光の先へ
琥珀が去った後、俺は黒龍とともに静かにねぐらへと戻ってきた。
洞窟の入り口をくぐり奥へ足を踏み入れた瞬間、俺は足を止めた。
薄暗い洞窟の中央に、これまで存在しなかったものが浮かんでいたからだ。直径二メートルほどの、空間がぐにゃりと歪んだ青白く輝く渦。アースホールの上空を覆うあの異界の歪みに酷似したそれが、外部へと繋がる転送ゲートであることを、俺は本能的に悟った。
先ほど脳裏に直接響き渡ったあの声と、鮮明に蘇った過去の記憶。あれは単なる幻聴などではなかったのだ。
「……チャンス、か」
だが、俺はすぐにその渦へ飛び込む気にはなれなかった。
何万回、何百万回と木刀を振り、毒沼の水の上澄みを飲み、瘴気と戦うような日々でも、俺はこの地獄のような場所での生活にすっかり慣れてしまっていた。
肉体はもはや苦痛を感じず、人との関わりもない。何より、ここには黒龍をはじめとする、言葉は通じなくとも気を許せる仲間たちがいた。
できることなど限られているが、考えようによっては、誰にも邪魔されない一種のスローライフのようなものだとも思っていたのだ。
(……だが)
俺は青白く揺らめく渦を見つめながら、静かに目を細めた。
前世での記憶が掠める。裏社会で殺し屋としてただの道具のように利用され、最後は無残に使い捨てられて殺された人生。
そしてこの世界に落ちてきてからも、得体の知れない存在の手のひらの上で苦痛を味わわされただけの記憶。
本当にこのまま、この暗い穴の底で一生を終えていいのか。
残された時間くらいは、せめて一人の普通の人間として、外界で生きてみたいという思いが胸の奥底で確かにくすぶっていた。
「……行ってみるか」
しばらく悩んだ末、俺は脱出を決意した。
ここは完全に閉ざされた別世界というわけではない。琥珀のように落ちてくる者もいれば、侵入を試みる人間もいる。必要なら、きっとまたここへ戻ってくることもできるはずだ。
思い立つと、行動は早かった。
俺は洞窟を出ると、ここで出会い、数少ない仲間となった魔獣たちへ一体ずつ別れを告げに向かった。
琥珀には口が裂けても言わなかったが、実は俺も、仲間と認めた魔獣たちには密かに名前を付けていた。
黒龍には『ドラ』。
白き巨狼には『フェン』。
そして、三つの頭を持つ異形の魔獣には『ケル』。
どれも、俺が昔いた世界で聞いたことのある昔話や空想上の生き物から適当に取っただけの名前だ。
まずは、岩場を少し下った場所に棲みついているケルの元へ向かった。
身の丈五メートルを超える三つの頭を持つ異形の巨獣だ。しかし、その物々しい外見に反して、こいつは何でも口にする悪癖があった。
俺が近づくと、三つの頭が同時にこちらを向き、それぞれ「ルゥ……」「グ……」「ヒイン……」と情けない声で唸っていた。見ると、大きな腹を地面につけてうずくまっている。
「……またやったのか」
俺が呆れ交じりに声をかけると、真ん中の頭が申し訳なさそうに視線を逸らした。右の頭の口元を見ると、青く光る謎の発光苔の残骸がへばりついている。アースホールの奥に生えている、強烈な神経毒を持つ毒苔だ。
「何でもかんでも口にするなと、あれほど言っただろう。腹を壊すに決まっている」
俺はうずくまるケルの脇腹に歩み寄り、そのゴツゴツとした岩のような皮膚に手を当てた。
「じっとしていろ」
掌からほんのわずかに気を流し込み、暴れている胃の中の毒素を緩和させてやる。さするような動作を繰り返すうちに、ケルの荒い呼吸が少しずつ落ち着いていった。
右と左の頭が、お礼を言うように俺の腰や肩へ交互に鼻先を擦り寄せてくる。最後に真ん中の頭が、舌をぬっと伸ばして俺の顔を舐めようとしてきたので、それはペシッと手で叩いて制した。
「舐めるな。毒苔の匂いがする。……俺はもう行く。次からは落ちているゴミを拾い食いするんじゃないぞ」
三つの頭が同時に寂しそうに首を垂れるのを背に、俺は次の場所へと向かった。
次は、崖の最上層に陣取るドラの元だ。
漆黒の鱗に覆われた巨体と、山をも破砕する威力を秘めた龍。しかし、その圧倒的な力量に反して、性格はやたらと引っ込み思案で臆病な奴だった。
俺が岩場に姿を現すと、ドラは巨体を縮こまらせ、大きな翼で顔を隠すようにしてチラチラとこちらを見てきた。
「ドラ」
声をかけると、翼の隙間から大きな黄金色の瞳が覗く。
「……お前は最初、自分の声の出し方すら分かっていなかったな」
少し昔のことを思い出す。出会った頃のこいつは、他の小型の魔物から威嚇されただけで逃げ出すような弱気な竜だった。
上空で琥珀を助けた際に放ったあの咆哮も、俺が何日も横について教育を施し、ようやく出せるようになった特技だったのだ。
俺はドラの大きな鼻先に歩み寄り、その硬い鱗を拳でこつんと叩いた。
「お前はもう十分に強い。自信を持て。俺がいなくなっても、他のドラゴンに怯える必要はない」
ドラは俺の言葉を理解したのか、鼻から大きな熱気を吹き出し、「グルルル……」と低く、だがどこか愛おしそうに喉を鳴らした。
最後に向かったのは、雪原のような白い岩場を縄張りにするフェンだ。
白銀の美しい毛並みを持つ巨狼だが、こいつは出会った魔獣の中で一番の問題児だった。
「ガウッ!」
俺が足を踏み入れた瞬間、気配を消して潜んでいたフェンが影から飛び出してきた。容赦なく俺の右腕に噛みつき、力任せにぶんぶんと首を振る。
「……相変わらず容赦がないな」
俺の皮膚は刃物すら通さないため怪我一つしないが、着ている服はそうはいかない。バリバリと嫌な音がして、上着の袖が見事に引き裂かれた。
フェンは噛みつくのをやめると、千切れた布切れを口にくわえたまま、尻尾をブンブンと振って俺の周りをグルグルと回り始めた。
かまってほしい時のこいつのクセだ。
遊んでほしい時も、挨拶をする時も、こいつはいつも俺の腕や足に噛みついて引きちぎろうとしてきた。
俺の服がいつもボロボロで破れている原因の八割は、このフェンの仕業だった。
「……最後まで服を破くな。これじゃ外に出た時に不審者扱いされるだろ」
俺が苦笑しながら身を屈め、フェンの頭の毛並みを乱暴に撫で回してやると、フェンは気持ち良さそうに目を細め、「ヒウン、ヒウン」と甘えた声を上げた。
「元気でな。もう俺の服を破く相手もいないだろうが」
鼻先を軽く突っ突くと、フェンは何かを察したようにピタリと動きを止め、寂しげな瞳で俺をじっと見つめてきた。
仲間たちへの別れを終え、俺は再び一人でねぐらの洞窟へと戻ってきた。
青白いゲートの前に立ち、ふと岩棚に散乱している様々なアイテムへと目を遣る。上空から落ちてきたゴミの中から拾い集めた品々だ。だが、どれも使い道がよく分からず、持っていくべき代物が判別できない。
あの聖剣アレスや妖刀阿修羅とやらも、真面目に振ると威力が強すぎてアースホールの生態系が変わるため、途中から武器として使うのをやめ、ただの解体用ナイフとして使っていたくらいだ。
「……まあ、いいか」
持っていくものなど、最初から何もなかった。この身一つあれば十分だ。
俺は一切の躊躇もなく、いつもねぐらの外へ散歩に出かけるような気安さで、青白く輝く転送ゲートの中へと踏み込んだ。
「さて、外の世界ってやつはどんなもんかな」
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【あとがき】
最後までお読みいただきありがとうございました!
この作品はもともと少しダーク寄りなハイファンタジー作品の序盤を現代ファンタジー風にリメイクしたものになります。
暗めな話よりギャグ要素を入れていこうと思ったのですが、やっぱり原作のハイファンタジーの投稿を開始することにしました。お読みいただいていた方は申し訳ございません。
別作品にはなりますが、コンセプトは似てますので是非新作の方も宜しくお願いいたします。




