34章280話 久しぶり、ウッズ
敷地内でも一際豪奢な建物へ。ガノンが丁寧で明るい声と共に応接室の扉を開ける。
「失礼致します。貴重なお時間を頂戴し、誠にありがとうございます!」
入室し共に深く敬礼。下げた頭を上げれば、とうとう、憎くて怖くてぶん殴りたいアイツの顔が見える。
腹が震えて吐き気を感じた――のは驚くほど一瞬だった。違和感への興味が勝ったのだ。
ソファに腰掛けるウッズは、間違いなく高貴な身なりをしている。金の癖毛と金の瞳も以前と変わらない。なのに、記憶の中の彼より更に醜く映った。元々戦士失格な心身だと思ってはいたし、俺より四つ歳上な事も考慮はしたいが、俺の色眼鏡や加齢が原因ではないだろう。
不健康に太って弛んだ身体は、以前にも増して省みられていない事が明白。いっそう不健全に歪んだ人柄と精神が、表情へと色濃く表れて隠せていない。顔の皮脂と吹き出物が目立ち、すえた臭いすら漂い、鈍く光る眼球が異質な主張を見せる。
確かにこれは『ご乱心』だと、変に腑に落ちた。これまでとは異なる得体の知れなさを、ただ不気味だと思った。
立ち上がるどころか挨拶もしなかったウッズ。嘲笑と苛立ちのため息をついた。
「こんな時に突然、どうしたって言うの。僕に利のある話なんだろうね?」
ガノンは温和に濁して答えず、俺を伴ってウッズの向かいに腰掛けた。急先鋒をガノンが担う間、俺はじっくり敵の様子を観察する。……エバッソさんからは、その時間で心を整えろとだけ強めに言われた。全く、どこを信用されてないかよく分かる。
「まずはご挨拶をさせて下さいな。私、防衛団帝都北区支部から参りました、ガノンと申します。昨年は色々とお世話になりました」
「いえいえ。悪いけど、僕は君を覚えてないしね」
「ご多忙ですもん、無理ないっす! けれど私の方はね、貴族の方から直々にルークさんの情報を下さったという事が印象的で、忘れられなかったんです」
「ふっ、必要だと思ったからやっただけ。で、そいつがどうしましたって?」
本題を急く口の端が上がっている。自分に有利な情報を期待しているのが明らかだ。思った以上に余裕がないらしい。――俺達が二人とも武器を帯びたままだという相当な無礼にすら、気付かないほど。
「そのルークさんがですね。今、ウッズ様こそ怪しいと熱心に訴えてきているんです」
「は?」
三白眼をぎょろっと見開くウッズと、悠然と続けるガノン。
「なんだよ? そっちを信じて僕の所に来たって言うなら、どうなっても知らないぞ」
「いやー、お恥ずかしい限りですが、情報が錯綜して対応に悩んでしまいまして。私共の方でもお力添えの形を考えてはおりますが――ここは一つ、当人同士の話し合いでの解決を試みて頂けないです?」
文句を畳み掛けようとしたウッズが、急にハッとしてこちらへ目を向けた。
俺はちょうど兜の面頬を上げた所。特徴のない顔面だが、見せた目元だけで誰だか分かったらしい。ウッズの表情が強い怒りと困惑、少しばかりの恐怖に塗り潰されていく。
兜の紐や留金を外していく間に、ウッズは勢いよく立ち上がってガノンのマントの襟元を乱暴に掴んだ。持ち上げた彼に対して、感情のままに怒鳴り散らす。
「ふざけるなッ! 貴族の僕を平民のコイツに売ったのか? 防衛団の格好まで貸して? 頭おかしいだろ! この非国民!」
「うははは。売国奴に言われましても」
「な――? ぶ、無礼にも程があるぞ!」
外した兜を置いて立ち上がり、友人を不躾に掴み上げる腕を強く握る。筋肉の境を裂く勢いで指をめり込ませると、ウッズは難なく拳を緩めてガノンを離した。
ウッズが恐ろしい顔をしてこちらを見ている。俺はどんな顔を見せてやるべきか――事前に色々と考えた筈だったけど、勝手に浮かんだのは慣れた素直な苦笑。
「久しぶり、ウッズ。俺に負けず劣らず、あんまり元気そうじゃないな」
声はいつも通り。震えなかったのはいいが、迫力もない。よって、ウッズの焦燥と憤りを抑え込めなかった。
顔面を狙うデカい拳。首を傾げて耳元に風音を感じつつ、上腕を捕らえて捻る。同時にもう片方の手の指先で奴の眉間を軽く突いた。
急所と利き手を押さえられ、俺程度の精霊術でも命を脅かせる状況である事は認識したらしい。力むだけで動かなくなった。
流石に呆れて、自分を鼓舞するために反芻していた事実が口から滑り出てしまう。
「手下と権力を頼りすぎて忘れたか? お前、正当な勝負で俺に勝ったこと一度もないんだぞ」
ウッズの顔は屈辱で真っ赤になったが、すぐに享楽的な笑顔へと変わった。
「ぐぐっ――お、お前こそ忘れたか? 僕に逆らって全部失ったクセに懲りないな! ひゃっははは……やっぱりもう一度、丁寧に叩き込んであげた方が良さそうだねえ!」
ああ、つい目を逸らしたくなる。下手に譲るか思い切り攻撃するか、慣れた方法で身を守りたくなる。
けれど脳裏には、不器用な仲間達と得た幸せの実感、痛みと共に掘り起こした今の自分の強さがある。――勝手に発動している古い生存戦略なんかより、俺はそっちを信じる。
記憶にビビるな。目の前を睨みつけろ。大事な人達の優しさが紡いでくれた、これからを掴むんだ。
「喚くな。座れ。ガノンが言った通り、和解するために繋いでもらったんだから」
「お前ごときが僕に命令するなあああ!」
「今だけはお願いを聞いてくれないか?」
殺し合いならいつでも出来るけど、それじゃ困るんだ――と目で語りながら指先を眉間にぐっと押し込むと、ようやく座ってくれた。
揃って着座。ウッズは口元を押さえて今度は青い顔をし、対談するには警戒を強めすぎているように見えた。ガノンが設定に沿って話しながら、それを解こうと試みる。
「最初に言っとく。通報はできない。時間は三十分だ。それと勘違いすんなよ、俺は中立だ。ルークから相談を受けて、ガチっぽいと思ったから個人的に協力しただけで、防衛団側には何も話してない。ルークの話が本当かどうかも調べてねーよ」
「……ひゃはは。何も知らないのにここまでの事をしたの? お偉いさん、黙ってないよ? ルークと同じ、身の程知らずで自滅するバカかあ。類が友を呼んだんだね」
「あー、もっかい言うわ。俺だけはもう全部聞いた。まだ誰にも話してないし調べてない、だけな。……ここで矛を収めるのが互いの為だと思うぜ」
ガノンは立ち上がり、俺の肩をポンと叩いてドアへ向かった。
「じゃ、俺は失礼すんね。平和に頼むよ」
その後ろ姿に、ウッズが粘つく笑い声をぶつける。
「ひひひ……思い出したよ、ガノンくん」
ドアノブに手を掛けたガノンは、無言で動きを止めた。……俺は今になって、初対面の彼が『ウッズは俺と同じ学園の先輩だったんです』と言っていた事を思い出した。
「お前のお兄さんとは、一時期仲良くさせてもらってたからね。喧嘩別れになった時は、本当に残念だったよ。不登校な『鬼』の弟くんさえいなければ、違ったのになあぁ?」
鬼――。日常に溶け込む言葉の一つだが、この場合は明確な悪意がある。特殊な力を持つ有角人を、和を乱して災を呼ぶ化け物と見なす、前時代的な思想。古の蔑称をわざわざ引っ張り出し、個人の過去を貶したのだ。こいつ……!
「で? その弟本人は、守ってくれた家族を捨ててこんなとこでルークに騙されてんの? あいつもさっさと見限ればよかったのにね、まあ兄弟揃ってバカだったってことかぁ!」
ガノンは振り返らず、冷たく返した。
「兄貴は、俺のお陰でウッズと手を切れたって、笑ってくれてるよ」
そしてそのまま部屋から去った。
……こんなの、別室の上司達には絶対聞かれたくなかったよな。ごめん、ガノン。力を貸してくれて、本当にありがとう。
ウッズは、他人を蔑んだ事で調子を取り戻し、ニヤニヤ笑っている。目の前の怨敵へ、戦闘時と同じ目で対峙した。
「改めまして。株式会社イルネスカドル、本部チームリーダー……通称『友愛の狂人』ルークです。――仲直り、しようか」




