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第5節


 エリアルの言葉で、イアンの双肩が僅かに揺れた。


「なんだって?」


 エリアルに向けた疑問の声が多少荒くなったのは致し方ない。イアンを指して「情報提供者」と彼は言った。イアンが、警官側の人間だったことを意味している言葉だ。


「ずっと引っかかってたんだ。あなたを見た時から。どこかで会ったような、見たことがあるような気がして」


 エリアルはイアンの後ろに回って、手錠の掛けられた手首を掴んだ。シャツの襟を捲って、そこにあるタトゥーを全員に見せる。ランドルが、納得したようにエリアルを見た。

 犯罪者や警官とは無縁で平和に生きてきた――と自分では思っている――デリックには、そのタトゥーの意味が理解できなかった。

 スチュアートがタトゥーを示して、デリックに説明する。そのタトゥーは大物麻薬バイヤーの組織が身体のどこかに入れているものであること。そのバイヤーの中に、情報提供者がいたことは確かだと彼は告げた。


「なんでイアンの顔に見覚えがあるんだよ?」

「情報提供者として知ってたんじゃない。麻薬バイヤーとして知ってた。署に何度も足を運んでいて、犯罪者記録を閲覧したこともあるから」


 エリアルはただの探偵で、ランドルたち兄弟と何らかの縁があり、だからこそランドルの伝手で犯罪現場にも入れるのだろうと考えていたが、それは間違いだったようだ。

 彼の探偵としての手腕を求めているのは、ランドルだけではないらしい。


「そこで見ただけで覚えてるとか……脅威の記憶力だな」


 身震いしたデリックに応えるようにスコットが吼えた。

 驚くほど近くから聞こえた声に、慌てて足元に視線を向ける。いつかのように、スコットはデリックの横で腰を落ち着けていた。一体いつの間にこれほど接近されたのか分からない。忍者の素質まで備えているらしい。飼い主も似たり寄ったりだ。


「だったらなぜ情報提供者だと――」


 イアンの疑問はもっともである。エリアルは困ったように笑った。


「そのタトゥーがあること、この街にいること、野蛮なことは嫌いだって言ったこと、理不尽を打破しようとしていること、あとは勘」


 あまりにもな返答だ。推理力ではなく、直観力に頼る探偵も世の中にはいるらしい。


「麻薬バイヤーたちを一斉検挙できたのは、誰かが情報をリークしたからだって、当時署内で噂になってた。あなたは逮捕されず、ここにいる。これが答えだ」

「なるほどね。では、なぜ俺がここにいるか分かるかな?」


 イアンが剣呑な声で続けた。ランドルとスチュアートを睨み、彼の仲間を逮捕している他の警官まで睨む。

 続く言葉には抑え切れない怒りが籠もっていた。


「裏切られたからだ」


 端的すぎて恐ろしいほどに理解できる。イアンは情報提供者として、麻薬バイヤーの組織を売った。しかし、イアンの功績を認めるどころか、リディキュラスポリス側はイアンとの関係を断ち切った。

 周囲からは仲間を売った裏切り者とレッテルを貼られ、助けを求められるはずの署からは見捨てられ、行き場を失ってしまったのである。

 外の世界で生きることは難しい。裏切り者と罵る連中がイアンの命を狙う可能性は十分にあった。しかし、警官の助けはない。四面楚歌のイアンにとって、ノースストリートへの逃亡は命を守る最善の策だった。


「この街では悪が蔓延ることもなく、裏切りもない。俺にとっての楽園だよ。だが、法を笠に着て強引な取り締まりに出る者が現れ始めた。このままでは、外と変わらない世界になる。それを食い止めるための、革命だ」

「その革命のためには、一度捨てた外の世界も利用するのか?」


 デリックにはその考えが理解できなかった。イアンは含みのある笑みを浮かべてデリックの言葉に頷いて見せる。


「利用できるものはなんでも利用するね。これは俺のビジネスにおける基本精神だ」


 カジノを成功させ、ノースストリートの一角を支配した彼の言葉だからこそ、妙な説得力がある。しかし、デリックは彼の考えに賛成する気持ちになれなかった。


「その足掻きも無駄に終わったがな」


 零された言葉は、イアンの本音に聞こえた。イアンが成し遂げようとした革命は、起こる前に止められてしまった。

 それでも、デリックは眼前に広がる景色を受け止め、イアンの言葉に否定の意思を示す。怪訝そうな顔つきになるイアンに、デリックは周囲を見渡すように促した。


「この光景を見ても、同じことが言えるか?」


 イアンが瞠目した。

 彼の眼前に広がるのは、これまでノースストリートの住民が頑なに侵入を拒んでいた外の人間たちの姿だ。そして、その彼らに救われ守られた子供たちの姿。


「アンタがやろうとしたことはできなかったかもしれない。でも、革命は起きてる。今、この場で」


 イアンがデリックの言葉を租借するように、顔を俯かせた。顔を伏せて表情を隠したまま、微かに彼が微笑んだ――ように見えた。デリックの目には、その笑みに偽りがないように思えたのだった。






 船を強引に連れ戻したことで乱れた波も静まり、湖畔が生来の静寂を取り戻す。パトカーの奏でるサイレンの音をぼんやり聞きながら、デリックは湖畔を眺めた。


「かっこいいこと言ってた」


 腹部を肘で小突かれ、揶揄する気満々のライラに苦笑いを返す。彼女の指摘どおり、少々格好をつけすぎたかもしれない。

 パトカーに乗せられ移動していくイアンを視界に入れて、デリックは溜息を吐いた。ライラが不思議そうな顔になっている。


「スコットを捕まえることが目的だったのに、とんだ大冒険だったなと思って」

「スコットにまた何か持って行かれたの?」


 またと明言され、デリックは肩を落とした。二度あることは三度あると言うが、これっきりにしてほしい。しかし、情けない話だが、一度ならず二度までもスコットに再び持ち逃げされた事実は変えられなかった。


「いや、まぁ、な」


 歯切れの悪い答えに、ライラが唇をへの字にさせた。スコットに盗まれたものについては、できることなら話したくない。残念ながら、ライラはそれを許してくれるような甘い女性ではなかった。

 じっとこちらを見つめてくる双眸にデリックが逆らえるはずもない。


「あー、指輪を盗られたんだ」

「指輪?」


 デリックはエリアルをはじめとするメンバーと知り合うきっかけになった事件を思い起こす。

 真相が暴かれ、逮捕された彼女の姿は、今でも鮮明に覚えている。デリックにとって、彼女の存在は特別だった。恋人のフリ――それだけではない絆のようなものを、少なくともデリックは感じていた。その場限りの愛を注ぐ相手とは違う。彼女は、デリックにとってあらゆる意味で特別だった。


「はい。これ。スコットから取り返した」


 二人のもとに近づいてきたエリアルが指を広げて掌を見せた。その上で陽光を反射して光るシルバーの指輪。まさしく、デリックがスコットに奪われ、取り戻そうとしていたものだ。

 デリックは指輪を受け取り、掌の上で転がしてみた。それほど高価でもなく、飾り気のない指輪の外側は、一部が汚れている。その赤黒い汚れに、ライラが眉を寄せた。


「これって――」

「彼女にプレゼントしておいた指輪だよ」


 結局、使われることはなかったけれど。

 指を折り込み、指輪を握り締める。永遠に使われることのないものだ。

 スコットに奪われたからといって、躍起になって探す必要はなかった。しかし、探さずにはいられなかった。未練なんて情けないものを持ちたくはないが、デリックにはどうしてもこの指輪を捨てることができない。


「使ってたと思う」


 エリアルの言葉が耳に届いて、デリックは咄嗟に彼に詰め寄った。胸倉を掴む勢いで彼に問い質す。どういう意味だ。なぜそんなことが分かる。動揺を隠す余裕もない。

 デリックの剣幕にもエリアルは動じなかった。いつどのような時でも大抵は通常営業な彼に、却ってデリックは僅かばかり冷静さを取り戻す。


 エリアルはデリックの握り締めた指輪を示し、血痕を見ろと伝える。見ろと指示されても、デリックは既に何度もこの指輪を眺めていた。今さら血痕を見たところで何かを発見できるとは思えない。


「血痕がなんだって?」

「内側についてない」


 指摘を受けて指輪を目線の上に持っていき、見上げるように内側を見つめる。エリアルの言葉どおり、内側は綺麗なままだ。


「その血痕は、彼女が事件を起こした時に遺体の様子を確認しに行った証拠だ。おそらく、息があるかどうかを確認したんだと思うけど」


 エリアルの言葉には追加しておくことがある。

 彼女が遺体を確認しに行ったのは、万が一生きていたときに止めを刺すためではない。そこまでのことを考えてはいなかっただろう。もっと単純な話だ。本当に殺してしまったのか。実はまだ無事ではないのか。恐怖と不安からくる確認行動だろう。


「うっかり指輪を落としたなら、落ちた拍子に内側にも血が跳ねていたと思う。指輪に血痕があるということは、まだ血は乾いていなかっただろうから。でも、それがない」

「だから?」

「彼女は、その指輪を嵌めたまま、うっかり血に触れてしまった。だから外側だけ汚れた」


 エリアルの推理に、デリックは再び指輪を見つめた。

 湖畔の向こうから太陽がすっかり顔を出している。朝日を浴びることは身体に良いらしいが、心にも良いのかもしれない。

 不思議と、穏やかな気持ちになっていた。


「この指輪、彼女に渡してプロポーズしたんだよ。事件が起こる前の日に」


 ライラが瞠目した。


「彼女、タイプは女性でしょ?」

「ああ。でも、オレは好きになってたから」


 想いを告げたいと、強く願った。結婚や婚約ができるとは考えていなかった。それでも、どうしても伝えたかった。日影で苦しく生きていた彼女を想う人間がいることを、教えたかったのかもしれない。


「嵌めててくれたんだな」


 イエスの返事を聞くことはできなかっただろうが、一瞬でも彼女はデリックとの関係を考えてくれたということだ。


「彼女はきっと、苦しい暮らしの中でも時には幸せだって感じてたよ」

「オレを隠れ蓑にしてたからか?」


 双肩を竦めて、揶揄するような調子でエリアルに返す。茶化した返事を望んでいたが、彼には通じなかった。


「本当のことを知ってるデリックがいつも傍にいたから」


 涙腺は緩い方ではない。

 だが、この連中と出会ってからやけに緩くなったような気がする。デリックは指輪を握りしめて、空を仰いだ。


 青空の上を白い雲が流れていく。早朝のこの場所は、驚くほど静かだ。鳥の囀る声がどこかから聞こえてくる気がした。


「デリック・ユーイング」


 背後から唐突に掛けられた声に、デリックは身体を硬直させた。振り返ったデリックの拳を指差し、ランドルが鋭く睨みつけてくる。


「その証拠品を直ちに提出しろ」


 デリックは大きく息を吐いて額に片手を添える。


「空気、読め」


 吐き出した本音に、ライラが大笑いした。エリアルさえも口許を緩めている。

 誰もが同意する一言だったらしい。



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