18.沸き静まる高校
朝の光が、街路樹を照らし出す。
朝露が反射するのは、夜中に雨が降ったからなのか。何だかいつもよりも、周りの景色がはっきりと見えた。
自然に雨が降らないはずの、宇宙艦都市の方舟で、誰かが雨を降らせている。
「ほんと、謎なんだが……」
「何が謎なのですの?」
メルローズと2人で並んで駅へ続く道を歩く。
ちょっとだけ食べ過ぎたお腹をさすりながら、道ばたに生えた雑草に視線を落とした。草って、ほんとどこでも生えるよな。
「いやな。道や草なんかが濡れているのが、ちょっと不思議で。誰かが雨降りボタンでも押してるのかなって、思ったんだが」
「確かにそれは、不思議ですわね……」
「もしかしてあの人工太陽から、降っているのか?」
立ち止まって、同時に見上げる。
再現されているのはたぶん夏の日差し。思わず目を細めるくらいの、ちょっと眩しい光が降り注いでいる。
まあ、さすがにあの人工太陽から雨が降るなんて、ないか。
「でも、すごかったですわ。朝からたくさんご飯をいただきましたの」
「あれ普段の数倍な。何だか母氏が張り切った感じで、朝からオードブルクラスのおかずは、さすがの俺氏も想定外」
「うふふふ、お弁当も作っていただきましたわ」
「残った分が父氏のお昼にもなるんだろうなぁ」
車が静かに走り去っていく。
そんないつもの一コマに、メルローズの笑顔が並んでいる。
魔式ってすごいな。
こんな何というかリア充な朝は、全く想定していなかった。
「ねえ、篤紫氏? いま全く意味の無いこと考えていませんでしたの?」
「ふはははは、気のせいだが。メルローズ氏」
そっと触れてきた手を握り返して、駅までの道を――
「やべ、あと五分だ」
「の、乗り遅れちゃいますわよ!?」
2人で駆け出した。
「どうして、校門前が人だかりになっているのですの?」
「俺氏、嫌な予感しかしないんだが」
いつもの角を曲がったところで、二人して首を傾げる。遠く離れていても歓声が聞こえる。
まるで、アイドルが来たみたいな熱狂。
いや、まさかな。
近づくにつれて、校門前の人だかりがリズムに合わせて揺れているのが分かった。そのほとんどが、スーツやスカートスーツの、ここじゃなくて仕事に行くはずの人たち。
人だかりの上にいくつもの光が立ち上る。
そして、ギターやドラムの音と誰かが歌う声、そして湧き上がる喝采。そんな非日常な音がはっきりと耳に入ってきた。
「なんか、すごいな……」
「横の方から入ることができそうですわ」
熱気に踊る人波を避けつつ、校内に足を踏み入れる。
そして、そこには即席とは思えない、立派なステージがあった。
前庭の木が変形した木目の床に、松の木の柱が大きなアーチを描いている。背面の壁は、庭石を薄くのばした大理石模様。そんな自然溢れるステージが形成されていた。
そのステージの上では、煌びやかなドレスを着た女生徒たちがマイクを持って歌っている。背面では、軽音班の人たちが演奏をしていた。
スピーカーや照明は、放送班のみんなか。これは、すごいな。
そのステージの端で椅子に座って舟を漕いでいるのは、苦労人の茂木先生。なんか、お疲れ様です。
「あそこを飛んで踊っているのって……」
「ああ、魔法少女ご一行だな。マシキが混じっているのは、見ないことにしようか」
魔法少女なバックダンサーはそのステージの上空を、光を振りまきながら踊り舞っている。派手なフリルが付いた魔法少女ドレスが、ドームの宇宙空間に浮かび上がる。
「まだ時間あるし、見てく?」
「もちろんですわ」
椅子を――そう思って、魔式検索。リストに思ったほどいい椅子魔式が無かったから、新規魔式作成。そのまま条件を記述していく。
全校集会の時の、昔からあるパイプ椅子とかって、けっこう座りづらいんだよな。
ふと視線の端、校庭際には野球班とサッカー班の面々が練習を中断して、学園ライブに見入っていた。
そりゃ、気になるよな。朝からこんなパフォーマンスされたら、練習なんてやってられない。
「ほれ、メルローズ氏。椅子に座ろうか」
「あらいつの間に。あ、魔式ですのね?」
「立ち上がって10分経過したら消えるようにした。椅子ってより、もたれ掛かる腰掛けだから、体勢は楽だと思うんだが」
「いいですわね、これ。背中とお尻が、そっと支えられますわ」
俺氏達がスタンディングチェアーに腰を預けると、魔式検索されたのか。同じ椅子が伝播するように形成されていって、あっという間に観客席が作られていく。立ち見だったはずの学校の前庭が、見る間に本格的なライブ会場に変わっていく。
いや、何だろう。すごいな魔式。
この椅子の魔式を公開したの俺氏だが、いいと思ったらすぐに広まっていく。この、即時的な速度感は、胸に来る物があるな。
そしてライブは、二曲ほど歌われて、ステージ上にて奏者全員で頭を下げる。その後は、機材と楽器が収納されて、ステージがいつもの前庭に戻る。
あれだけ立派に作られていたステージは、あっという間に撤収された。
「いやすごいな、魔式……」
「うふふふ、さっきから篤紫氏。同じことしか言っていませんこと?」
「いや、だって、撤収まで済んで。LHRまであと20分もあるんだぞ。この、何て言うか速度感?」
「だって魔式ですもの。みんなが使えますのよ、知恵を持ち寄れば何でもできるはずですわ。行きますわよ?」
そう笑って俺氏の手を引くメルローズ。途中で茂木先生に近づいて、ちゃんと起こす姿はマジ天使。
ふと昇降口で振り返る。
校庭で野球部が朝練の片付けをしている。
あれだけ沸き立っていた前庭は、いつもの庭に戻っていて、今の時間に登校してくる人たちはあの熱狂を知らない。
これって、不思議だよな。
「あ、アレクシス氏ですわよ」
ピンクのスパイダーマンが空中を飛んでいく。
開いた窓から直接教室に入っていくアレクシスを見て、おもわずメルローズに苦笑いを向けた。
でもこれが、これからの日常。なんだよな。
「まだ魔式が広がって、二日目の朝……か」
「これからですのよ。まだ2人の生活も、始まったばかりですわ」
「それはほんと、びっくりしたん……だ……が?」
「どうしたのですの?」
ふと見上げたドームに、蛸が張り付いていた。
蛸……タコ。いや蛸か。
隣でメルローズが息を呑む。
慌てて抱き寄せたメルローズは、微かに震えていた。
そっと昇降口に入って、背中にメルローズを移動させてから、柱の陰からそっと見上げた。
ついさっき見上げた時は、何もなかったんだが。
吸盤がしっかりと張り付いている。かなり遠く離れていても見える大きさって、相当だよな。鮮やかな赤が、人工太陽に照らされている。
「何で蛸が、ドームの外に張り付いているんだ?」
「見て篤紫氏、あっちにも蛸がいますわよ」
何かが、始まっている予感。ただ――
「俺氏達には何もできないよな。教室、行こうか」
「そう……ですわね。確かに、何かができるわけではないですものね」
校門脇で気づいた女生徒が、慌てて駆け込んでくる。
校内はいつもと同じ静けさで、胸の鼓動がいつもより大きく聞こえる。
2人で、教室に向かう足は、自然と早くなっていった――




