2章10話 どうしろって言うんだー!
不本意な形とは言え身体を動かした事で、少しモヤモヤは晴れていた。そろそろ夕飯だろう、配膳でもしてダンカムさんを手伝おう。
食堂へ行くと、既にカルミアさんが席についていた。こちらに気づくと、微笑んで手を振ってくれる。
「カルミアさん! 朝より少し顔色良さそうだな。俺、ダンカムさん手伝ってくる」
ああ、カルミアさんが出てきてくれた。なんだか嬉しかった。
キッチンでは、ダンカムさんがコンロに向かっていた。
「ダンカムさん、料理ありがとうございます。食器とか持っていっちゃいますね」
ダンカムさんはこちらを振り返り、明るく返した。
「おおルーク! 頼むわー。僕、料理終わったら退勤するから、料理の後片付けもお願いできるか。料理業務賃の半額つけとくよ」
「了解です、任せてください」
冷蔵庫からお茶のポットを取って振り返ると、すぐ後ろにカルミアさんが立っていた。
「わっ、びっくりした。どうした、何か取りにきたの?」
カルミアさんは無言で微笑んでいる。よく見るとなんだか目がうつろだ。
――この雰囲気、知っている。絶対酔っ払いだ。
「カルミアさん、酒、飲んでるよな。結構な量……」
満面の笑みを浮かべた彼に、肩を力一杯抱かれる。
「あったりー! ルークは賢いなあ。今すごく楽しい気分なんだよ。飲もうぜ!」
痛いし酒臭い。持っていたポットを慌ててキッチン内のテーブルに置く。
「落としちゃうって! て言うか、今朝も酒で伏せってたでしょう。落ち着いて水飲みなよ」
「つれないこと言うね。今最高なのに水なんて差さないよ!」
「わかったから。重い! 離して」
ダンカムさんが鍋をかき混ぜる手を止め、心配そうにこちらを見ている。
「飲み過ぎるなって言ってるのに! 水飲んで座れ、怪我するから。ルーク、悪いんだけどそのダメなおじさんに水を飲ませてやってくれ」
ぶらーんと手を挙げるカルミアさん。
「はぁーい、ダメなおじさんです! よろしくう」
「お前……本当に禁酒にするぞ」
「やめて、ほんとにやめて。反省するから。ね、ね!」
俺はカルミアさんを肩にくっつけたまま食卓へ。カルミアさんを椅子に置く。
キッチンでグラスに水を汲んで彼の口に運んだが、突然黙って俯いてしまって上手くいかなかった。
「もおお、飲めってー!」
かと思えば突然グラスを奪い取って、一気に飲み干す。そしてまたガックリ脱力。グラスがカーペットに転がった。もう、行動も思考も全然読めなくて怖い。
何はともあれ静かになった。グラスを拾い上げて食卓に置き、背を向けた時、背後から声がした。
「ルーク」
振り返る。カルミアさんが項垂れたまま俺を呼んだようだ。返事をすると、彼は掠れ声で続けた。
「俺さ。ほんとは、こんな風にしてる場合じゃないんだ。でも、大事なものの事を考えると、凄く辛くなって――迷惑かけて、ごめん」
表情は見えない。感情も声からは分からない。でも、彼の大事な傷を覗かせてくれたような、そんな気がした。
「いいよ。次から気をつけて。適量なら、俺も付き合うから、ね」
返事はなかった。意識が朦朧としているのだろうか、心配だ。ひとまず配膳の続きをと、キッチンに引き返した。
ダンカムさんがあっと声を上げた。
「ごめん、ルーク。食品倉庫からトマトソースを持ってきてくれないか」
「あっ、了解です。食卓に出します?」
「うん! 手間をかけるね」
食堂を出て、食品倉庫へ向かう。まだ物の配置を覚えていないが、見つけられるだろうか。
倉庫ドアを開けた瞬間、誰かと鉢合わせた。
「わあっ! ごめんなさい!」
咄嗟に謝って相手を見ると、お菓子とパンを抱えた知らない人だった。全体的にだるっとした服装、足元は裸足。四方八方にうねうねとした髪、覇気のない表情。
しかし、その開ききってないエメラルド色の目には見覚えがあった。
「ケイン――」
名前を呼んだすぐ後に、震える声が返ってきた。
「……ルーク」
「う、うん?」
ケインは、虚ろな瞳で微笑んだ。
「見られちゃったね。死ぬ。バイバイ」
あまりの急展開に頭がついて行かない。
「うええ? いやダメダメダメ!」
「そうです私はダメです! さよなら!」
駆け出そうとする彼女の腕を慌てて掴んだ。
「いや、あの、その――死なないで! 見てごめん、本当にごめん!」
「触らせちゃった! 謝らせちゃった! 死にたあい!」
どうしろって言うんだ。どうやっても死ぬルートだ。腕を本気で掴んだら痛いだろうから、必死で言葉で訴えた。
「うわー! 頼むから生きてて! どんな格好でも何食べてもいいから! 頼むよー!」
横に振り続けていたケインの首が止まる。
「生きなきゃ怒るの……?」
これは好機か? 息が上がったまま答える。
「そっ、そう! 俺、怒っちゃう! だから生きて――」
「怒らせちゃった! なのに死ねない! うあああ!」
俺が愕然としている間に彼女は駆け出して、転げ落ちるような猛スピードで階段を降りていってしまった。何かをしきりに呟くのが聞こえた。
……凄く気にかかるが、逃げる彼女を追いかけるのも、違う気がした。死ねないと言ってくれたし、そっとしておこう。
なんとか見つけたソースを持って戻る。料理はそろそろ出来上がりだろう。食卓のグラスに再度水を汲む。
「カルミアさん、お水置いとくよ。飲んでね」
呻き声で返事をされたところで、ログマが食堂へ入ってきた。
「おぉログマ。少しは寝られた?」
「一睡も。ずっと部屋にいて気が滅入ってきたから、こっちで食べるわ」
「そうか……。座ってて、カルミアさんは潰れてるけど」
取り分けはやるよと言うダンカムさんに甘えて、箸とお茶を用意してようやく席に座った。妙に疲れた。
少し経ってウィルルも食堂にやってきた。服装がスカートとブラウスに変わってる。人懐っこい微笑みを俺に向けて駆け寄ってきた。
さっきのエスタとのやりとり、聞いてたんだよな。守るとか言ったことを思い出し、居心地が悪くなる。
「ルーク、さっきはありがと」
「お疲れ様。エスタの事だよね……ちょっと手荒になってごめん。背中とか痛くないか?」
「痛くないよ。あのね、エスタが落ち着いて会話したの、ルークが初めて。嬉しい」
「そうなのか。そう言って貰えて光栄だよ」
まあ、あれだけ攻撃的ならな……。
ダンカムさんが食事を持ってきてくれた。温かい麺と、茹で野菜のサラダ。消化に良さそうだ。
「召し上がれ! カルミアは多分食べられないと思うから、サラダだけ冷蔵庫に入れておいたよ。伝えておいてくれ」
なんの苦労も感じさせない笑顔が眩しい。
「君達が心配だけど、今日は僕も都合があって。明日はなるべく早く来るよ。じゃあ、お先に失礼します!」
彼は駆け足で元気に去っていった。
残された俺達は挨拶もそこそこに食事を始める。
男三人はそれぞれ満身創痍といった様相だったけど、ウィルルはとっても元気だった。
「美味しいね。私、麺類大好き。ルーク美味しい?」
「あ、ああ美味しいね。ダンカムさん料理上手だなぁ」
「私、料理、何回も失敗するから、お父さんに怒られちゃうんだ。でもね、ケインちゃんは上手で優しいから時々教えてくれるの。あっ、でも私、裁縫は得意なんだよ」
「おお、すごい。今度見せてよ」
ウィルルが心を開いてくれたのが伝わってきて、それは嬉しかったが、今日は色々ありすぎてちょっと疲れてる。でもそれを言うくらいなら我慢して相槌を打っていた方が楽だった。
こうやって本音を隠し一線を引くことをエスタに指摘されたんだろうが、俺にはどうしても言えない。
――斜向かいだが、目の焦点が合ってないログマが怖い。でも食事はしている。俺は滅多な事がない限りは眠れるので想像の域を出ないが、めちゃくちゃ辛いんだろうな。
「ログマ、片付けはやっとくから、食べたらすぐ休め」
「助かる」
食べ進めながら、シンプルな疑問を彼に投げてみる。
「あのさ、長い時間眠れないとどんな感じになるんだ?」
「あー、お前は眠れるのか」
ログマはすらすらと答えた。
「とりあえず頭と目は痛い。だるい。目眩がする。やる気がなくなる。吐き気と胃痛。それらの組み合わせ」
「ああ……大変だ。今夜は眠れるといいな」
「うん、卵は最近値上がりしてる」
会話が突然噛み合わなくなって彼の顔を見る。相変わらず、充血した遠い目をしている。
「あ……うん?」
「そしたら、風呂の生えてた薬で香水のふわふわさえ金ならイライラするよ。はっはっは」
いよいよ怖い。何だよそれ。
身構えていると、ログマの顔ががくんと器に突っ込んだ。俺の悲鳴に反応して彼の頭がまたがくんと持ち上がる。端正な顔面がスープでびしょびしょだ。
「悪い、今寝てた」
「びっくりした……まあ眠気きてよかったじゃん、もう部屋戻って寝ろって」
「いや、食う。腹減った」
うーん、まあ、起きたみたいだからいいか……。キッチンからタオルを持ってきて彼に渡した。
再び着席しながらふと隣の席のウィルルに目をやると、今度は何やら悲しそうだ。
触れない方がいいかな? と思ったけど彼女の方から来た。
「私、また間違えたよね」
「え、何も間違ってないよ」
「ルークのこと疲れさせちゃった気がしたの。ごめんね、私、いつも話し過ぎるの」
「いやいや大丈夫だよ。確かに疲れてるけど、ウィルルのせいじゃないし!」
彼女は、本当によく見ている。必死のフォローも彼女には響かないらしく、不安げに目を逸らして茹で野菜をもくもくと食べている。
また俺が本音を隠してるからなのか。心を開くって、本当に難しいんだ。許してくれよ……。
とりあえず食べてしまおう。正面に向き直ると、向かいの席の酔っ払いが突然顔を上げた。
「れれれれれ」
「え――おわあぁ!」
盛大に吐いた。ほぼ固形物が無さそうなのが不幸中の幸いだけど、食事中に最悪の光景だ。
「ちょっとカルミアさん! 大丈夫?」
「れれっ」
返事代わりの追加ゲロ。これどうすりゃいいの。
助けを求めようと、顔を二人へ向けた。
ログマの顔は、今度は茹で野菜の皿の中だった。
「ぐっ――ごめんウィルル、あの、袋! 袋持ってきて。あと水!」
「あっ、わかった!」
駆け出したウィルルを尻目にカルミアさんにグラスの水を飲ませる。たしか、こう言う時は吐くだけ吐いて、水で薄めるんだって酒飲みの知り合いが言ってた。
病院に連れて行くべきか? どこにどうやって。施設のルールブックに書いてあっただろうか? 見直さなくては――。
ウィルルが戻ってきた。
手に持っているのは、水を満たした瓶と、可愛いうさぎの手提げ袋。
俺は頭を抱えた。
「あ、あの、また、わたし、まちがえ……?」
「大丈夫! 俺の言い方が悪かった! 捨てられる丈夫な紙袋が欲しい。キッチンの食器棚の下に入ってるはずだからそれを二枚持ってきて!」
「う、うん! わかった!」
再度戻ってきた彼女は、一番小さく細長い紙袋を二枚持ってきた。うん、確かに俺、サイズと用途を詳しく指定しなかったね。
泣きそうな顔の俺を見て、先にウィルルが泣き出した。
「ごめんなさい……うう、ダメな子でごめんなさい! 嫌いにならないでえ! ごめんなさいぃ」
「大丈夫、大丈夫、大丈夫だからちょっと待ってね……。俺も今落ち着くからね……」
ガタドサッゴトン! と大きな音がした方向を反射で見ると、寝ているログマがバランスを崩し椅子から転げ落ちていた。まだ半分以上中身が残っていた麺の器と一緒に。
俺の思考はとうとう停止した。
「ごめんなさい、ひっく、ふええぇ!」
「ぐう……ぐう……」
「うっぷ――うう」
席に座り直して、伸び切った麺を啜った。味はもう分からなかった。




