四八 笑う男
「助けてぇ、頼む、助けてくれよぉ」
鼻水を垂らしながら、西上は私の足に縋りついた。
もう私には、殺意など消え去っていたというのに。
「オイ! この娘に見覚えあるか?」
私はパンダ目の女子高生の写真を示し、西上に問う。
「いや、知らねえ。オレのタイプじゃねえし……」
何故かニヤニヤと笑って、西上は答える。そのいやらしく肥大した顔を見て、私は再び込み上げてくる殺意の感情を必至で抑えねばならなかった。
「分かった。オレが悪かった。だから、だからもうそいつで叩くのは止めてくれ。ちゃんと、金払うからさ」
私が加害者のはずだったが、いつの間にか西上は私に謝っていた。
「ちゃんと金払わなかったから、怒ってんだろ? なぁ? 女の子に暴力振るったことも謝るよ。その分の追加料金も、ちゃんと払うから。だからもう、叩かねえでくれよ」
私は、この時点で全てを理解した。理解をした上で、やはりこの西上という男を、この場で殺してしまったほうが世の為だという気持ちを抱く。
「自分で、救急車呼べるか?」
「……ああ、なんとかなると思う」
「じゃあ、もう二度とこんなことすんな」
私はバットを投げ捨てる。カランカランと派手な音が鳴り、その音で西上は首をビクリとすくめた。
この西上が、警察に訴え出ることはないだろう。そして、警察がこの部屋の指紋を採取することもないだろうと思われた。
私はそのまま西上を残し、テナントビルを後にする。
入口で待っていると言っていた益本の姿は当然のようになく、私は一人で駅へと向かう。
念のため、着信履歴として残っていた益本の携帯電話にコールしてみる。案の定繋がらなかった。
駄目元で、弥生の番号にも発信してみる。こちらも繋がらなかった。
私が西上を殺めようが、失敗しようが、どちらにしろ電話は繋がらなかっただろう。
そう、私は騙されたのだ。見事に騙されたのだ。
悔しかった。悔しくてたまらないはずなのに、何故か口からは笑みがこぼれた。
馬鹿馬鹿しくなったのではない。私は心から安堵したのだ。
歩いているうちに、私は哄笑していた。人通りの少ない暗い道で、私は一人で馬鹿みたいに笑っていた。