55 兄(仮)の回想2 ※流雨(兄(仮))視点
初めて紗彩と麻彩と食事をしてからというもの、紗彩が海外から帰国すると、流雨と一弥も一緒に夕食できるよう実海棠がセッティングしてくれるようになった。
紗彩はどうやら流雨と一弥が麻彩を狙っている悪い男に見えているようで、いつも不機嫌だった。話しかけても紗彩は時々しか返事はしてくれず、警戒心の塊だったが、流雨はそんな紗彩も可愛くて、こっそり写真に収める日々。
そんな警戒されるのも一年が続いた頃、ある出来事があった。
流雨はいつものように夕食のために店に向かう間、一弥と実海棠と紗彩と麻彩と共に街を歩いていた。麻彩がその道すがら、離れたところに何かを発見したようで、指を指した後にその発見したものに向かって走り出した。紗彩も麻彩を追いかけようとしていたが、流雨は麻彩を見て全速力で走り出した。
「――まーちゃん! 赤信号!」
紗彩が恐怖に叫ぶ。子供というものは、目的に集中し過ぎると周りが見えなくなるらしい。麻彩が赤信号の歩道を渡ろうとしたところ、間一髪で流雨が間に合い、無理やり麻彩を止めた。後ろから実海棠と一弥と紗彩が追いついてきた。
「麻彩! ちゃんと前を見ていないとダメだろう!」
青くなって強い声を出す実海棠に麻彩がビクっとして泣き出した。
「ごめんなさいぃぃ」
紗彩が震えながら麻彩を抱きしめ、紗彩も泣き出しながら流雨に顔を向けた。
「るー君、まーちゃんを助けてくれて、ありがとう」
流雨の名前を知っていたんだ、と一度も呼ばれたことがないため、場違いにもそう思ってしまった。
それからというもの、紗彩の流雨を見る目に変化があった。今は流雨が麻彩を狙う男とは思っていないようで、話しかけると普通に返事をくれるようになり、流雨の名前も呼んでくれるようになった。紗彩は笑ってくれるようにもなり、懐かない猫が懐くとこんな感じだろうかと思った。
だから、流雨は図々しくも、紗彩に提案した。ずっと弟か妹が欲しかったから、紗彩のことを妹のように可愛がってもいいかと。紗彩は最初は戸惑っている様子だったけれど、「いいよ」と言ってくれた。
それからというもの、流雨は紗彩に少しずついくつか習慣づけさせることを目論んだ。もちろん実海棠には了承済みである。まずは手を繋いで歩く。そしてハグをする。最終的には抱っこである。
紗彩は手を繋いで歩くのと、ハグはすんなり受け入れてくれた。抱っこは重いからと遠慮しているようだったが、どうしても抱っこさせてほしいとお願いすると、紗彩は実海棠を見た。実海棠は口を開く。
「流雨が抱っこしたいと言ってるんだから、紗彩が嫌じゃないなら、抱っこしてもらえばいいんじゃないか?」
紗彩は流雨を見て両手を広げた。抱っこしていいよ、ということのようで、流雨は紗彩を抱き上げる。抱き上げられた紗彩は嬉しそうにして、そのまま流雨の首に手を回し、抱き付いてきた。流雨は胸が熱くなった。
(妹って、こんなに可愛いものだったんだ)
顔の造形だけでなく、紗彩は仕草や行動が可愛かった。可愛いと褒めれば嬉しがり、ハグして欲しいといえばハグしてくれ、流雨を見つめる目から流雨が「好き」だとハートの視線が飛んでくる。紗彩は愛情が素直なのだ。
流雨は紗彩が可愛くて可愛くて仕方がなかった。警戒されていた頃とは別人のような紗彩は、心を許して甘えてくるのが何とも言えないくらい愛しい。
ところで、流雨に抱っこされた紗彩を見て、一弥が麻彩に抱っこしてあげると言ったが、麻彩は「お兄ちゃん」と実海棠に手を広げ、麻彩は実海棠に抱っこされた。一弥は不満そうにしていた。このころの麻彩は、やんちゃで誰にでも付いて行きそうな軽い口調なのだが、意外と潔癖なのか紗彩と実海棠以外とは手も繋がない。流雨や一弥にイタズラを仕掛けたりはするものの、食事では隣に座るのは紗彩か実海棠がいいと譲らない子だった。やはり紗彩と麻彩は似ているように見えるけれど、それぞれ性格は違うのだ。姉妹って面白いと思った。
そんな紗彩を抱っこできた期間も、紗彩が中学生になると唐突に終了した。東京の学校の友達と話をしているときに、「もう抱っこはされないのが普通」という話題になったらしい。紗彩に「抱っこしないで」と言われた流雨は、一ヶ月くらいショックだったのを覚えている。手を繋いで歩くのとハグまで拒否されたらどうしようと、前もって真剣に紗彩を丸め込むパターンを考えたが、幸い、それを拒否されることはなかったので、ほっとした。
それから流雨と紗彩の相思相愛な疑似兄妹も数年が経ち、紗彩に向ける流雨の妹としての気持ちは、いつの間にか女性に向ける愛情に変わっていた。それを傍で見ていた実海棠は、「重めのシスコンが重めの恋慕に変化した」と苦笑する。
「愛情なんて、いつでも重いものじゃないの?」
「流雨のセリフとは思えないな。昔の流雨の彼女に対する流雨の愛情なんて、紙一枚分くらいの薄さしかなかったと思うぞ」
それは確かに。紗彩に感じる愛しい気持ちと、昔の彼女に対する気持ちは、明らかに乖離している。紗彩に対しては、紗彩の兄妹である実海棠やユリウス、麻彩にでさえ、流雨は時々嫉妬する。できるだけ、それを表に出さないように気を付けてはいるが、実海棠に対しては、時々八つ当たりをすることはある。まあそこは、実海棠だし、八つ当たりくらい受け入れてくれるだろう、という甘えもあるのだが。
そして、今日も流雨は実海棠に八つ当たりをするのだ。実海棠の家に泊まりに来て、紗彩と麻彩が風呂で不在にしている時。
「紗彩を膝に乗せてキスさせるなんて、俺に対する嫌がらせか?」
流雨はスマホで画像を見せた。実海棠の秘書の真木が今日撮った、紗彩が実海棠の膝に乗り頬にキスしている写真である。
「流雨……真木をいつも買収するのを止めろ」
「何をいまさら。いつものことだろう。それに紗彩の情報しか買ってない」
「何で真木はいつも写真を撮るんだろうって、紗彩不思議がってるぞ。それに紗彩が東京に帰って来た日に、タイミングよく紗彩に電話してるだろう?」
「真木さんから紗彩の帰国連絡も貰ってるから」
「だろうな」
流雨の紗彩に対する行動なんて、実海棠がいつも把握しているのは分かっている。真木の買収だって、絶対にダメなら、実海棠の場合、止めさせる実力行使をしているはずだからだ。
「買収の報酬は?」
「真木さんの姉が芸能人の追っかけしているらしくて、そのチケットとか」
「流雨の得意分野だな。真木の姉と真木は年が離れていて、姉からの恐怖政治が染みついているらしいぞ」
「真木さん、不憫。確かにいつも必死にチケット頼んでくるな」
「その必死さが、今回の写真に出たんだろう」
「……? 何の話?」
「キスの写真だよ。紗彩に俺にキスするよう言ったのは真木だぞ」
「……あの野郎」
そんな裏事情があったとは。実海棠にキスなど要らぬ注文は余計だと、真木に伝えなければならない。もれなく流雨の嫉妬を買い、欲しいチケットが手に入らぬと知らしめる必要がある。流雨が欲しいのは、可愛い紗彩だけが写る写真なのだから。
実海棠との話は、紗彩たちが風呂から上がってきたため、終了である。
紗彩を構いたくて、そのタイミングを計る流雨だった。




