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亡国の侍 異世界転移譚  作者: Lambzono
第二章 残されたもの

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第二十七話 モリ


 移住記録に残されていた町は、砦町から南へ半日ほどの場所にあった。


 街道沿いに宿と商店が並ぶ、小さな宿場町だった。


 目当てのパン屋は、町の南門近くにある。


 低い軒の下に、濃く焼かれた丸いパンが並んでいた。


 店へ入る前、アルヴァンが短く術式を唱えた。


 重く垂れていた左腕へ流れが通り、土の五指が静かに開く。


「黒パンなら、今しがた焼けたところですよ」


 店へ入るなり、女が言った。


 四十を少し過ぎた頃だろう。腕まくりした袖と前掛けには、白い粉が付いている。


 店の奥では、大きな竈が赤く燃えていた。


 煉瓦は新しい。


 だが、竈口を塞ぐ鉄扉だけは古かった。


 煤に黒く染まり、何度も継いだ跡がある。


「その扉は」


 八郎が訊くと、女は竈を振り返った。


「ベズラスから持ってきたものです。父が、これだけは置いていけないと」


 セレナが移住記録を開いた。


「では、あなたがあのパン屋の」


「娘です。あの村で生まれました」


 間違いなかった。


 女は店先の札を裏返し、四人を奥の卓へ案内した。


 切り分けた黒パンと湯を人数分置く。


 八郎は差し出された木皿を左手で受けた。


 鉄の指が閉じ、腕甲の内側で風が微かに鳴る。


 皿は傾かなかった。


 載せられたパンは焼きたてだったが、左手に熱は伝わらない。


 それでも、落とさず受け取ることはできた。


「二十五年前のことを伺いたい」


 セレナが切り出した。


「賢者エルディンが、ベズラスへ入った時のことです」


「覚えています」


 女はすぐに答えた。


「私が十五の頃でした。賢者様が村へ来るなんて、それまでありませんでしたから」


 店の奥から、幼い声がした。


「お母さん、ここ、どうするんだっけ」


 女は椅子を半ば回し、声のした方へ身を傾けた。


「今、お客さんとお話ししているから、お姉ちゃんに教えてもらいなさい」


 その背の向こうで、「はあい」と小さな声が応じた。


 軽い足音が、店の奥へ戻っていく。


 ミレアが、子供の消えた奥へ目をやった。


「お子さんたちは、こちらへ移られてからですか」


「ええ、三人とも。上が十、次が八、今の子が五つです」


「皆さん、お店を手伝われるのですか」


「上の子は。下の二人は、粉を量るより散らす方が上手で」


 女は困ったように笑った。


 奥から、年上の少女が何かを教える声が聞こえた。


 すぐに、幼い笑い声が重なる。


 しばらくして、五つほどの少女が半ば折った薄紙を持って戻ってきた。


「ここ、おさえて」


 後ろから追ってきた姉らしい少女が、八郎たちを見て足を止める。


 女は困ったように笑い、八郎へ頷いた。


 八郎は左の人差し指を、薄紙の折り目へ置いた。


 感触はない。


 紙の沈みだけを見ながら、腕甲の力を抜いていく。


 鉄の指の下で、薄紙は破れなかった。


「できた」


 少女は紙を引き抜き、姉と一緒に店の奥へ戻っていった。


 女は八郎たちへ向き直った。


「ごめんなさい。エルディン様のことでしたね」


「村へ着いた時、エルディンはどこへ向かいましたか」


 アルヴァンが訊いた。


「最初に来たのは、うちです」


「採掘場ではなく?」


「ええ」


 女は卓の上で指を組んだ。


「父は、エルディン様と面識がありました。十年ほど前にも、一度村へ来たことがあったそうです」


「林で保護された男を引き取りに来た時ですな」


 八郎が言った。


 女は頷いた。


「父から聞いたことがあります。言葉の通じない、名も分からない人だったと」


「エルディンは、その男について何か尋ねましたか」


「一つだけ」


 女は記憶を確かめるように、僅かに目を伏せた。


「十年前に保護した男が、この村へ戻ってこなかったか、と」


 八郎はアルヴァンを見た。


 アルヴァンは何も言わず、続きを促した。


「お父上は、何と」


「戻っていないと答えました」


「それでエルディンは」


「今度は、北の採掘場への道を訊きました。父が道順を教えると、連れていた兵士や研究者と一緒に、村を出ていきました」


「戻ってきたのは、いつです」


「三日後です」


 女は竈の火へ目を向けた。


「荷車は二台あったはずなのに、戻ってきたのは一台だけでした。皆、ひどく疲れた顔をしていて……エルディン様の外套は、裾が黒く汚れていました」


「黒く」


「泥ではなかったと思います。煤のようにも見えました」


 黒い石。


 砕けた杭。


 土の下から這い出した魔獣。


 八郎は左の指を僅かに握った。


 腕甲の内側で、風が短く鳴る。


「エルディンは、村へ何か命じましたか」


 セレナが訊いた。


「北の道へ近づくな、と。翌朝には兵士が道を塞ぎ始めました」


「理由は」


「父が訊きました。でも、答えてはくれませんでした」


 アルヴァンが卓を指先で一度叩いた。


「石より先に、人を探したのか」


「ええ」


「その男と採掘場に、関わりがあると考えていたのでしょうか」


 ミレアが言った。


「少なくとも、エルディンはそう疑っていた」


 アルヴァンは女を見た。


「父親の答えを、エルディンは信じたように見えたか」


 女はすぐには答えなかった。


「何も言いませんでした。ただ、父の顔をしばらく見ていました」


「お父上は、嘘を?」


 女の指が、僅かに強く組まれた。


 八郎が訊いた。


「その男は、本当に村へ戻ってこなかったのですか」


 女の視線が、店の奥へ動いた。


 その時、軽い足音が近づいてきた。


「見て、できた!」


 先ほどの声だった。


 五つほどの少女が、両手を高く掲げて駆けてくる。


 その後ろから、年上の少女がゆっくりとついてきた。


 幼い手にあったのは、パンを包む薄紙を折って作られた鳥だった。


 片方の翼は大きく、首は少し傾いている。


 それでも、八郎が見誤るはずはなかった。


 折り鶴だった。


 見慣れたはずの形が、異国の幼い手にある。


 竈で薪が一つ爆ぜた。その音が、八郎にはひどく遠かった。


「上手にできたわね」


 女が言うと、少女は得意げに紙の鳥を揺らした。


 八郎は、その小さな手から目を離せなかった。


「それを、何と呼ぶのです」


 少女は八郎を見上げた。


「モリ」


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