そしてファジョーリ王子は、伝説となる
ファジョーリの言葉にオルティスは納得した訳ではなかったが、大切に思われている事だけは理解した。そしてオルティスにはその事実だけで十分だった。
殿下が死んだ先の事など考える必要はない。自分の忠節の全ては殿下のものであり、二君に仕えるつもりは毛頭なかったからだ。
という事で、心を尽くして殿下に仕える気満々のオルティスではあったが、空を飛べる竜というのは何かと重宝な存在であり、崇め奉って遊ばせておく気は全くなかった。
特に今は、ドマーノが存続できるか否かというぎりぎりの状態であり、やって欲しい事は山のようにある。
なので、東の空が明るくなるや、オルティスはファジョーリの部屋を直撃した。トルターヤの領主、ミルンベルトが死んだ事を、デアルゴに駐屯している国王軍に報せに行って欲しかったからである。
地上は封鎖されているから空から行くしかないというのがオルティスの言い分で、尤もな理屈ではあったのだが、気持ちよく寝ていたところをたたき起こされて飯を突っ込まれ、腹がちょっと熟れたところで鞍をつけさせられたファジョーリの機嫌は最悪だった。
気分はまるで馬車馬である。
そうしてせっせと空を飛んで到着したデアルゴでは、オルティスが騎乗している事を驚かれ、男と番になった事を全兵士らが揃う前で説明させられる羽目になった。間抜け面で顔を仰がれるのもこれで三度目である。
鬱陶しかったので、物言いたげな視線は全て無視し、ミルンベルトを討ち取った事だけを伝えてやると、途端に駐屯地は大きな歓声に包まれた。
その後、軍幹部らと簡単に評議した後、ファジョーリは再び竜化してラクアードの砦へと帰還した。
帰る途中、上空からトルターヤ軍を威嚇しておく事も忘れない。行き掛けの駄賃というやつである。
因みにそれを提案してきたのはオルティスだったが、その言い方がいただけなかった。
事もあろうにオルティスは、ファジョーリに向かって、「ささ、殿下。ここで、ガオーッと一声放って下さい」と言ってきたのである。
「ガオーッだと?」
思わずムッとするファジョーリに、
「竜の吠え声って、結構恐ろしいと思うんですよね。相手に戦意を喪失させるには有効な手立てです」
そこまでは理解できた。だがオルティスは、更に言葉を重ねてきた。
「あっ、吠える前は教えて下さい。耳元で吠えられると煩いので」
王族に向かって煩いとか言うな! と思いつつ、ファジョーリは言われる通りにして、大音量の咆哮をトルターヤの城塞にお見舞いしてやった。
ぐんぐんと迫りくる竜に咆哮を浴びせられ、見張りの兵士らは余程恐ろしかったのだろう。持っていた矢を放り出すようにして散り散りに逃げて行った。
どうだ! とファジョーリが鼻息荒く後ろを振り返ると、オルティスはちゃっかり両手で耳を塞いでいた。
……非常に腹の立つ奴だった。
そうして竜が去った後の城塞では、兵士らが恐々と柱の陰から出てきて、今は豆粒ほどになった竜の姿を呆然と見つめていた。
それでなくとも前日の騎射で、トルターヤは領主ミルンベルトと戦略を担う軍師を失っている。後を継ぐ嫡男は頼りなく、その上、その後見に誰がなるかで家中が揉め、軍としての統制も失っていた。
結論から言うと、それから僅か三日でトルターヤは落ちた。
トルターヤ内に入り込んでいたエクワード軍は、ラクアードの警備隊とデアルゴの駐屯軍によって全て追い散らされ、完全勝利を上げたドマーノはこれによって西方の守りを万全とした。
たった一つの勝敗がその後の流れを一気に変えていく事は、戦においては往々にある事だ。そしてトルターヤの攻防戦は正にその典型と言えた。
トルターヤを奪い返した後のドマーノの進撃は凄まじく、息を吹き返したドマーノ軍は、その後一致団結してラサル、エクワード連合軍に立ち向かう事になった。
その核となったのは、言わずと知れた、ドマーノ唯一の成竜とその番である。
後にドマーノの戦神とも崇められた将軍オルティスは、とにかく命知らずだった。竜を駆ってまっしぐらに敵陣の本陣に突っ込んでいき、一気に戦の流れを変えてしまう。
基本、竜には矢も剣も効かないし、竜上からのオルティスの騎射は的確で、まず撃ち損じがなかった。
そして咆哮を響き渡らせたり、上空から石を落としたり、ある時は火矢を砦に打ち込んだりと、その戦い方は多種多様だった。
更に兵のぶつかり合いになると、オルティスは竜の背から飛び降りて自ら白兵戦に加わった。その剣捌きは速い上に重みがあり、そして容赦がなかった。
敵味方入り混じっての近接戦に身を投じれば、オルティスも無論無傷では済まなかったが、体幹を大きく傷つけるような怪我はなく、戦に明け暮れる体であるせいか傷の治りも早かった。
最初の内こそ、平民出身の将軍という事で反発心を抱く将兵も多かったのだが、その凄まじい戦いぶりと、冷静で的確な判断力、更に大らかで気さくな人柄も相まって、軍内で絶大な信頼を勝ち得るようになっていた。ドマーノ唯一の常勝将軍でもあり、その人気は止まるところを知らない。
王族からの信頼も厚かった。何と言ってもオルティスは竜の番であるため裏切りを心配する必要がなかったからだ。
王子に対しては無遠慮にものを言い、たわいない喧嘩を繰り返しているようだが、傍目から見れば、オルティスがファジョーリに心酔し、忠節の限りを尽くしているのは一目瞭然である。
軍部での地位を確実にし、王宮での発言力を日々増していくオルティスであったが、そのオルティスが一番恐れたのが、ファジョーリ王子の暗殺だった。
竜化している時は固い鱗に覆われているためさほど心配は要らないが、竜化を解けばファジョーリは普通の人間である。剣技は嗜みとしてできる程度で、暗殺者に狙われればひとたまりもない。
だからオルティスは、自分が傍に従えない時は、信頼する手練れの騎士らに幾重にも警護させた。オルティスにとってファジョーリは唯一の主で、庇護と敬愛の対象でもあり、とにかく大事で堪らなかったのだろう。
「王や王太子は死んでも替えがありますが、あなたの替えはありませんからね」
それを聞いた時、警護の騎士らは、「これ聞いちゃ、ヤバいやつだ」と瞬時にそう思った。
確かに、今のドマーノにはファジョーリしか成竜がおらず、言っている事は間違いではないが不敬にもほどがある。
言われたファジョーリもそう思ったらしく、「聞かなかった事にしてやる」とため息をつき、
「一つ言っておくが、私は普通に父王や兄上達が好きだからな。もし父達に何かあったら泣けるぞ」
その言葉に思うところがあったらしい。オルティスはすぐに前言を撤回した。
「殿下が悲しむなどあってはなりませんな。王家の方々には是非とも長生きをしていただきませんと」
オルティスがいかに他の王族らに関心がなかったか、それを示すある逸話が残されている。
戦が始まって五年が過ぎようとする頃、ある軍議でオルティスが挙手をした。
「現在はファジョーリ王子だけが竜として戦に加わっておられますが、チビ竜殿下も七つになられた事ですし、そろそろ伝令くらいはできるのではありませんか?」
チビ竜殿下?
場に出席していた王族を含めた軍の幹部らは一様に、んん? と眉間に皺を寄せた。
言わんとするところは理解できたが、呼び方が雑過ぎる。
ややあって皆は、もしかしてこいつは、いずれ王位を継ぐ王太子の王子殿下の名前を知らないのではないかという結論に思い当たった。非常に不敬だが、このオルティスならあり得る話だ。
ファジョーリもそう思ったらしく、直接オルティスに問い質した。
「おい、まさかお前、直系王族の名前を覚えてないのではないだろうな?」
「……何をおっしゃるのです」
不自然な間の後、オルティスはしれっとした顔でファジョーリに向き直った。
「私が他の竜に興味を覚えるとでも?」
まさに竜殺しの言葉である。
ファジョーリは一発でメロメロになった。
「それもそうだな。うむ。覚えなくて良い!」
そんな訳ないだろう―が! と父王や軍の幹部らは心の中で絶叫した。これで納得してしまうなんて、ファジョーリ王子は番にチョロすぎる。
生温かい空気の中、王の傍らに座していた王太子マルクがぼそっと呟いた。
「アシェーロだ」
子どもの名前を忘れられては堪らないので、一応言っておいた。
そんなゴタゴタはあったものの、結果的にその案は採用された。
ついでにアシェーロ殿下だけでなく、殿下と同い年の従兄弟殿下(王太子の弟の息子)や、その一つ年下の従兄弟殿下(王太子の二番目の弟の息子)なども伝令竜として駆り出される事になった。
とはいえ、さすがに六つ、七つの子どもを一人で戦場に行かせる事には不安がある。父親達は子竜らに筋骨逞しい騎士を騎乗させようとしたが、子竜達は竜の沽券にかかわるとばかりに皆、首を振った。
それを知ったオルティスは、チビ竜達の前に若くてきれいな女性騎士を連れて行き、同行を勧めてみた。すると子竜達は「国のためならば仕方がない」とか何とか言い、素直にこの提案を受け入れた。
これは誰の血筋だろうと、父親達は互いを見やり、がっくりとため息をついたという。
さて、子竜殿下らが伝令をできる事になった事で、ドマーノの戦い方は更に幅が広がった。ドマーノはその後、続けざまに相手側の城塞を落としている。
そして開戦から八年後の夏、ラサル王国で波乱があった。敗戦色が強くなっていくにも拘らず戦を止めようとしない父王にしびれを切らした王太子が、家臣らと結託してザンガル王をついに王位から引きずり降ろしたのだ。
その頃には、エクワードはゼグラ国と接するラルドの街を事実上失っており、ラサルもまた海沿いの街デルタをドマーノに奪われていた。
和平条約を結ぶにあたり、ドマーノは侵略したこの二つの街について両国が領有権を主張しない旨を条約文に明記させ、更に和平の象徴として両国の王女をドマーノの重臣の家に輿入れさせた。
本来なら王家に迎え入れるべきところだが、ドマーノ王家は竜の血を引くため独特の事情がある。
竜穴を塞いでいない王族に婚約者を持たせる訳にはいかず、そして当時、成人の儀を済ませた王族は皆、妻帯していた。
ついでに言えば、この敗戦を機にエクワードはラサルから独立した。宗主国からの要請で望まぬ戦を強いられ、最終的に領土を減らしたエクワードの反発は強く、ラサルはその反発を抑え込むだけの力をすでに持たなかった。
両国は疲弊した国の建て直しに追われ、静観していた他の国々もこれ以上の騒乱は望まず、半島は久方ぶりの平和を取り戻した。
戦争終結後、オルティスは将軍の任を解かれ、ファジョーリ王子の番として王族に準ずる栄誉称号が与えられた。
軍では指揮系統からは外れたが、軍事顧問という肩書で軍に所属し、時折、鍛錬の場を訪れて後進の指導に当たったと言われている。
ファジョーリ王子との仲は睦まじく、視察と称して二人で様々な地を訪れたようだが、気品と優美さを持したファジョーリと、すらりとした長身のオルティスが並び立つ姿は一枚の絵のように美しく、民の歓呼を大いに受けた。
大切で堪らないと言った目でファジョーリを見つめるオルティスの姿がよく目撃されており、結局、番の欲望に負けて、二人は恋人同士になったようだ。
男性同士であったため子を持つ事は叶わなかったが、オルティスは心から王子に心酔し、王子もまたオルティスを傍らから放そうとしなかった。
「私より先に逝くな」
そう命じられたオルティスは、忠実に主の命に従った。
年を重ね、病に寝付いたファジョーリを看取ったのはオルティスだった。
「お前のお陰で幸せな一生だった。ありがとう」
最後まで番の気配に包まれて、幸せそうにファジョーリは息を引き取った。
その後、王子の番として莫大な財を引き継ぐ事となったオルティスだが、王子亡き後、取り乱す事なく身辺の整理をつけ、葬儀が終わった晩に即効性の毒を仰いで殉死した。
武人らしい最期だった。
後にも先にも、竜を失った番が殉死したのは、このオルティスだけだ。
すべてをファジョーリに捧げた人生だった。
今も、八年戦争を制したファジョーリの名は民の間に語り継がれている。
当時の王の名は忘れ去られたが、国を守るために戦い続けたファジョーリ王子とオルティス将軍の功績は今なお称えられ、その名を知らぬ民はいない。
「男同士というのは驚きましたけど、ああいう番の形もありですよね」
しみじみとそう呟くナツィオをフィールは軽く睨んだ。
「他人事だと思って軽く言うな。
お前、男を妻にしたいか? というか、妻にされるかもしれないんだぞ」
そう言ってやれば、ナツィオはちょっと考え込んだ。その後、何を想像したのか、二の腕に見事な鳥肌を立てていた。
「あー、やっぱり番は女性がいいですよね」
当たり前の結論にようやく達したナツィオだった。
ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました。元々、短編の物語でしたが、感想をいただいて続きを考えるようになり、ファジョーリ王子の話が読みたいと言って下さった方がいて、何故ファジョーリは男を番に選んだのだろうと考えるようになりました。お陰さまでファジョーリのお話も完結しました。読んで下さった方々に感謝いたします。