8「幽霊がいるんです」
雪凪の儀式から一週間が経った。
村は変わらず静かで、雪の魔女の小屋も、いつもの穏やかな時間が流れている。
暖炉の火がパチパチと心地よい音を立てる中、雪の魔女は揺り椅子を漕いでいた。
今朝、ルーシーが焼いた豆のパンを届けに来てくれたが、それ以外に特に予定はない。
外に散歩に出るのも悪くないが、朝から屋根裏で眠ると決め込んでいる使い魔から文句を言われるのは目に見えている。
そういえば、調合途中の薬があったような――
雪の魔女が薬棚に目を向けようとした時、扉をノックする音が響いた。
「はーい」
返事を返して、雪の魔女は騒ぎ始めた観葉植物を宥めながら扉を開けた。
「雪の魔女様。突然のご訪問、失礼いたします」
扉の外に立っていたのは、埃一つない綺麗な衣服を身にまとった男だった。
後ろへと流した白髪は、年齢を重ねた証のように見えるが、実際のところ、まだ皺はほとんどない。
彼は雪の魔女よりも頭二つ分ほど背が高く、大柄な体つきをしていた。
雪の魔女が彼を見上げると、男は片膝をつき、恭しく礼を取った。
「あら、あなたは……」
「ええ。リーベッド村の教会で司祭を務めております、セドラーでございます」
雪の魔女は微笑み、恭しい態度を崩さないセドラーに「畏まらなくて大丈夫よ」と軽く手を向けた。
「本日はどうされたのかしら?」
その問いに、セドラーは一瞬何かを言いかけたが、すぐに気まずそうに目を伏せた。
「実は、大変情けないことなのですが、お助けいただきたいことがありまして……」
大柄な体を恐縮したように小さくする彼の様子は、どこか可笑しくもあった。
「まぁ、中へどうぞ。ゆっくり聞かせて」
雪の魔女が一歩下がり、扉を大きく開けると、セドラーは「失礼します」と深く頭を下げながら、小屋の中へと入った。
――――――――――
「幽霊?」
歌うティーポットが注いだ紅茶を飲みながら、雪の魔女は首を傾げた。
部屋の中では、魔法の小物たちが来客にざわめき、相変わらずの騒々しさを見せている。
いくつかの小物は指を一振りで黙らせたが、台所では銀の燭台とポットが「次はどんなお茶にするか」と話し込み、ついにはミュージカルを始める始末。
そのうち包丁まで加わりそうだ。
そんな賑やかな部屋の中で、セドラーだけが困ったように眉を寄せていた。
「はい……実は、雪凪の儀式の次の日から、夜の教会で奇妙な物音がするのです」
「それは、動物が紛れ込んだとか、そういうものではなくて?」
雪の魔女の問いに、セドラーは神妙な面持ちで首を横に振る。
「最初は私もそう思っていたのですが……物音が聞こえ始めてすぐに、食べ物が無くなったり、毛布が消えたりと、おかしなことが起こるのです。その上、つい一昨日には、夜の礼拝堂で微かに人影を見てしまいました」
そう語るセドラーの顔は青ざめていた。
リーベッド村は小さな村だ。外部から来る人間といえば、せいぜい月に一度の行商人くらい。
厳しい環境ゆえに、昔から息をするように村人たちは助け合っている。故に、罪を犯す者もほとんどいない。
村の子供たちが時折いたずらをすることはあれど、実害を伴うようなことはまず起こらない。
となると、自然と幽霊に疑いの目が向くと言うものだ。
村の人々にとって、超常的な存在は「あり得ない話」ではない。
それを疑うことなく受け入れてしまうのも、村人たちの気質なのだろう。
――でも、幽霊ってそういう存在じゃないんだけど……。
雪の魔女には、犯人が幽霊だとは思えなかった。
「事情はわかったわ。ただ、霊的なものなら、魔女である私よりも、聖職者であるセドラーさんの方が解決しやすいと思うのだけれど」
雪の魔女が淡々とそう言うと、セドラーはさらに顔を引きつらせた。
「……実は、私、昔から幽霊が苦手でして……」
「あら、司祭なのに?」
雪の魔女が首を傾げると、セドラーは肩をすくめ、懺悔するように続ける。
「司祭になったのも、悪しきものが嫌う神聖な教会の近くにいれば、安心できると思ったからなのですが……いざなってみると、定期的に墓地に祈りに行かねばなりませんし、夜中に礼拝堂の火を消して祭事をしなければならないと知り……むしろ、最も悪しきものに近づかねばならない仕事だったとは露ほども思わず……」
だんだんと話が 「司祭になってしまったことへの後悔」 に変わってきた。
見かねたティーカップが、カチャンカチャンと音を立て、セドラーに存在をアピールする。
セドラーは気を取り直すようにカップを手に取り、一口飲むと、ようやく落ち着いたようだった。
「なるほど。怖くて太刀打ちできないと」
「め、面目ございません……本当ならば、自分で祈りを捧げ、解決しなければならないとはわかっているのです。しかし、最近は礼拝堂の椅子が軋む音にも飛び上がってしまう始末でして……」
「いえ、この村に住む魔女なのだから気にしないで。少し外で待っていてくれるかしら。準備をしてくるから」
雪の魔女が微笑むと、セドラーは 「ありがとうございます!」 と頭が床につきそうなほど深くお辞儀をした。
彼を外へと送り出すと、雪の魔女は指を鳴らす。
奥の部屋でクローゼットがガタガタと鳴り、防寒着たちが外出の準備をしているのが聞こえる。
そして、雪の魔女は天井を見上げた。
「ソラー! 降りといで。少し出かけるよー!」
渋るソラをハーブの蔓が天井裏から放り投げたのは、それから三十秒後のことだった。