歯を食い縛って倒れるのを我慢している。
一言主の淀みが消えるまで。
「は、晴!」
声をかけると同時にがくりと膝を落とし、崇慧に倒れこんでくると、無意識に手を伸ばして胸の中に抱え込む。
「お前、なんで・・・・・・」
「俺は・・・・・・お前を守るために・・・・・・作られたんだ。当たり前だろう・・・・・・」
「晴・・・・・・晴!?」
二度名前を呼ぶ。
一度目は感謝で。
二度目は愕然として。
晴の髪や指先など、いたるところがさらさらと霧散し始めたのだ。
「くそ・・・・・・俺も、こんなところで終わりかよ。まあ・・・・・・別にいいけどさ」
「馬鹿やろう、いいわけないだろう」
「・・・・・・いいか、お前は一人じゃない。一人じゃないんだぞ」
「一人じゃ・・・・・・ない?」
「俺達や、神将、そして・・・・・・晴明。そうだ、晴明が・・・・・・い・・・・・・」
最後まで言葉にせず、崇慧の腕の中から消える晴。
抱えていた重さがなくなり、完全に霧散した晴の粒子が宙を漂う。
蛍のように上に下に、左右に揺らめき、崇慧が最後の一粒に手を伸ばし、握り締めようとしたとき、この世界から晴の片鱗が消え去った。
「・・・・・・晴・・・・・・」
拳を握り締めたあと、晴明を見る。
彼は意識を取り戻しており、涙を流していた。
自分を元にして作られた、生意気だけれども、勇敢な式神が消失した悲しみで。
裂傷を負った獣は傷から血を噴出させつつも、びりびりと空間を揺るがすほどの咆哮をあげる。
天地が怒りを表すように。
『貴様を喰い千切ってくれる!!!』
漆黒の雷が揺らぐ天から崇慧に降り注ぐ。
音響が崇慧の鼓膜を突き破らんがごとく鳴り、それとともに電撃が光速で全身を駆け抜ける。
意識が飛び、仰向けに倒れ始める崇慧に、大妖の牙が襲い来る。
「ノウボウアラタンノウ トリヤ―ヤ ノウマクアリヤ―ミタ―バ―ヤ タタギャタヤ ラカテイサンミャクサンバダヤ― タニャタ」
無意識に崇慧の口から阿弥陀如来の真言が呟かれていく。
「オンアミリテイ アミリトウドバンベイ アミリタサンバンベイ アミリタギャラベイ アミリタシッテイ アミリタテイセイ アミリタビキランデイ アミリタビキランダギャミネイ アミリタギャギャノウ キチキャレイ アミリタドンドビソワレイ」
つつがなく、途切れることもなく。
「サラバアラタサダニエイ サラバキャラマ キレイシャキシャヨウ ギャレイ ソワカ」
白亜の牙が方士の肩に突き刺さる直前、崇慧の周囲に無数の光が現われ、流星群のごとく一閃して一言主を貫いていく。
『ぐがぁっ!!??』
神の神気と元神の邪気、二つの力が巨大な渦となり、作られた世界を崩壊させていく。
『われは、われは神だ! 一言主の神だぞ!!』
四肢を踏ん張り、必死で抵抗をする獣は、穿たれた場所から噴水のように血を迸らせ、白眼を押し広げて叫ぶ。
『憎い、憎々しいぞ、方士!!』
口の中から大量の血を吐き出し叫喚する。
「三皇五帝の名を刻み、北極五星の煌き、南斗北斗の煌き印し、白虎と青龍の力を宿し、西王母兵信符をもって、我の手に下らん」
崇慧の言霊により、暗黒の世界にさらに一条の筋が光臨する。
「破敵剣!!」
聖なる雷が無音で方士の手に降り注ぐ。
それを手にした崇慧は演舞を舞うように軽やかに、足音一つさせず獣の大妖に隣接すると、その喉元に剣を貫き通した。
一切の抵抗感もなく、するりと喉から天頂まで貫通すると、待っていたかのように剣に向って純白の雷が降り注いだ。
内部と外部からの抗うことのできない、押し寄せる衝撃に、一言主の躰が一瞬で爆裂する。
『――――――!!』
声にならない叫びをあげ、二本足で立ったかと思うと、そのまま崇慧の前に、前のめりに倒れてくる。
これで倒せなければ、少年にはもう術がない。
だが、目の前の獣は指一本動かすことなく、恨めしそうに崇慧を見る。
『・・・・・・われを開封せし・・・・・・方士の血が、霊力を吸い取るのを拒絶させたのか・・・・・・。口惜し、や。われの復讐は、叶わず・・・・・・。方士よ、われの復讐を切望す・・・・・・る・・・・・・』
一陣の風が吹く。
それにより、一言主が粉塵と化す。
そして、微風の力で、崇慧の躰が大地に吸い寄せられていく。




