四七 アクリルアミド
真っ直ぐにバットを振り下ろした、つもりだった。
しかし、金属バットは西上の右肩甲骨に当たった。痰を吐きだすような唸り声をあげ、西上はパイプ椅子から崩れるように落ちた。もう何年も掃除していないような床を転がり、呻いている。
「痛ェ……痛ェ!」
手応えでは、骨が折れているはずだった。西上は右肩を押さえながら、片羽をもがれたトンボのようにくるくると床を這いずり回った。
「なんなんだお前は? オレに恨みでもあんのか?」
回りながら、西上は叫ぶ。
無論、恨みなどはない。私はただ、世界の為に、裕樹のためにこの男を殺そうとしているだけだ。
骨が折れているとはいえ、これでは到底死ぬことはないだろう。
私は止めを刺すため、再度バットを振り上げた。西上が甲高い悲鳴を上げる。
その時、床に転がったファイルが目に入った。西上が食い入るように見ていたファイルだった。
そこには、明らかに十代と分かる少女たちの写真があった。
私は振り上げたバットを一旦下ろし、そのファイルを捲る。何人もの少女たちの写真が載っていた。それぞれの写真の隅に、三種類の数字が書かれている。それは、彼女たちの体型を示すものだろう。
売春用のファイルだと分かった。
更にファイルを捲ってゆくと、見覚えのある少女を見つけた。
占いの館で私に話しかけていた、パンダ目の女子高生である。
私を弥生のアパートまで案内してくれた少女であった。はっきりとではないが、あのときのグループにいた何人かも、このファイルに含まれているようだった。
「オイッ! お前の研究テーマは何だ?」
「助けて! 助けてくれよぉ!」
うろたえるばかりの西上に、私はバットを構えて再び問い質す。
「研究テーマは何だと聞いている」
「テーマ? アク……アクリルアミドだよ。食品成分中のアクリルアミド検出方法だ」
「アクリルアミド? ウィルスは?」
「はぁ?」
「ウィルスの研究はしてないのか?」
「ああ、検出に関しての論文は書いたことあるけど、殆ど門外漢だよぉ。オレの研究は食品の成分分析なんだ。それも、アクリルアミドのような薬品検出が専門だよ」
泣きそうな声で、いや実際に泣きながら西上は答えた。
根っからの文系である私にも、偶然であっても、彼が新種のウィルスを創り出すことなどできないと分かった。