11章59話 襲撃と恐怖
一瞬で空気が張り詰めた。皆を見回して叫ぶ。
「集まれ! ウィルル、皆を隠してくれ!」
「う、うん! 固まって……!」
もう俺にも分かる。ヤバい醜穢反応が近づいてくる。
五人全員が通路端に固まる。ウィルルの杖から生じた光の膜が俺達を覆った次の瞬間、空が暗くなった。
この通路は天井がない。だから、風竜の様子がよく見えた。
風竜は、さっき俺達が戦っていた地点の上空を大きく三周旋回した後、通路のすぐ横の崩れた柱の上に降り立つ。若葉色の巨体が初秋の眩い日差しに照らされ、落とした影は俺達を広く覆った。
全長は、二階建ての建物――大人の男四人分くらいはあろうか。広い翼は、片方だけで俺達五人を一度に薙ぎ倒せる広さだ。大きな口には鋭利な牙が光り、瞳はギョロギョロと絶え間なく周囲を警戒している。全身を覆う鱗の煌めきは、神々しさすら感じた。
その姿を見ただけで心臓が暴れ、頭が痺れた。醜穢反応――モンスター特有の不浄なオーラは、その辺の雑魚とは比べ物にならない。こんなに強いモンスターは見たことがない。
兵団時代も強敵は沢山いたが、ここまで強大な場合は討伐に向けて小隊が組まれた。そして俺は討伐隊に組まれはしても、それを率いて動かしたことなどはない。
でも今の俺は、この場にいるメンバーのリーダーだ。気丈に振る舞わなくてはいけない。怖いのは皆一緒だ。俺が皆を安心させたい。そんなリーダーでありたい。――なのに、すっかり身が竦んでいた。
すぐ横で、ウィルルが目を固く閉じて懸命に杖を握っている。誰よりも怖がりで、現場経験がないはずの彼女は、ガタガタと震えながらも役目を全うしていた。
風竜が翼を大きく広げ、その翼全体に緑の光球が次々と作られる。そして、奴の喉から胸がゆっくりと大きく膨らんだ。
本能で危険を感じ、地面に両手をつく。ログマも同じ考えだったらしく、ウィルルの光の膜の内側に二重の地属性シールドが形成された。
――予想通りだった。風竜の息吹と風術弾が広範囲の爆風となって吹き荒れた。
遺跡のかけらは無数の弾丸となり、俺達を襲う。シールドが石を弾いている様が見つからない事を祈るしかない。
風の刃によって、光の膜がブレてシールドにはヒビが入る。ウィルルと俺とログマは足を踏み締め、歯を軋ませて、かろうじてそれらを維持した。
ついに大きな礫《つぶてさんが二重のシールドを貫通し、後ろの壁に当たって爆ぜた。俺達の限界は近かった。
短いとも長いとも分からない耐久の末、ようやく風が凪ぐ。竜は再び辺りを旋回した後、元の広場へ向かって飛び去っていった。
辺りは静まり返り、俺達も息を殺していた。怖くて、シールドを解除できなかった。静寂に押しつぶされそうだった。
風竜は本当に去っただろうか。地面に手をついたまま、後ろへ小声で話しかけた。
「ケイン……竜は……」
返事がない。振り返って、息を呑んだ。
ケインは地面に丸まって、頭を抱えてガタガタ震えていた。
彼女に代わり、青白い顔で荒く息をするログマが教えてくれた。
「風竜はもう、目視も感知もできない距離にいる」
その瞬間光の膜は消え、ウィルルがその場に崩れた。疲労で顔を歪め、喘鳴を発する。俺もそうしたいくらいだったけど、ケインが心配で、自分の疲労は後回しになった。
上がった息と動揺した心のまま、なるべく優しく言おうとして、情けない声が出た。
「ケイン、終わったよ」
彼女の反応はない。震えたままで顔も見えない。
迷ったが、肩に手を添えて揺さぶった。
「ケイン、ケイン! もう大丈夫、皆いる!」
すると彼女の身体がビクッと強張った。
「ごめんなさい……ごめんなさい! 私が悪いです次はちゃんとやります反省します、もっと頑張れます、だから許して下さい! うあああぁ」
怯え切った声だった。慌てて肩から手を離したが、彼女の震えは止まらない。
何か察したらしいウィルルがよろよろと体を起こし、丸まったままの彼女を優しく抱いた。
彼女はウィルルに撫でられながら泣きじゃくる。壁際にもたれていたカルミアさんが、顎を掻いた。
「ありゃあ……何かトラウマを刺激しちゃったかね」
ショックで立ち尽くした。俺、やらかしちゃったらしい。
もう微動だにできずにおろおろしている俺を見て、カルミアさんはこちらに来てくれた。
ウィルルの肩で震えるケインの頭をわしゃしゃと撫でる。
「ケイン、カルさんだよ。大丈夫、もう大丈夫。何も怖くないよ、誰も酷いことしないよ」
最初こそびくっと体を強張らせたケインだが、カルミアさんの声を聞いて撫でられるうちに、やがて安心したように脱力した。
そして、彼女ははっと顔を上げた。我に返ったのだろう。戸惑っているが、顔つきはいつもの彼女に戻っていた。芯の強いしっかり者の、まっすぐな瞳。
ウィルルは、ケインの表情が戻ったのを見て、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「ケインちゃん、帰ろ。今日の夜ご飯は、お部屋で二人で食べようね」
ケインは慌てて立ち上がり、服と髪を整えて、ぺこっと頭を下げた。
「皆、ごめん。取り乱しちゃった」
ほっと胸を撫で下ろし、頭を下げた。
「ケイン、ごめん。俺が嫌な事をしたせいだ」
彼女は赤い顔でいたずらっぽく笑い、ぷいとそっぽを向いた。
「そうだよ。私、しばらくルークとは口利かないからね」
「嘘でしょ?」
俺達は、いつもの雰囲気で笑った。




