6章30話 不気味な熊
スプーキーベアは、名前通り、熊らしい危険性の高さに加えて不気味な技を使う。こちらに背を向けていたのに、俺達の足音に気づいてぐるんと首だけを真後ろへ回転させた。
向けられた顔は、熊らしい輪郭にウロのような黒々とした穴が三つ空いただけ。知識通りではあるが、その無機質さに恐怖を感じる。
「いやー、怖い顔してるねえ」
全然怖がってなさそうなカルミアさんが、ハルバードを構えた。俺もロングソードを抜く。
後ろからケインの声が響いた。
「ルーク、カルさん、近距離は危険だと思うから注意して。隙を作ってくれたら、私とログマで遠距離から攻撃してみるね!」
確かに、こいつは図体が大きいため一撃が重いと習った。また、個体ごとに強みが違うらしい。慎重になるべきだ。
「ケイン、了解! ウィルル、俺達が危ない時は精霊術で守ってくれるか?」
「あっ、うん!」
真っ先に駆け出した。小手調べだ。
左脚で地面を蹴って飛びかかりながら、カクカクと左右に傾げている不気味な頭へと真っ直ぐに剣を振り下ろす。
次の瞬間、俺の視界はぐるりと周り、青い空だけになった。
「えっ? ――ぐっ!」
背中から地面に叩きつけられ、息が止まる。
小手調べのつもりが、これでは何をされたか分からない。衝撃に顔を顰めながら立ち上がって、飛び退いて距離を取る。首をそのままに身体をぐるりと向けてきたスプーキーベアへ再度剣を構えた。
「カルミアさん! 俺、どうなってた?」
「剣が当たる前に赤いシールドのようなものが出て、剣を起点に一回転されてたよ。これは確かに厄介だなあ」
スプーキーベアが輪郭を大きく膨らまし、広げたウロの中にびっしりと生えた牙を見せた。そして突進。ウィルルの防御も間に合うか分からない速さだ。
「くっ……!」
おそらく手足を噛みちぎるつもりだ。だが剣は弾かれる。直前で躱すしかない!
いよいよ距離が縮まり脚に力を込めた瞬間、スプーキーペアがガロロロと鳴いて仰け反った。
――カルミアさんの振り下ろしたハルバードの斧が、奴の斜め後ろを捉えていた。
モンスター特有の黒い体液が背中から流れ、霧となって空気へ溶けていく。カルミアさんはふぅと息をつき、手首を軽く返して構え直しながら言った。
「なるほど。シールドは自動で発動するわけじゃないのか。それと、皮膚が硬い。それなりの火力か手数が必要だね」
カルミアさんは後衛へ声を張った。
「――ケイン、ログマ! 攻撃が読まれなければいいらしい、死角を狙ってがんがん撃って!」
「うん!」
「了解」
俺とカルミアさんの身体が黄金の膜に包まれた。後方に立つウィルルが物理耐性シールドを張ってくれたのだ。
「速すぎて守るのが間に合わないの、だからこれで頑張って……!」
「助かる! ありがとう!」
早速カルミアさんが前に出て、奴の鼻先へ槍先を突き出す。当然シールドが出たが、それに当たる手前でぴたりと止めた。敵対心を向けさせるには最適な方法かもしれない。つくづく彼はターゲッターとして優秀だ。
スプーキーベアは腹を立て、槍先を片手で弾く。素早く退いたカルミアさんへ齧りつこうと前へ牙を突き出した隙に、俺が後ろから斬り上げた。
「くそ、確かに硬いな……!」
剣は皮膚を撫で、浅い傷を残した。かなり体重をかけないと深い傷は与えられなそうだ。だが、僅かな死角と隙にそんな重い一撃を加えるのは難度が高い。
奴が背後の俺へ爪を向けて突き上げてきたが、身を逸らして避けた。
反った身体を起こしたら、カルミアさんが後方へ吹き飛び樹木に叩きつけられていた。スプーキーベアの体勢を見るに、俺を攻撃した後身体を捻って薙ぎ払ったというところだろうか。突進と言い、かなりの速さがある。
自分の位置から呼びかける。
「だっ、大丈夫か!」
「ぐ……大丈夫、傷はないよ! ウィルルの防御の後で幸運だった」
駆け寄ってきたウィルルがカルミアさんを癒した。
彼らを狙われる訳にはいかない。目をこちらへ向けてもらう!
駆けて軽く跳び、奴の後頭部へ剣先を走らせる。噴き出す黒い霧を確認し、着地した膝を折って後ろへと三歩跳んだ。
思惑通りに再度俺を向いたスプーキーベアの後ろ姿を、ケインの矢とログマの火球が襲う。
奴はウロから怒りの咆哮を上げて振り返った。まずい、後衛に狙いが移った。
――今から駆けても突進の速度には追いつかないだろうが、この技なら少しは役に立つかもしれない。
追いながら剣を下段に構え、奴へ向ける。目一杯悲しい事を考えて集中すると、辺りの水分が凝集し、奴の足元が水球に包まれる。先日盗賊団に使ったのと同じ技だが、今回はそれで終わりじゃない。そのまま水球から吸熱し、凍らせた。
スプーキーベアは不安定な体勢で足を氷で包まれ、よろけた。いずれは溶けて割られるだろうが、隙は作れる筈だ。睨みながら集中を続けた。
ケインの矢が胸部へ突き刺さり、奴は前傾になる。だが、硬い皮膚のせいで致命傷に一歩及ばなかったようだ。彼女の顔が悔しそうに歪む。
だがそれで生まれた隙は大きい。ログマが奴へと構えた手斧が黄金に光る。
凄みのある声が響いた。
「はぁっ!」
両脚を開いて跳んだ彼の片膝と地面との距離が一気に縮む。手斧が強く振り下ろされ、地面に深く食い込んだ。
ログマが術に感情を乗せるのは、大技を繰り出す時だ。彼の気迫に呼応して、奴の足元が黄金に光る。
地面が大きく変形して寄り集まり、巨大なドリルとなってスプーキーベアの身体を正面から貫いた。
……奴の背後で剣を構えていた俺は、バケツをひっくり返したような体液と肉片を浴びる事になった。
濁った風音のような不気味な断末魔が響き、奴の体は端の方から黒く霧散していく。
俺が被ったものも徐々に霧になるだろうが、気分は良くないので顔を顰めた。ログマは全身ドロドロに濡れた俺を見て腹を抱えて笑っている。狙ってやったんじゃねえだろうな。
やがてはその体液もサラサラと風に流され、視界が開ける。
奴がいた所の足元に目をやると、土の上に誰かの落し物や上質そうな毛皮などがバラバラと転がっていた。戦利品だ。
確認と回収に向かったウィルルが歓声を上げた。
「ふわー! これ、探してたペンダント?」
拾い上げた彼女の手元をケインが覗き込み、嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねた。
「やったあ! 凄い、初日で依頼達成しちゃった!」
「わあい。よかったー」
恐らく、あのスプーキーベアが世の悪意などの不浄を集めて肥大化する過程で、偶然取り込まれていたのだろう。早く遭遇出来たのは幸運だった。剣を納め、目標達成にただただ胸を撫で下ろした。
カルミアさんは穂鞘を槍先に被せながら、手斧をロングコートの内側へ納めたログマへと向かった。
「見ておいでよ」
「……別にいい。間違いようがないだろ」
カルミアさんが女性達に声をかける。
「ログマに確認してもらおーよ」
「いいって――!」
ログマが制する間もなく彼女らは駆け寄ってきた。ケインが満面の笑みで差し出す。
「ほら! これでしょ?」
それを見たログマは、口元をばっと押さえて後退りした。
「うっ……!」




