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引っ越し祝いと、陥落(前)

 ギルドの公式発表が出たのは、プリムがギルドを出てから3時間後だった。

 その3時間の間に、プリムのスマホには100件を超える通知が届いていた。

 ミストチューブのコメント。配信フォロワーからのDM。知らない番号からの着信。取材依頼のメール。ギルドからの追加連絡。カレンからの「大丈夫?」。ミナからの「今後の窓口対応についてご連絡があります」。


「……」


 プリムは、スマホを顔の上に乗せて、床に仰向けになっていた。


「きゅるっ(……プリム。起きろ)」


「……起きてる」


「きゅるる(……スマホが、顔に乗っている)」


「……重い」


「きゅるっ(……お前の顔が乗せているのだぞ)」


 フェンが、台所からお茶を持ってきた。プリムの隣に黙って置いた。


「……ありがとう、フェン」


「……疲れたなら、休んでいていいです」


「疲れたというか……なんか、急すぎて」


 プリムが、スマホを顔から外して天井を見た。


「朝、ギルドに呼ばれて行ったら、虹金級だって正式に認定されてて、契約の話をして、保護指定されて、発表されて――全部、今日のことだもんね」


「きゅるっ(……世界は、速く動く。プリムがそれに追いつけなくても、今日のところは仕方がない)」


「エロスちゃん、珍しく優しい」


「きゅるるっ(……余は常に正確なだけだ)」


 壁際のテレビでは、夕方のニュースが流れていた。


『――探索者ギルド日本支部は本日、日本国内初、世界で4人目となる虹金級星紋保持者の確認を発表しました。プリム・ミルクホワイト探索者が生成するアムリタについては、既存の医療技術では再現できない回復速度とされ、各国政府や企業から問い合わせが相次いでいます』


「……あ、私のこと言ってる」


 プリムが、起き上がった。


『なお、ギルドはプリム探索者を保護対象に指定し、無断接触への厳しい対応を表明しています』


「……なんか、テレビで言われると実感が湧く」


 そう言いながらも、プリムは自分の胸元へ視線を落とし、不思議そうに瞬きをしていた。


(……まだ、理解しきれておらぬか。無理もない。この女にとってアムリタは、昨日までただ自分の身体から出る力にすぎなかったのだからな)


「……各国政府から問い合わせ、って言ってた」


「きゅるっ(……この程度で驚くな。これからもっと来る)」


「エロスちゃん慣れてるの?」


「きゅるる(……1000年生きていると、世界が騒ぐ場面には、何度か立ち会ってきた)」


 フェンが、テレビを静かに見ながら言った。


「……でも、今回は少し違います」


「何が?」


「……今回騒いでいるのは、プリムに関心がある者たちです。1000年に一度の出来事だとしても――プリムが中心にいる」


 少し間があった。


「……それは、気をつけなければならない」


 プリムが、フェンを見た。フェンは、テレビを見たまま、付け足した。


「……ギルドが守ってくれる。ですが、私も、います」


 プリムは、少し笑った。


「ありがとう、フェン」


「……護衛として、当然です」


「きゅるっ(……フェン。その台詞、もう誰も信じていないぞ)」


「……信じてください」


 別の局に切り替わると、今度はミストチューブのランキングが映っていた。


『――本日急上昇のチャンネルは、虹金級星紋保持者本人が配信する「プリムちゃんねる」。今夜だけで登録者数が50万を超えたとみられており――』


「……50万」


 プリムが、スマホの画面を確認した。


「……ほんとだ」


「きゅるっ(……当然だ。今日だけで、世界中が名前を知った)」


「エロスちゃん、なんか嬉しそう」


「きゅるるっ(……余は常に冷静だ)」


「核がオレンジになってる」


「きゅるっ(……体温調節だ)」


 その時、玄関のチャイムが鳴った。


「プリム! いるわよね!」


「カレン!」


 扉を開けると、カレンがコートを着たまま立っていた。


「引っ越し、今日でしょ。荷物、全部運んだ?」


「ほとんどフェンが昨日のうちに運んでくれてて、残りは段ボール3つだけ」


「じゃあ、行くわよ。鍵も受け取った?」


「もらってる」


「フェン、重い荷物はお願いしていい?」


「……はい」


 カレンが、テレビをちらりと見た。まだニュースが流れている。


「……見てた?」


「うん。なんか、すごいことになってる」


「すごいことになってるわよ。私のとこにも、探索者仲間から何件か連絡来た。『プリムのこと、知り合いなの』って」


「なんて答えたの?」


「『そうよ』って言ったわ。それ以上は何も言わなかった」


 カレンが、プリムを見た。


「……大丈夫? 疲れてる顔してる」


「大丈夫。ちょっと、追いついてないだけ」


「無理しないで。今日は引っ越しで、それだけでいい。世界が騒いでも、あなたは新居に移るだけ。それだけよ」


 プリムが、少し息を吐いた。


「……そうだね」


「テレビ、消していいわよ」


「うん」


 プリムが、リモコンを取ってテレビを消した。


 部屋が静かになった。


 段ボール3箱と、ちょっとした荷物。フェンが2箱をひとまとめに抱えて、もう1箱をプリムが持った。


「エロスちゃん、新しい部屋だよ」


「きゅるっ(……余の玉座の場所が変わる、というだけのことだ)」


「楽しみじゃない?」


「きゅるる(……キッチンが広いと言っていたな)」


「そう! 2口から3口になる!」


「きゅるっ(……シチューと炒め物が同時にできる)」


「エロスちゃん、詳しい」


「きゅるっ(……余は常に状況を把握している)」


 カレンが、鍵を手に取ったプリムを見て言った。


「じゃあ、行きましょ」


 扉を閉める。


 階段を降りる。


 外の空気が、少し冷たかった。


 世界中で、今夜、プリムの名前が飛び交っている。アムリタの話をしている。ソーマの話をしている。虹金級という言葉が、どこかの国の言語に翻訳されて広まっている。

 プリムは、それを知らないわけじゃない。テレビで見た。スマホの通知で知った。

 でも――今、足元にあるのは、段ボール1箱と、カレンと、フェンと、エロスちゃんだけだ。


「歩いて3分なんだよね、新しい部屋」


「そうよ。近くて助かるわ」


「カレンの家から3分なら、カレンが来やすい」


「……それが狙いだったの?」


「違うけど、嬉しい副産物」


 カレンが、少し笑った。


「フェンも、近い方が私が安心だわ」


「……はい」


 3人と1匹が、夜の商店街を歩いた。


 新しい部屋は、2LDK。家賃は前の部屋の3倍近いが、スパチャと賞金で、それが払えるようになっていた。日当たりが良く、壁が厚く、キッチンが広い。


「……キッチンが、広い」


「ご飯の幅が広がる!」


「きゅるっ(……それは、余も歓迎する)」


 フェンが、窓と玄関を確認して、短く頷いた。


「……防犯上の問題は、ありません」


「さっそく護衛チェックしてる」


 引っ越し作業は、夜の7時を回る頃には終わった。3人と1匹で床に座り込んで、息をつく。


「疲れた……」


「プリムが、一番何もしてなかったけどね」


「してたよ! 荷ほどきした!」


「大きい段ボール、全部フェンが運んでたじゃない」


「……運んだ方が、効率的でした」


「フェン、ありがとう」


 プリムが、フェンに笑いかけた。フェンは、視線を逸らした。


「……当然の作業です」


 カレンが、袋からシャンパンを取り出した。


「引っ越し祝いと、銅級昇格のお祝いよ。ノンアルにしてくれって、ちゃんと店員さんに頼んだから」


「カレン、ありがとう!」


「ノンアルでしょ?」


「そのはずだけど――」


 プリムは、カレンの返事を待たずにグラスへ口をつけ、半分ほど飲み干していた。


 カレンが、ラベルの隅に印刷された小さな表示に気づいて、顔を青くした。


「……プリム。これ、アルコール入ってる」


「えっ」


「シリーズでラベルがほとんど同じなのよ……! 私、ノンアルの棚から取ったはずなのに」


「……」


 カレンが、口をつぐむ。フェンも、無言になった。


 3分後。


「……なんか、あったかい」


 プリムの翠の瞳が、とろんと、潤んだ光になっていた。

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