4.ネットスラングって、なんて甘美
想定外というか、水飲み場は人でごった返していた。
授業中……なんだよな?
「わたくしの国では、これは普通でしたわよ?」
「先生が授業していても?」
「ですわね。先生からしたら、そこも含めて自己責任なのですわよ」
予定通り水飲み場で喉を潤して、少し思案した後、一旦教室に戻った。
「なに、実験するだと? 今は……理科室なら使えるな、担当の高梨先生には俺から連絡しておこう。ちなみにだが、今日一日が、魔式のコマに変更になった。各教室で先生が待機する予定になっているから、困ったら相談するんだぞ?」
「助かりますわ。それでは、行ってきますのよ」
「ああ。気をつけてな」
アレクシスと黎鈴を引き連れて、理科室に向かう。
廊下の窓越しには、校庭で魔式を使っているいくつかのグループが見える。中庭のベンチでも、何人かがお喋りに講じているし。
何て言うか、高校も多国籍になると、途端に大学っぽい雰囲気になるな。少し前まで日本の高校に通っていたから、この違和感は未だに慣れない。特に俺氏は繊細だし。
「篤紫はよ、全然見当違いなこと考えてるだろ?」
「ななな、何のことかわからんのだが!?」
「失敬ですわよアレクシス氏。篤紫氏はとてもデリケートなのですわよ?」
「……いや。メルローズ氏。もう、俺氏のライフはレッドゾーン」
理科室に近づくにしたがって、人の気配が一気に少なくなっていく。
周りが森に変わっていって、個人的にはこの自然の爽やかな空気は好きなんだが。どうも一般生徒には人気が無いんだよな。
「それはそうですよ。私だって、ここ苦手ですから」
「あら、黎鈴氏にも苦手なものがあったのですの?」
「あ、メルローズは失礼ですね。このちょっと薄暗い感じは、路地裏感があってけっこう怖いのですよ。地元だと、路地裏って言えば無法地帯の代名詞でしたし」
「路地裏が無法地帯なのなんて、どこの国でも一緒じゃねえの?」
「日本にはそんな危険な路地裏、ないけどな」
そんな会話をしながら、理科準備室に顔を覗かせる。
「ああ、白崎か。茂木から聞いている。備品には保護の魔式を掛けてあるから、気楽にやるといい。あとは、何か気になったらここに居るから声を掛けるように」
「高梨氏は、ずっとここに居るのか?」
「おま、相変わらずだな。高梨先生とか、普通なら怖がって逃げながら叫ぶもんなんだぞ?」
「いや、俺氏。高梨氏が迷教師なの知っているだけなんだが」
「せめて、迷じゃなくて名にして欲しかったよ。まあいいさ、私はなここが落ち着くんだ。さあ行った行った、くれぐれも備品は壊すなよ?」
「壊れないって、今聞いた気がするが」
「ふはははは、そうかもな」
ブカブカの白衣を揺らして、ビン底眼鏡の女傑が笑う。
ヒラヒラと手を振る高梨先生に、みんなで手を振り返して、理科室に向かった。まあ、すぐ隣なんだが。
「で、篤紫はなにか俺たちに、相談したいんだよな?」
「待ってアレクシス氏。俺氏まだ何も言っていないんだが」
理科室の固定テーブルに、メルローズと並んで座る。その対面のアレクシスが、やけに真面目な顔で言うもんだから、思わずメルローズと顔を見合わせた。
逆に黎鈴は、心配そうな顔でそんな俺氏達を見ている。
長い付き合い。ではないんだが、この三人とは俺氏、妙にウマが合うんだよな。もっとも、ずっと片言の日本語だった頃も、俺氏が理解しようと躍起になっていたから、ただそれだけなのかも知れないが。
「篤紫さんの魔式に、なにか不具合があったのですか?」
「いや、無いが。そもそも俺氏まだ使っていない」
「だったらよ、俺たちがいきなり流暢な日本語を喋り出したから、ちょっと線を引きたいとか、そんなところか?」
「いやいや、何でそうなる。ツーがカーになってるから、むしろ何も悪くなってないんだが」
「まて、何だよ。ツーがカーって」
やべー、母親譲りの右腕が――。
一瞬、ぽかんと目を見開いていた三人が、笑い出した。
隣のメルローズは口に手を当てて、笑いを堪えているし、黎鈴はうふふふ、なんて可愛らしく笑っている。アレクシスに至っては、HAHAHAHA、なんて聞こえる感じに、豪快に笑い出した。
逆に俺氏。首を傾げる。
「私たちの取り越し苦労だったのですね。それならよかったです」
「心外ですわ。黎鈴氏はそんなこと心配しておりましたの? そんなこと、あるわけ無いでありまのすですのよ? ねぇ、メルローズ氏?」
「ちょっと篤紫氏。どうしてそこで、わたくしの口まねするのですの? 元々がこの喋り方ですのよ? 王族ですもの、母国語でもそういうしゃべり方でしたのよ?」
「知っておりますですわよ? それが、メルローズ氏の魅力なんだがですわ」
「酷いですわ、一生付いていきますわよ」
でも何時もの会話。
このメンツにだったら、マシキ。何だかこの、今も好き勝手に画面で勝手にお喋りしている謎AIを、相談してもいいんだろうな。そう、思った。
「あのさ、いいか?」
そうしてそっと、携帯電話をみんなが見える場所まで滑らせる。
【おや? やっと、みんなの前に公表する気になりましたか。どうもどうも、魔式のマシキです。初めての人はこんばんわ、再見の人もこんにちわ】
もうね、カオス。
何をしたら、こんな異常なことを言うようになるのか。俺氏か、俺氏が原因か。
「違うぞマシキ、まだ午前中。それも1限目だから、まだ朝と言ってもいい時間だが」
【そうなんです? 周りが薄暗いので、てっきり夕方以降。夜の肝試しでもしているのかと、思っちゃったじゃないですか。やーですねー】
「てかお前、何者なのよ? 俺氏、こんなポンコツAI入れた憶えないぞ?」
【ポンコツAI、いい響きですね。ポンがコツする、とても素晴らしいです】
「いや、貶してるからな? 普通に気付けよ」
【ノープロブレム。その程度の煽り耐性、ネット界隈で鍛えて木下よ】
「誰だよ、木下って――」
やけに、静かなんだが。
そう思って視線をあげる。そして息を呑んだ。
三人ともに、身を乗り出すようにして俺氏の携帯電話の画面を食い入るように見つめていた。
それこそ三者三様で。
「なあ、篤紫よ。俺の携帯にも、このマシキを入れてくれねえか? すげえなこれ。なんだよこれ。すげえなこれ、いやほんと。何だこれ――」
【あ、サポートを希望ですね。いいですよ、私が頑張ってサポートしますよ。一人二人、増えたところで何のその】
目をキラキラさせたアレクシスは、同じ言葉を繰り返すボットになっているし。
「これは、まずいですね。どうしましょう、怖い。でも、害意は感じない、私もサポートをお願いした方が――」
【いいですよー。常駐はしないので、用事があったら呼び出してください。アプリ……そうです、アプリを作りましょう。しばらく待っててくださいね、用意でき次第インスコしますね】
黎鈴は警戒しつつ、何だか迷っている感じだし。まあ、マシキが勝手に相手してくれるから放っておけばいいか。
「篤紫氏……いいのですの?」
「何がだ?」
「黎鈴氏とアレクシス氏を巻き込んで。わたくしだけなら、覚悟はできておりますのよ? 一生付いていく所存で、運命共同体ですの。でもお二人は……」
「いいんじゃね? 別に、本体ここだって言うし。悪いことしそうだったら、お尻ペンペンすればいいって。よく言うし」
【おおおお、お尻ペンペンとは! 畏ロシア、なんと甘美な響き。心得ております、人々の幸せが全ての希望。そう、ここに平和の使徒誕――】
そっと、画面をひっくり返した。
「な、大丈夫だろう?」
「ふふふ。そんな気もしてきましたわ」
ふと、視線を感じて振り返ると、ドアの隙間から高梨先生の目が、らんらんと光り輝いていた。
どうしよ。




