買い物と、赤い髪の親友
朝、アパートの扉が、けたたましくノックされた。
「プリム! いるわよねプリム!」
「カレン!?」
プリムが慌てて鍵を開けると、深い赤の髪に藍色のつり目のカレンが、いつも通りの勢いで立っていた。
「今日、非番だから来た。一緒に買い物、行くわよ」
「急すぎる……。でも、嬉しい!」
「プリムを一人にしてると、冷蔵庫の中がひどいことになるの、私は知ってるの」
「……先週は、ちゃんと補充したよ」
「野菜が一個もなかったのは、なんで?」
「……」
プリムが、口をつぐんだ。
カレンの視線が、一瞬だけプリムの胸元へ落ちた。何か言いかけて、結局、口を閉じる。
(……知っているな、この女)
余は谷間の奥で、そう見当をつけた。
その時、カレンの視線が、玄関の外へ向いた。開いたドアの向こう、廊下の壁に背を預けて立つ人影があった。銀髪に金色の瞳、大きな狼耳の小柄な人物が、完全な無表情でカレンを見ていた。
「……プリム」
「あ、フェンだよ。エロスちゃんの部下で、一緒に行動してるの」
「部下?」
「うん。昨日、ダンジョンで合流して」
カレンは、しばらくフェンを見た。フェンも、カレンを見返した。
「……どうも」
「どうも」
カレンが言って、それから、プリムを見る。
「ふーん」
それだけ言って、あっさり納得した。フェンの狼耳が、わずかに動く。もっと何か聞かれると思っていたらしい。
(……この女も、大概、動じんな)
余は、そんなことを思った。この世界の人間なら、フェンの耳と尾を見て、獣化系のアーティファクトではないかと勘繰るものだ。だがこの赤髪の女は、「ふーん」で済ませた。
「じゃあ、あなたも来る? 買い物に」
「……護衛として、同行します」
「買い物の護衛ね。分かったわ」
それだけだった。
――と、カレンが玄関の外に置いていた荷物を、廊下からごとごとと引きずり込んできた。
小型の折りたたみカートだった。車輪も持ち手も年季が入っているが、探索者用に補強された造りで、見た目より重い。魔石や薬草を運ぶための、ごく一般的なダンジョン装備だ。
「これ、あげる」
「え?」
「うちの倉庫で眠ってた、お古のダンジョンカートよ。いつまでもリュック一つに全部突っ込んでるつもりだったの? 前から言ってたでしょ、回収袋と折り畳みキャリーくらい持ちなさいって」
プリムは、目を輝かせてカートを受け取った。持ち上げかけて、その重みに一瞬よろける。
「わ……重い! でも、ありがとうカレン! これで魔石とか毛皮とか、ちゃんと分けて運べる!」
「補強してある分、多少はね。探索者なら苦にならない重さでしょ。その『ちゃんと』を今まで一度もやってこなかったから、あげることにしたのよ」
(……耳の痛い話だ)
余は谷間の奥で、そっぽを向いた。魔石が布袋にも包まれず、リュックへ放り込まれてきた光景を、何度見てきたことか。
「フェンさんは、こういうの使ったことある?」
「……任務では、必要ありませんでした」
「じゃあこれからは、フェンにも押してもらおうかな」
「……善処します」
プリムはさっそくカートを畳んだり広げたりして、ガシャン、ガシャンと満足げな音を立てていた。
商店街は、昼前の明るい空気に満ちていた。プリムとカレンが並んで歩き、フェンはその2歩後ろを、一定の間隔で歩いていく。ダンジョンカートは、出かける前にアパートへ置いてきた。今日はただの買い物だ。
最初に立ち寄ったのは、果物の露店だった。
「いらっしゃい! お嬢ちゃん、ちょうどいいところに来た。これ、特別な果実でね。1日1個食べると運気が上がって、探索者なら星紋のランクも上がるっていう、縁起物だよ」
「えっ、星紋のランクが上がるんですか!?」
プリムの目が、ぱっと輝いた。
「ほんとですか!? それ、すごく欲しいです……! いくつあります? 全部――」
「はい、ストップ」
カレンが、プリムの肩を掴んで後ろへ引いた。
「おじさん、星紋のランクは生まれつき。果物で上がったら、誰も苦労しないわよ。ただのりんごでしょ、これ」
「……いやあ、お姉さん、鋭いね」
「プリム、こういうの真に受けない。1個だけ、普通の値段で買うならいいけど」
「で、でも、お姉ちゃんを探すのに、ランクが上がるならって……」
「上がらないって、今言ったでしょ」
プリムは、しょんぼりと頷いた。カレンは慣れた手つきでりんごを2個だけ選び、代金を払う。
(……この女、放っておくと危ういな)
余は谷間の奥から、その一部始終を眺めていた。
星紋のランクが上がる果物。そんなものがあれば、とっくに無くなっているだろう。だがプリムは、ああいう手合いに、毎度きれいに引っかかる。
「きゅるる(……プリム。ああいう輩の言葉を、いちいち真に受けるな)」
「えっ、エロスちゃんも呆れてる感じ?」
「きゅるっ(……呆れている)」
「うぅ……だって、お姉ちゃんのことになると、つい……」
核を、ぷるりと震わせてやる。プリムが「ごめんって」と苦笑した。谷間の中の小言だけは、なぜか伝わるらしい。
「カレン、まず洋服見ていかない?」
「引っ越したんだから、新しい普段着くらい揃えなさい。今着てるの、学院時代のじゃない!」
「……よく分かったね」
「カフスのところに、学院のマークが入ってるわよ」
「あ、ほんとだ」
「探索者服とランニングウェアばっかりでしょ、あんた。休みの日に着る服が、一着もないじゃない。たまには、ダンジョンのこと忘れて出かける日も作りなさいよ。ずっと張り詰めてたら、続かないわよ」
「……休みの日かあ。あんまり、考えたことなかったな」
「そういうとこよ、プリム。だから先輩が言ってるの」
2人がそのまま、近くのセレクトショップへ吸い込まれていく。フェンは、その後ろを黙ってついていった。
店内は、プリムには少し刺激が強すぎたらしい。
「カレン、これとこれ、どっちがいい?」
「プリムが好きな方でいいけど……まあ、そっちかな。色が合ってるし」
「じゃあこれ! あ、でも、こっちも可愛くない?」
「どっちでもいいって、今言ったわよね?」
「だって、選べないんだもん」
フェンは、入口付近の柱に背を預けて、その様子を眺めていた。
しばらくして、プリムが何着かを抱えて試着室に消える。入れ替わりに、カレンがフェンの近くへ来た。
「フェンさん。プリムとは、どういう経緯で?」
「……エロスが、ここにいると分かったので。来ました」
「エロスを、追いかけてきたの」
「……はい」
「遠かった?」
「……少し」
その「少し」の重さは、当人にしか分からない。カレンは、それ以上は聞かなかった。
「プリム、ああ見えて、めちゃくちゃ無防備だから」
「……知っています」
「さっきの果物屋もそうだけど、あの子、人の言うことを疑わないの。お姉さんを探すためって言われると、特に弱い。胡散臭い情報屋に有り金渡しかけたことも、一度や二度じゃないわ」
「……」
「だから、見ててやって。私が、非番じゃない日もあるから」
フェンは、返事をしなかった。
だが――「見ててやって」という言葉が、妙に胸へ残ったらしい。狼耳が、しばらくカレンの方を向いたままだった。
「カレン、これどう!?」
試着室のカーテンが開いて、プリムが顔を出した。胸元にゆとりのある淡い色のシャツにデニム。いつものランニングウェアや探索者服とは、違う格好だ。
「これなら、エロスちゃんも出入りしやすそう!」
「服を選ぶ基準がそこなの?」
「だって、ぴちぴちだと動きづらいかもしれないし」
(……余への配慮だったのか)
店内にいた数人の客が、ふと視線を上げた。
「……あれ、もしかしてあの子じゃない?」
「昨日の竜姫バニーちゃん……」
「本当に胸元にいるのかな」
「ちょっと、見るなって」
小さな囁きが、二、三人分。すぐに我に返ったように目を逸らし、何事もなかったかのように棚へ向き直る。プリムは気づいていない。試着した服の裾を、鏡の前でくるりと直すのに夢中だった。
(……見られているぞ、プリム。だが違う意味でだ)
余は、その好奇の視線の中に、ひとつだけ質の違う眼差しが紛れ込んでいるのに気づいていた。
フェンの視線が、一瞬だけ試着室のプリムへ止まった。本人も気づいていないような、ほんのわずかな間だった。
「きゅるる(……フェン。貴様、今、見惚れたな)」
余だけが、その一瞬を見逃さなかった。フェンの耳が、ぴくりと跳ねる。
「……見ていません」
「フェンが、何か言った?」
「いや、独り言じゃない?」
フェンが、余の核を恨めしげに一瞥する。余は、素知らぬ顔で谷間へ沈んだ。
「可愛いじゃない」
「ほんとに?」
「本当に。それにしなさい」
「やった! フェンは、どう思う?」
突然話を振られて、フェンは口ごもった。
「……問題ない、装備です」
「装備って言うな!」
洋服屋を出て、食料品を買い込み、最後にドラッグストアへ。
「このシャンプー! 廃盤って聞いてたのに、まだある!」
「残ってるうちに、まとめ買いするわよ。何本いる?」
「3本!」
その時、店員がにこやかに近づいてきた。
「お客様、ちょうどよかった。今ですと、こちらの美容液をセットで買っていただくと、抽選で旅行が当たるキャンペーンを――」
「いります!」
「プリム」
「だって旅行、お姉ちゃんを探す範囲が広がるかもって……」
「美容液5本セットで、金貨3枚。当たるかも分からない旅行のために、それ買うの?」
「……買いません」
「シャンプー3本だけ、くださいな」
カレンが、すっと会計を済ませた。プリムは、また少ししょんぼりしている。
(……カレンがいなければ、この女の財布は、とっくに空だな)
余は、しみじみとそう思った。
「フェンさんは、何か必要なものある?」
「……いいえ」
「シャンプーとか。気にしない?」
「……気にします。ただ、私用のものは、自分で調達します」
「そう。まあ、何かあれば言って」
あっさり言って、カレンはまた棚に向き直る。
(……なぜ、赤の他人に、そういうことを言えるのか)
余は、そう思った。警戒でも、歓迎でも、過剰な気遣いでもない。カレンはただ、必要かもしれないと思ったから、聞いただけだ。
買い物を終えて、商店街の端にある、小さなカフェに寄った。
「3人分ね」
カレンがテーブルを確保し、プリムが飲み物を買いに行く。フェンは、少し離れた位置に立ったまま、席には着かなかった。
「座れば」
「……護衛として、立っています」
「ここ、商店街のカフェだけど」
「……それでも」
「……ま、好きにして」
フェンは立ったまま、2つの出口と窓、店内の客へ順に視線を巡らせた。そこまで確認してから――プリムがトレイを持って戻ってくるのが見えた。
3つのカップを乗せたトレイを、ぎこちなく持ったプリムの手が、傾きかける。フェンが、反射的に手を伸ばした。
「あ、ありがとう!」
フェンは、すぐに手を引いた。伸ばした指先が、一瞬だけ、強張っていた。
(……また、か)
余は、それを見ていた。
「フェンさんの分も買ってきたよ。ホットミルクティー」
プリムが、カップをテーブルの端に置く。
「……そういう気は、遣わなくていいです」
「せっかく来てもらってるんだから。嫌だったら飲まなくていいけど、ここに置いとくね」
それで終わりにして、プリムはカレンとの会話を再開した。
フェンは、テーブルの端に置かれたカップを見た。湯気が、立っている。
少し経ってから、フェンは椅子を引いた。3人掛けのテーブルの、一番端。カップに手を伸ばし、一口だけ飲む。
張り詰めていた肩が、ほんのわずかに下がった。
「フェンさん、飲んでくれてる!」
「プリム、指差すのやめなさい」
「で、でも、嬉しくて」
「そういうの、この子は照れるんじゃないの」
カレンが、フェンをちらりと見た。フェンはカップを持ったまま、視線を逸らす。耳が、少しだけ、赤く見えた。気のせいかもしれない。
それでもカップは置かず、もう一度、静かに口をつけた。
その時、隣のテーブルから、遠慮がちな声がかかった。
「あの……すみません、プリムちゃん、ですよね? 配信、見てます!」
声をかけてきたのは、制服姿の女子生徒3人だった。
1人が勇気を振り絞るような顔で前へ出て、隣の少女がその背中を押している。
「ボス戦の配信、感動しました! あと、あの必殺技も……えっと」
「エロスハートって、みんな呼んでて――」
「ちょっと、それ言うなって言ったじゃん!」
代表して声をかけた少女と、技名を口にした少女は、揃って耳まで赤くなっていた。
残る1人は、余のいる胸元を食い入るように見つめていたが、こちらと目が合うと慌てて顔を背けた。
「え、あ、ありがとうございます……! 見てもらえてるの、すごく嬉しいです!」
プリムは、屈託なく笑って手を振り返した。技の名前の由来にも、3人が何を察して赤くなったのかにも、まるで気づいていない。
女子生徒たちは、何度も頭を下げながら、逃げるように店を出ていった。
「……」
カレンが、ミルクティーのカップの陰で、小さく肩を震わせていた。笑いをこらえているらしい。
朝から、もう何度も同じ表情をしている。どうやらカレンは、例の騒ぎを知ったうえで、本人が気づくまで黙っているつもりらしい。
フェンの耳が、ぴくりと動いた。何か言うべきか迷うように口を開きかけ、結局、何も言わなかった。
(……どうやら、噂は本人の知らぬところで、随分と育っているらしいな)
余は、谷間の奥で、そう呟いた。
帰り道。プリムとカレンが、少し先を歩いていた。
「ねえカレン、今度一緒に、ダンジョン入ってみない?」
「私、まだ実習中だから、自由には動けないのよ。でも……非番に合わせれば、行けるかも」
「本当に!?」
「竜姫バニーちゃんを、外から見てみたいっていうのは、正直あるわ」
「竜姫バニーちゃん言うな! 私だよ!?」
「あなたが命名されたんでしょ」
「名前つけたの、視聴者さんだよ!」
2人がじゃれながら、先を歩いていく。
フェンはその後ろを歩きながら、荷物を持っていた。
いつの間にか、プリムの袋を持っていた。プリムの両手がいっぱいになりかけた、その瞬間、反射的に。
本人は、行動の妨げになる荷物を排除しただけだとでも言いたげに、無表情を保っている。
(……護衛の役目、か。都合のいい言葉だな)
前を歩くプリムが、振り返って笑う。
「フェン、ありがとね」
フェンは、何も言わなかった。ただ、少しだけ、歩幅が変わった気がした。
*
余は、谷間の奥から、今日一日を思い返していた。
洋服屋で交わされた、二言三言の囁き。カフェで頬を赤らめた女子生徒たち。掲示板を埋め尽くした無数の書き込み。
何十万回も再生された切り抜き。そして、真夜中まで続いた祭り騒ぎ。
(……これだけ知れ渡っていて)
気づいていないのは、この街でただ一人。当の本人だけだった。
プリムは今も、鼻歌を歌いながら、今夜のメニューを考えている。自分の名がどう呼ばれ、何がどう噂されているかなど、露ほども知らずに。
余は、それを黙って見ていることにした。
(……まあ、当分は、な)
谷間の奥で、余はひっそりと喉を鳴らした。




