83 冷や水
今日は週末の休みである。今日は夕方に第三皇子宮へ商品の納品の予定があるのだが、流雨が昼過ぎまでデートしようと誘ってくれたため、私はデートの準備をして流雨を待っていた。
化粧は死神業用のたれ目メイクとウィッグで、服装は最近春らしくなってきた気候に合わせてミントグリーンのワンピースにした。
ウィザー家に迎えに来た流雨は、白シャツに黒のパンツ、容姿が目立たぬよう黒のフード付きローブを着て、私があげたカラーコンタクトで赤目をブラウンに変えていた。それから私が流雨の口の横に化粧でホクロを足す。今日もルーウェンの印象からは遠ざけた姿である。
「紗彩のワンピース、可愛いね。紗彩にすごく似合ってる」
「えへ! ありがとう、るー君!」
すかさず褒めてくれる流雨に、ニマニマしてしまう。
「でも、今日もそのたれ目メイクなんだね。紗彩は素顔も可愛いから、たまにはいつもの紗彩の顔でデートしたいんだけれど」
「え!? いつものはねー、えっと……、ほら! 日本人の容姿だから! 帝国では一般受けはしないというか」
「紗彩はメイクをたれ目にしても、日本人の容姿だと思うんだけれど」
確かに。盲点だった。このメイクの時は、日本人の容姿だからという言い訳は効かないのだと焦る。
「ほら、私って猫っぽいでしょ!? そういうのを消したいというか!」
「ふーん……」
流雨は私のあごに手をいれて、私を上向かせた。
「るー君は、このメイクは嫌い?」
「そんなことはないよ。今のメイクも可愛い。ただ女の子はメイク次第でかなり変わるなぁと思っただけ。紗彩の印象からは、かけ離れてるから」
「ほんと!? それはよかった!」
前世の夫に見られても、再び一目惚れなんてされないよう、かなりメイクの研究をしましたから。流雨の感想に満足である。
「……なるほど、紗彩は紗彩とバレないようにすることが目的なんだね」
「……ん?」
「誰か顔バレしたくない、特定の人物でもいるの?」
「い、いないよ!?」
どうしてそんな結論に至ったんだ!? 図星を肯定するわけにもいかない。流雨がじーっと私を見るので、いたたまれなくて、つい視線を逸らしてしまう。
「……まあいいけど。紗彩は夕方は仕事なんだよね、時間が少ないから、出かけようか」
「うん」
まだ流雨に追及されるかとドキドキしたけれど、流雨は諦めたようだ。流雨が手を出してきたので、流雨と手を繋いで家の裏口から出た。
今日は帝都の街を歩いて散策する予定なのだ。流雨を連れて死神業の仕事のために街を歩き回ることはあっても、ゆっくり散策するのは初めてだった。
春の季節で散策には気持ちがいい。お菓子屋、雑貨屋などを回り、花の咲いている公園も散策する。そしてレストランで昼食をして、おやつの時間には家に戻ってきた。
流雨とは別れ、私は『モップ令嬢』の恰好に変更し、使用人のラルフを連れて納品物と一緒に第三皇子宮へ向かった。
第三皇子宮にやってくると、納品物を運ぶことをラルフにお願いし、私は先にいつも通される応接室に向かっていた。その途中、前から知った人がやってくるのに気づいた。知っている人ではあるが、普段話すこともないので、すれ違いざまに会釈だけして去ろうとしたところ、その人物が立ち止まった。
「ウィザー伯爵令嬢、ごきげんよう」
声を掛けられ、私も立ち止まる。
「ハイゼン侯爵令嬢、ごきげんよう」
ユリア・ウォン・ハイゼン侯爵令嬢は前世では、私の夫だったルドルフの第二皇妃であった。そして、私の弟ユリウスの異母姉弟でもある。前世ではいつもクールで何を考えているのか分からない印象だったが、それは今も同じようで、私を見るユリアは無の表情だった。
「ここで会うのは初めてですね。ヴェルナー殿下に御用かしら」
「はい。依頼されたものを納品に参りました」
うちが商売をしていることは世に知られているため、特に隠さず答えた。納品内容までは言うつもりはないけれど。
「……そう、納品に。ヴェルナー殿下はお忙しい方ですから、配慮なさって行動されたほうがよいと思いますわ。では、ごきげんよう」
「……ごきげんよう」
ユリアは去っていく。
これはヴェルナーの時間を取り過ぎるなという忠告だろうか。もしかして、ユリアはヴェルナーの婚約者にでも決まったのだろうか。
階段から私を落とした第一皇妃レベッカと違い、第二皇妃だったユリアに対し、怖いなどといった感情はない。かといって、ユリアと敵対するつもりもない。もしヴェルナーの婚約者に決まったのだとしても、私では恋敵にもなりえないし、ユリアは私を敵になりそうだと思ってもいないだろうが、やはりけん制はしておこう、ということだったのかもしれない。
その後、私は応接室に通され、後から納品物と共にラルフもやってきた。ヴェルナーとヴェルナーの側近のアベルがいつものように連れ立ってやってくる。そしてポテトチップスを待ちきれなかったヴェルナーが、さっそく一つおやつ代わりに食べだした。
「そういえば、ハイゼン侯爵令嬢にお会いしましたよ」
「ああ、先ほど来ていたからね」
「ハイゼン侯爵令嬢は、もしかしてヴェルナー殿下の婚約者になられたのですか?」
「いいや。候補に上がっている程度だよ。まあ、彼女は候補の中でも優位な方ではあるけれど」
あれ、てっきり決まったのかと思った。だったら、さっきのユリアは、私を本気で恋敵と勘違いしたけん制ではあるまいな。いや、それはないか。
「そうなんですね」
「今すぐは決めるつもりはないし、僕はもう少し様子見するよ。今後の情勢次第だな。そういうサーヤ嬢は婚約者ができたんでしょう」
「……え!? まだいませんが!?」
「そうなの? 上機嫌そうだから、好きな人と婚約できたのかと思ったんだけれど」
「……上機嫌そうですか?」
「うん。サーヤ嬢は表情が見えないけど、醸し出す雰囲気が明るいよ。毎日が楽しそうに見えるけど?」
毎日が楽しそうとまで言われるとは。メイル学園でヴェルナーと話すことはないけれど、すれ違うことはある。そういう時に観察されたのだろうか。なんだか恥ずかしい。
「まあ、婚約はできてなくても、好きな人はいるでしょう」
「……いませんよ」
なんだか、冷や水を浴びせられた気がした。私、何やっているのだろう。他人から好きな人がいるかもしれないと勘ぐられるくらい、浮かれていたなんて。流雨に対し兄妹以上の感情を持つのは止めるのではなかったのか。なのに、毎日会いに来る流雨に安心して、嬉しくて、ルーウェンの顔の流雨にも慣れてしまって、いつも通り流雨に甘えてしまっている。今日のデートも楽しかった。
ただでさえ、東京にいるときから流雨を好きになってしまっていたのに、このままいけば、また流雨を好きになってしまうのではないだろうか。いや、すでに遅い気もする。
「……サーヤ嬢? 体調悪いのかな?」
「い、いいえ、大丈夫です」
気分が沈むように頭がだんだんと下を向いていたようだ。前髪で顔が見えないと分かっていても、慌ててヴェルナーに笑顔を向ける。
これ以上、流雨が可愛がってくれるからと甘えていてはいけない。流雨だってルーウェンとなった以上、リンケルト公爵家の後継者として生きていくのだ。いつかは、リンケルト家に相応しい人と結婚だってするだろう。そうなったとき、今の私では笑顔で祝えない。少しずつ、流雨と握った手を私から手放してあげなければ。
ズキズキとする胸の痛みに、私は気づかないフリをした。




