1章5話 平和主義者ルーク、ブチ切れ
勢いよくドアを開けた俺に、四人の視線が集まる。
ウィルルさんだけが着席し、三人は向かい合って立っていた。一触即発だった流れを無理に止めたことで妙な空気になっているが、強制的にこの場を終わりにしよう。
ドアを閉め、皆を見回しながら歩み寄る。戸惑うような声色で言った。
「レイジさんに、食堂に行けって言われて来たんです。なんで、喧嘩してるんですか」
――ウィルルさんは多分この場を収めれば落ち着く。ケインさんは自分で立て直しそうだし、女性二人は大丈夫だろう。
問題は男性二人。立ったまま睨み合っていて、一度剥いた牙を引っ込めるには理由が必要そうだ。
話が通じやすそうなカルミアさんに寄っていく。ほぼ部外者という立場を利用して、水を差してやる。
「何があったんですか」
狙い通り、カルミアさんは目を泳がせた後、苦笑いを浮かべて頭を掻いた。
「ああ、いや……ううん、なんでもないんだ。昼ご飯にしようか」
こうなれば、ログマさんも一人で怒ってる訳にはいかないだろ。厳しい顔を向ける。
「何があったか分からないけど、揉め事は――」
次の瞬間、ばちんと明かりを消したように視界が暗くなった。え、と目を押さえようとした両腕が、左脇腹の焼けるような痛みで硬直する。
ウィルルさんの悲鳴と、ケインさんとカルミアさんらしき足音が聞こえる。
「うう……!」
脇腹が熱い。片膝を落とした俺は、両手を腹に当てて水霊術で冷やす。マシにはなるが、少しでも術を弱めるとまた痛みが戻る。視界は未だに暗いままで、何が起こったか分からない。
ログマさんの冷たい声が上から降ってくる。
「お前が得意なのは光と水だ。見りゃ分かる。闇と火は痛えだろ? 俺は全属性使えるって言ってやったのに、油断しすぎなんだよ。雑魚」
ばちんと視界が戻る。闇霊術を食らったのは初めてだった。眼球を取られたかと思って、怖かった。
見上げると、カルミアさんがログマさんの右手首を捻り上げ、ケインさんは左腕を後ろへ引っ張っている。ログマさんは、つまらなそうにこっちを見下ろしていた。
二人のお陰で術は止まったようだけど、まだ脇腹が痛い。目をやると、服が焦げて焼け落ち、浅く広く火傷で赤くなっていた。
ウィルルさんが泣きながら駆け寄ってきた。
「ごめんなさい。痛いかもしれないけど、冷やします。ごめんなさい。ごめんなさい」
濡れタオルを腹に当ててもらいながら、まんまとやられた悔しさと、不意を付かれた混乱で頭がいっぱいだった。目を伏せ、ありのままを話す余裕しかない。
「確かに、君の言う通り油断した。慢心してたみたいだ。仲良くやりたいとだけ、思ってた……」
ログマさんが吐き捨てる。
「お前も甘えん坊か。しかも嘘吐きだ。最初から俺達をジロジロ値踏みして、自分はコイツらとは違うって思ってたろ」
ショックだった。決してそんな事は思ってなかったけど、そんな風に見えていた事が、申し訳なくて。
ログマさんは、冷たくも強い口調で続けた。
「そのくせに役職は伏せるし、盗み聞きするし、やる事が小さい。何も分からないくせに、何かできると思ってる勘違い野郎。仲良しこよしすらできねえんだよ」
図々しく、身の程知らず。先程の言葉が新たな意味を持ち、改めて俺の心に突き刺さる。心身が苦しくて顔をあげられない。
……でもやっぱり、この人は言葉が強すぎる。
「言いたいことは分かる。不快にさせて、ごめん。自信がない、小さい奴なんだ。改めていくよ」
震える息を大きく吸い、立ち上がる。
彼の眼差しから伝わるその敵意が、とにかく辛かった。歯を食いしばり、少し上にある彼の目を見て、語気を強める。
「でも嘘は吐いてない。皆をよく見てるのも、さっきの盗み聞きも、仲間として仲良くやるためだ」
ログマさんの目線から感じる苛立ちが濃くなった。だが、俺も言われ放題のままではいられない。
「今だって、君が苛立ちを収めてくれると信じてた。仲間と友好的な関係を作りたいって、こんな事をされるほど悪いことか?」
言っているうちに、脇腹よりも頭が熱を帯びてきた。
「自分が気に入らないからって組織の和を乱す君に、何もできないだなんて、馬鹿にされたくないんだよ」
彼はそれでもなお、馬鹿にした声で笑った。
「組織の和、ねえ。大方、お前は他で上手くやれなかったんだろ。だから皆に気に入られたくて必死なんだな。涙ぐましいね」
ログマさんは、両腕のカルミアさんとケインさんを何かの霊術で弾き飛ばした。そのまま俺の横へ手を伸ばし、ウィルルさんも弾き飛ばされる。彼らは麻痺しているようで、上手く立ち上がれない。
再び、黒い手袋の右手を向けられた。今度は頭が内側から弾けそうに痛む。頭を抱えるも耐えられずに、叫んだ。
「うっ……ああぁ!」
「早く辞めちまえ。ここは健常者崩れの腰掛け場所じゃねえんだよ。苦労も知らねえ平和主義者め、反吐が出る――」
俺の中で、何かが切れた。
斜め前に半身で踏み込んで、ログマさんの右手の前を逃れる。
少し意外そうな顔をしながらも、彼は右掌を当然俺に向け直す。再び襲い来る頭痛に耐えながら、彼の胸元と左腕を掴んだ。長い足の間に踏み込んで、彼の体勢を崩す。
ログマさんが苛立つ。
「あぁうぜえ。離せ!」
後ろに反らされた彼が抵抗し、俺の肩を右手で掴んで燃やす。激痛に叫ぶが、これは好機。
彼の力を逃しながら後ろへ倒れ込む。共に倒れ込んでくる彼を掴んだまま、腹を蹴り上げてぐるんと後ろの床へと叩きつけた。予想より派手な音がした。
肩と腹の痛みで荒く息をしながら体を起こし、仰向けに倒れた彼へ向き直る。
「馬鹿にすんなって――言っただろ。俺だって――はぁ、苦労を積んで、ここに来てんだよ」
彼は背中を思い切り打ったようで、顔を顰めながら体を捻りこちらを睨んだ。
「クソが……やれるなら最初からやれよ、腰抜け……」
俺は、心身への暴力にも、結局揉め事を起こした自分にも、猛烈に怒っていた。火傷が痛みに脈打つ度に、怒りの熱が全身に回る。
ログマさんは大きな紫色の瞳で俺を睨みつけ、追撃の機会を窺っているようだった。俺は仲間だって、友好的にやろうって、さっきから言ってるだろうが。物分かりの悪い彼への苛立ちに身体が震える。
こちらに伸びた彼の右手首を踏みつけて片膝をつき、硬く握っている左拳を軽く指差し水霊術で凍らせた。
息はまだ整わないが、銀髪を見下ろして言う。
「ログマさんの言った事は、大体正しかったと思うよ。でも最後、俺の事、苦労を知らないって言ったよな。そう見えたかよ。あ?」
ログマさんは不敵にニヤついた。
「言ったよ。そう見える。お前の愛想笑いは、生ぬるい世界に生きてきた奴のそれだ」
ああ、もう駄目だ。猛スピードで生まれ続ける脳内の言葉を口から出さないと、頭が噴火してしまいそうだ。
彼の頭を掴んで、床に擦り付けた。
「俺の苦労はお前みたいな奴には分からねえよな。無抵抗な味方を攻撃しやがって。組織の中で、感情のままに行動するお前こそ生ぬるい。稚拙で、甘えん坊だ」
ログマさん含め、皆意識はあるはずなのに、誰も何も言わなかった。
「お前にも分かるように教えてやるよ」
俺の粗野な言葉だけが、広い食堂にやけに響いている。
「組織に必要なのは協力関係だ。特にこの会社では、仕事にも生活にも協力が必要だ。お前がこうして好き勝手すると、誰かがカバーしなきゃいけなくなるんだよ」
怒りで心臓が暴れて、息をするのも苦しい。
「カバーするのが、俺のような平和主義者だ。お前には、その苦労が分からないか? 分かってて甘えてるのか? 何にせよ未熟すぎる。反吐が出るのはこっちだよ」
彼の頭から手を離し、大きく息を吸う。
「――もう一度言うぞ! 今日から俺達は仲間だ。上手くやろう。感情のままに行動して、組織の和を乱すんじゃねえ!」
言い終えてまた大きく息を吸うと、壊れたように呼吸が止まらなくなった。目の前がチカチカして、手足が痺れる。手を前について胸元を押さえるが、効果はなかった。
誰かが騒ぐ声を遠目に聞きながら、意識を飛ばしてしまった。




