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夜月


 鉄男と鉄人が修行に明け暮れていた頃、鑑与四郎は手配しておいた隠れ家にいた。

 荒れに荒れたあばら家なので潜伏という言葉を使うにも烏滸がましい。


 「今の己にはこれが相応しい…」


 薄明りの中、鑑与四郎は一人酒を嗜む。元より酒を好む性質たちではない。

 

 彼の生家は吝嗇と清貧を良しとする農家で、一族は寒川家の従者だった。

 幼き頃より生き場所は寒川家の為と亡き父母より躾けられている。

 今を以って疑問を抱いた事など無い。


 (それも仕方の無い事)


 再び、喉を潤す。


 鑑与四郎は年甲斐もなく落ち着かなかった。


 目の前にブラスターガイトが立っているような気がした。


 (徒手、か。くだらん)


 鑑はその血なまぐさい戦績において剣士の相手ばかりしてきた。

 武器を持った相手ともそこそこに戦った経験は少なくない。むしろそれなりの場数をこなしている。


 肘掛椅子に立てかけておいた愛刀にして”鵺”を宿す祭器”火申かしんの柄を握る。

 否、握らすにはいられなかった。


 「倒せるか?老いぼれた今の己に」


 鉄男のその名に恥じぬ拳足を思い浮かべ、自問自答する。

 青臭い正義を掲げ、御伽噺の童子のように剣士の前に立つ空手使い、唾棄すべき――否不倶戴天の存在だ。。


 「クハッ」


 齢六十二歳にして心が躍った。

 

 幻影のブラスターガイトが鑑の顔面に向って正拳突きを放つ。

 血も凍る速度と威力である事は疑いようもない。


 当たれば死、過てば死。


 眼前に日本刀を振り下ろし、ブラスターガイトの拳は鑑の額を打ち砕き、鑑はガイトの肩口から腰まで一文字に斬り裂いた。


 相討ち、――実に悪くはない。

 しかし鏡の目の前で腰を抜かしていたのはブラスターガイトではなかった。


 「か、鑑さん⁉」


 気がつけば聞きなれた青年の声、確か天戒衆の使者、渡来わたらいかなめの声だった。


 鑑は肘掛椅子に腰を下ろし、刀を鞘に納める。


 「何用だ、渡来」


 渡会要はテーブルの上に置いたガラスのコップに口をつける。

 井戸から汲んできた冷水で身が引き締まり、一時の冷静さを取り戻した。


 「いやあ、そのさっきから居ましたよ、俺。入って来た時も返事をしましたし…」


 苦笑いを浮かべながら渡来は鑑から離れた。

 

 彼は上司から聞いていた”人斬り包丁”という悪評など冗談程度に考えていたし、本人に会ってからはその落ち着いた佇まいから鑑本人への心象はむしろ良くなったくらいだ。


 「すまんな。己もそろそろ呆けてきたのかもしれん…」


 そう言って悪びれもせずに徳利を傾ける。


 酒が多少入っていようと目の前の青年に後れを取るつもりは無かった。


 「ご冗談を。ここ、座ってもいいですよね?」


 渡来は埃をかぶったソファを指さす。

 鑑は返事の代わりに頭を縦に振った。


 「して本家の御大尽は何と?」


 鑑は興味が無さそうに尋ねる。


 天戒衆を束ねるのは百年前から始祖の血縁である松本、森川、飯塚の御三家であり、それは今でも変わりはない。

 彼らの政府への根回しと末端の鵺使いたちへの支援があってこそ鑑のような人間は生きていられるのだ。


 「総帥は特に何も。鑑さんは世良太師様のお弟子ですからね。一般人から被害が出なければ問題はないみたいな…」


 渡来は早くも貧乏くじを引かされたことを自覚する。

 彼の実家の主家である飯塚家の当主からは”何もさせるな”と念を押されてきた。


 鑑は既に冷泉院家の血筋の人間を三十人くらいは斬っているのだ。

 もはや放置しておけない存在である。


 「流石は飯塚中尉の末孫、君子の度量というものに通じているな」


 鑑は酒で喉を潤す。


 姫子の生家である森川家ともう一つ音乃島にある松本家は、本土と縁を縦からは四半世紀ほどになる。

 凶行を続ける鑑の足跡を消しているのは警視庁に幹部を送り込んでいる飯塚家と考えて間違いないだろう。

 だとすれば鑑の近くにやってきた渡来は単独で鏡を抑えつける実力者と考えるのが妥当というものだ。


 ずずず。


 鑑はコップ内の酒を一滴残らず飲み干す。


 (鹿賀の前に彼奴を斬っておくのも面白いかもしれん…)


 薄い唇の端が微かに歪んだ。


 「あ、あのー。俺そういうのじゃありませんから。これ見てください‼武器所持していませんよ⁉」


 渡来は脱兎の如く窓辺まで逃げていた。

 その青ざめた表情からして枯れに翻意が無い事は明白である。


 彼が鑑の監視役に抜擢されたのは戦闘力よりも逃げ足の早さであり、鑑を制止する事など最初から期待されてはいない。


 「安心しろ、貴様にそこまで期待はしていない。まあ威勢だけは一人前の小娘よりはマシだが…」


 鑑は心中の青眼を解く。


 リョウの祖父である雷蔵は根っからの猪武者で例え相手が格上であっても相討ち覚悟で打ち込んできただろう。

 リョウの技量は浅く、また悲しみに心を引き裂かれるばかりか決死の覚悟さえ持っていなかった。


 (雷蔵の孫娘にどちらかがあれば殺されても良かったのだがな…)


 鑑は窓を開けて夜空を眺める。

 春にしては肌寒い風が心と身体をわずかに冷やした。


 「その。世良太師様は鑑さんと面会したいと仰られておりますが…」


 渡来の記憶の世良小町は般若の面をかぶっていた。

 顔合わせの時に結構な罵倒を食らっている。


 「師匠が?今さら己とあってどうする…。もうずいぶん昔に縁切りはすませたはずだ、と伝えておけ」


 鑑は夜景を眺めながら答える。


 「それは伝令役の俺が徹底的にやり込められるテンプレですよね?」


 「然り、だ」


 渡来はこの後の自分の処遇を想像し、大いに落ち込んだ。


 「渡来。頼んであった情報はどうした?」


 渡来の様子などお構いなしに鑑は話を進める。


 渡来要は頭を左右に振って気持ちを切り替えてポケットから携帯電話を取り出した。


 「どこを見ればいい?」


 渡来は液晶画面を指さす。

 購入前は最新モデルのスマートフォンを経費で落とせると期待したが見事に給料から天引きされたという心の傷は未だに癒えてはいない。

 天戒衆の懐事情は思った以上に乏しかったのである。


 「一応、”彼”の写真です。後輩から無断で借りてきたものですが…」


 画面の中央には厳めしい顔つきの鹿賀鉄男の顔が映っていた。


 鉄男が最初に遭遇した”無貌”という鵺と戦った時に溜まる香津美が撮影した写真である。

 当時はシュザンヌ、姫子、香津美という美女に囲まれて鉄男は緊張の極みにあった事は言うまでも無い。


 「ほう」


 鑑与四郎は鉄男の風貌からすぐに祖父、鉄人を思い出した。


 (これが鹿賀の息子(※孫)か。実に斬り甲斐のある面構えだ…)


 鑑は期待通りの鉄男の姿を見て舌をなめずる。

 彼の傍らに侍る無二の忠臣たる鵺、火申は鞘の中で低い唸り声を発していた。


 「ええと。彼かが鉄男君はですね、元は一般人です。鵺使いの血筋ではありません」


 「道理で、な。戦い方が実直すぎる」


 鑑は戦場に立つ鉄男の姿を想像して満足そうに頷いた。

 鵺使いは己の祭器に閉じ込めた鵺を前面に出して戦わなければならないので従来の戦法はまじないで互いの精神力を削り合うか、鵺の持つ力を盾にするしかない。

 鑑と小町は後者の部類にあった。


 「それで興味深い情報が一つ」


 渡来は鑑の様子に注意しながら尋ねる。


 先ほどの殺気を放った時よりも鉄男の話を聞いている時の方がより近寄りがたい雰囲気を醸し出している。

 肘掛の上にあった手がいつ刀を掴むか、薄氷を踏むような心境で話をしなければならなかった。


 「彼は正確には鵺使いではないんですよ。スーちゃん、じゃなくて現地に居合わせた新人の鵺使いシュザンヌ・ヴァンホーテンの話によるとですね…」


 数日前に鉄男はある場所で流浪の鵺”無貌”と遭遇し、交戦の末に命を落とした。

 彼が存命したのは”無貌”の中に閉じ込められていた”岩鉄”が鉄男に興味を示し、無貌からの解放と引き換えに命を共有したのだ。

 

 ここまでいい気にまくしたて渡来要は息を吐く。


 鉄男の身に起こった出来事は彼の知る鵺使いの常識では到底考えられぬことだった。

 鑑も同様に黙ったままになっている。


 「無貌はどうなった?敵対した者を生かしておくような獣ではあるまい」


 鑑は一度だけ無顔の討伐につき合った経験があった。


 当時は運よく無貌に遭遇せずに事なきを得たが、運悪く無貌に出遭ってしまった班は全滅した。

 携帯する鵺ともども食い散らされて骨の欠片も残らなかったらしい。


 渡来は一息飲んでから首を横に振る。

 彼もまた両親や師匠、天戒衆の先達らから”無貌に遭遇したら迷わず逃げろ”と言伝られた経験がある。

 故に自分の言葉に確証というものが持てない。


 「無貌は、岩鉄を身に纏った鉄男君が倒してしまったそうです。…⁉」


 対面の鑑は笑っていた。狂喜していた。


 今を遡る事、三百年前から誰も討ち果たせなかった怪物を意中の男が倒してしまったのである。

 鑑は鉄男こそ生涯の強敵と見定める。


 「その爪は鋼鉄を引き裂き、吐息は甲冑を溶かすという。疾走はしれば雷光、吠え声は天を衝き、地を揺るがす…その怪物を倒したのか、鹿賀は‼」


 「ええ。それは間違いないようです。ウチの田丸の報告ではヒメとスーちゃんが倒したことになっているんですがね…」


 苦肉の策には違いないが、適切な処置でもあった。

 御三家の直系の子孫の森川姫子と、外国のい能力者組合と太いピプを持ち太師に次ぐ将帥の地位にあるランドルフ・ヴァンホーテンの活躍ならば異論をはさむ者などはいない。

 森川家に何かと文句を言ってくる渡来の主家、飯塚家の当主もシュザンヌの名前を聞いた時に口を閉じた。

 まだ見習いながらもシュザンヌの異名は天戒衆の幹部たちにまで届いている。


 「岩鉄と言ったか、如何なる鵺だ?」


 鑑はある程度予想しながらも敢えて尋ねる。


 「岩鉄は、始祖の使役した鵺です」


 想像した通りの回答が戻ってきた。

 鑑の興奮はさらに高まるばかりである。


 「千年近く探しても見つからんわけだ。よもや無貌の腹の中にいたとは…」


 「無貌の特性とも言うんでしょうか。ヤツは取り込んだ鵺の力を使役できるみたいなんですよ」


 実際に無貌の討伐後、天戒衆の回収班は多くの祭器を取り戻す事が出来た。

 鵺使いそのものが増えなければ意味を為さないが、結果として、鉄男の存在を天戒衆が容認する一因となったのもまた事実である。


 「岩鉄。そうか、あの装束が岩鉄か。合点がいった」


 余談が渡来はブラスターガイトの事を知らない。

 これは田丸香津美の起点によるものであり、彼は飯塚家の患者である事を隠しているつもりだったが周囲にはバレバレだった。


 「何の話ですか?」


 「鹿賀鉄男は生身で火申の猛火と己の剣技と渡り合った。本人の胆力もあるだろうが、鵺の外法に対抗する備えは岩鉄によるものだろう。天晴なやつよ」


 鑑与四郎は猛火を纏う剣戟をものともせず立ち向かう鉄男の姿を思い出しながら言った。


 (恐れるべきは始祖の鵺に非ず。鹿賀の拳のみ)


 そう得心しながら酒を呷った。


 その時、周囲の気配が一転した。早朝の靄のように、凍てつく空気が別荘を取り巻く。

 怖気と寒気を同時に感じた渡来要はまず鏡に問いかけた。


 「鑑さん?」


 鑑は問われるよりも早く立ち上がり、窓の外を覗いた。


 いる。


 彼らが来ている。


 主が目覚めるその時を待ちきれずにやって来たのだ。


 鑑は着物の懐をまさぐり、淡い青の水晶を眺める。

 そして内心これが運命なのだと悟った。


 「戦えるか、渡来?守ってやっても構わんが、働き次第ではお前の知りたい事が知れるかもしれんぞ?」


 鑑は鞘から火申を引き抜き、窓を開けて出て行った。

 渡来は窓の外を見て驚愕する。無人のはずの外庭には数十もの武装した武者たちがいた。

 

 鎧の意匠からして鉄男たちがイオンモールで遭遇した怪物らと同じものである事が予想される。


 「…俺は戦闘要員じゃないんですけどね」


 渡来要は緩く結んだネクタイを解いた。

 彼の鵺、空蝉うつせみはネクタイピンが祭器になっている。程無くして渡来の頭上に銀色の巨大な蝉が降りてきた。


 「鑑さん、教えてください。彼らは?」


 ざしゅっ‼


 鑑与四郎は骸骨武者の前に躍り出て、一人また一人と斬りながら語った。


 「これは冷泉院の亡霊。死して尚映画を欲する冷泉院是清の妄執よ」


 ざしゅっ‼


 鑑の袈裟切りを抜けて一体の骸骨武者が渡来に向って突っ込んでくる。


 「鳴り響け、根の国まで。空蝉の唄」


 渡来がそう呟くと頭上の空蝉は羽を開き。音を奏でた。

 万物を容赦なく破砕する死の旋律は一瞬で骸骨武者を塵に変える。


 だが…。


 「ぐお‼この…疲労感」


 一度使えば半日は立ち上がれない欠点だらけの鵺だった。


 その後、鑑と渡来は夜通しで骸骨武者と戦った。


 「おい、渡来。死んだか?」


 返事はない。

 渡来要は限度を超えて鵺を使ったせいで気絶していたのである。


 意識を失った渡来は鑑におんぶされて宿に戻る。

 結局、彼は真相を知る事は出来なかった。合唱。

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