15.夫婦の夕食
夜会の翌日、アデラインは父親のアルマン侯爵と、セシルから届いた手紙を受け取った。
久しぶりに見る上質な紙が侯爵家の財政が好転したことを物語っていた。
アルマン侯爵からの手紙を読むと、アデラインの生活や体調を気遣う文句から始まり、ヒューガードが無事にアルマン侯爵の後継者と認定されたことが書かれていた。
だが、その後の文言を読んで、アデラインは手にしていたホットチョコレートのカップを取り落としてしまった。
そこには、今年の領地の税務処理をヒューガードがしてくれたこと、その為に何度も侯爵家に来ていたため新婚早々アデラインを放置してしまう結果になったことを詫びる言葉が綴られていた。
アデラインは、そんなことはヒューガードはもちろん、トマスやトビーからも何も聞いていなかった。
毎夜のように夜中に帰ってきていたのは、アデラインを避けているわけでも、ベッカー商会の仕事が忙しいからでもなく、アルマン侯爵家の業務まで担っていたからなのだと知って、アデラインは夫に蔑ろにされていると感じていたことを恥じた。
そんなに忙しい中で、自分の嫁入りの仕度を整え、夜会のドレスまで気を配っていてくれたのだと思うと、夫に申し訳ない気持ちでいっぱいになると同時に、少しだけ自分が蚊帳の外に置かれているような気になった。
去年までは侯爵と2人で税務処理を行っていたのに。
あの大量の帳簿を何日もかけてまとめ、領地の予算をやりくりしていたことは、アデラインの仕事であり誇りでもあった。
結婚が決まった際に、ベッカー商会から手伝いが寄越されるので心配することはないと言われて、寂しい気がしたものだが、その手伝いがまさかヒューガード本人だったとはアデラインも思いもよらなかった。
「大丈夫ですか?奥様。お召し物にはかかっておられませんね?」
ナタリーが、呆れたように言いながらこぼれたチョコレートを拭い取ってくれている間に、アデラインはもう一通の手紙を手に取った。
可愛らしい筆跡が便箋で躍るセシルの手紙は、読む前から楽し気であることが伺えた。
中身を読むと予想通り、ヒューガードが首都のお土産にと2人に、ダチョウの羽根で飾られた帽子や絹の手袋をくれたことや、春になると社交界にデビューするためのドレスを作ってくれる約束をしたことがとても楽しそうに書かれていた。
そして、デビューは首都で行いたいから、冬が終わったらベッカー邸に滞在したいとも書かれていた。
「セシルも社交界にデビューする歳になったのね」
独り言ちると、キャサリンが新しいホットチョコレートをアデラインの前に置いた。
「セシルお嬢様も、奥様に似てとても美しい方と聞いていますわ」
「まあ……キャサリンったら。——そうね、セシルは亡くなったお母さまに一番似ているわ。お母さまは男爵家のお生まれだったけど、当時の公爵さまから求婚されるほどお美しい方だったのよ」
アデラインが自慢気に笑うと、キャサリンも嬉しそうに微笑んだ。
「お会いできるのが楽しみですわ」
「そうね。その時はあなたにセシルの世話を頼みたいわ」
首都の社交界の情報やマナーは、自分よりもキャサリンの方が精通している。
キャサリンがシャペロンとして付き添ってくれれば、頼もしいに違いない。
アデラインの意図を汲み取ったキャサリンは、自信に満ちた表情で頷いた。
アデラインは温かいホットチョコレートを少し口に含むと、書類トレーから便箋を取り出して、父と妹への返事を書き始めた。
夕食前に手紙を書き終わると、屋敷の中が慌ただしいことに気が付いた。
何かあったのかと、呼び鈴を鳴らそうとしたが、その前にキャサリンとナタリーが部屋に入ってきた。
「旦那様がお帰りになられました。夕食は奥様とお召し上がりになるとのことです」
キャサリンとナタリーの手伝いで夕食用のドレスに着替えて、食堂に向かうとヒューガードの姿はまだなかった。
何故か安堵の息を吐いたが、トマスが食堂のドアを開けてヒューガードを迎え入れると、アデラインはどういう顔をすればいいのかわからず、ヒューガードの姿から顔を背けてしまった。
灰色のジャケットを着たヒューガードは、結婚式や昨夜の夜会の姿よりも軽装だったが、だからといって彼の精悍さを損なうものではないと思えた。
ヒューガードも席に着いたが何も話さず、気まずい沈黙が流れたように思われたが、ジーンとウィリアムが給仕を始めると、ヒューガードは胸の前で手を組み合わせた。
「祈りは俺が行っても?」
「え——はい、もちろんですわ」
アデラインが答えると、ヒューガードは短い常套句を低い声で唱えた。
「アーメン」
アデラインが続くと、ヒューガードはシェリー酒のグラスを軽く持ち上げて口に含み、アデラインにも促すように視線を送った。
「あなたの教育のおかげか、使用人たちの動きが見違えるようだ」
ヒューガードのとび色の瞳が自分を見つめて、感心したような口調で言うと、アデラインは微笑んで首を横に振った。
「わたくしは何もしておりませんわ。皆もともと優秀でしたし、実際に教育を行っているのはトマスとポーラですもの」
アデラインは少しだけ頬が熱くなるのがわかったが、それはきっとシェリー酒のせいだと自分に言い聞かせた。
「旦那様も、領地のお仕事までなさっていたと、先ほど父からの手紙で知りました。ありがとうございます」
「後継者なのだから、領地の仕事もするのは当然のことだ。それより——」
ヒューガードが自分を見据えるのを、アデラインは不思議な気持ちで受け止めていた。
「旦那様と呼ばれると、使用人と話している気分になる。俺のことはヒューと」
「ですが……」
自分たちの関係は形式上は夫婦ではあるが、本当の意味では夫婦ではない。夫婦なら名前で呼び合うものだろうが、とアデラインは躊躇したが、それを言葉でどう伝えていいのか迷っていた。
だが、ヒューの自分を見る目が、どことなく熱を帯びているような気がした。
もしかしたら、今夜こそ本当の夫婦になるのかもしれない。
だが、そんな予感はすぐに崩れてしまう。
「今夜は紳士の集まりに招待されている。食事が終われば出かけるが、仕度はトマスとリチャードがするのであなたはゆっくり休むといい」




