25 兄(仮)は妹(仮)が可愛くて仕方がない1
兄の部屋から三十階の家に戻り、学校の制服に着替える。そして軽く化粧をした。
帝国でやった宿題を忘れずにバッグに入れ、学校に向かった。電車を乗り継ぎ、到着したのは、いわゆるお嬢様学校である。幼稚舎から大学まで通える女子校だった。
学校では約束している午後三時に先生と会う。
「確かに、宿題は受け取りました。次回の分は、木曜に渡しますね」
「はい」
今週は火曜日から木曜日まで学校に通学する予定なのだ。
「あと、今度こちらからの連絡を差し上げたいとお兄様にお伝えいただけますか?」
「分かりました。いつも通り、秘書の真木に先に連絡していただけますか?」
「分かりました」
それから先生としばらく話をして、その日は私の学校用事は終わりだった。現在四時。まだ流雨のところに向かうには早い。少しだけ麻彩の顔を見ようと、中等部へ向かう。麻彩も同じ学校なのである。
中等部に向かうと、授業は終わったのか、帰宅している子もいる。しかし、私は体育館へ向かうと、二階の観客席に行った。麻彩は体育祭の準備だと言っていたので、体育館だと思ったのだ。案の定、体育館には麻彩がいた。体育館は広いため、中等部は毎年体育館で体育祭を行うのだ。雨の日も決行できるので、スケジュールも狂わないから見に来る親は助かるだろう。
麻彩は友達と楽しそうに笑っていた。体育祭の準備というより、ダンスの練習のようだが、中学校の体育祭はダンスをするんだなぁと思いつつ、スマホのカメラを連写する。私は中学校、といわず、学校の行事はほぼ出たことがないのだ。
「誰かと思えば、一条さんでしたか」
「……先生、こんにちは」
私の中学校の時の先生だった。
「いつ東京に戻ってきたのですか?」
「今日です」
「今日ですか。では今週は東京にいるのですね」
「はい」
そんな話をしながらも、麻彩の撮影をする私に先生は苦笑する。
「相変わらず仲のいい姉妹ですね。一条さん、中学校の時は小学校にいる麻彩さんの写真を撮ってましたよね」
「だってまーちゃん可愛いですもん」
「前も同じこと言ってましたよ。姉妹って、そんなにいいものですかねぇ」
「先生のところは、姉妹仲が良くないって言ってましたね」
「そうなんですよね。会えば未だに喧嘩になります。お互い、いい大人なんですが」
それからも先生と雑談しながら撮影をしていたが、時計が四時四十分になったのを見て、私は席を立った。
「私帰りますね」
「あら? 麻彩さんと帰らないのですか?」
「今日は別々なんです」
「そうですか。気を付けて帰ってくださいね」
先生と別れ、学校を出ると、流雨の言う通りタクシーに乗った。私の乗ったタクシーは、迷うことなく目的地の流雨の会社に着いた。時間は五時十分。少し早すぎた。流雨の会社の定時は五時半なのである。
流雨のチャットに『会社のビルの下のカフェでお茶をして待ってる』と連絡を入れ、カフェの前で何を飲もうかメニューを見る。クリームの乗っている甘いカフェラテにしようか。そう思いながら店の人に話しかけようとした時だった。後ろから話しかけられた。
「紗彩さん」
振り返ると、そこには流雨と同じ会社の流雨の後輩の女性、千葉がいた。
「千葉さん! お久しぶりです」
「お久しぶりですね。お元気でしたか?」
「はい」
「さきほど先輩に紗彩さんを迎えに行くよう言われまして」
「あ、そうなんですか?」
「はい。会社にお連れします」
「……えっと、飲み物買ってもいいですか?」
「もちろん。お待ちしますよ」
千葉に待ってもらい、お店でクリームたっぷりの冷たいカフェラテと流雨用にコーヒーを頼み、持ち帰り用のカップに入れてもらった。
「お待たせしました」
「いえいえ。ではこちらにどうぞ」
流雨が働く会社は流雨が経営している。もともとは流雨が高校の時に一人でやっていた仕事が大きくなり、会社を立ち上げ、現在は社員も多数いる。千葉は、大学の時の後輩で、流雨の会社の社員なのだ。
流雨の会社が入っているビルは、いろんな会社が入居している。このビルの十五階に流雨の会社が入っている。
「私がるー君の会社に入ってもいいんですか?」
今まで流雨の会社の傍まで来たことはあっても、いつもカフェで待ち合わせをしていた。だから流雨の会社の中にまで入るのは初めてだった。
「問題ないですよ。五時過ぎていますし、五時過ぎたら待合室に家族を入れてもいいことになっていますので」
「そうなんですね」
十五階に着き、流雨の会社に入ると、そこは全ての壁がガラスだった。中が丸見えで、解放感がある。その中に待合室もあり、千葉の言うように、小学校の子と幼稚園くらいの子が数名待っていた。
「あの子達は社員の子どもたちです。幼稚園はすぐ近くにあって、あの子は五時になるといつもいますね。社員のみんなに可愛がられてますよ」
「へえ。会社に子供を連れてこられるのはいいですね」
「そうですね。紗彩さんは待合室ではなく先輩のところに案内します」
千葉の案内により、流雨の部屋に案内されるまでの間の壁も全てガラスなので、まだ仕事をしている人や、会議中の人の姿も見える。
「先輩の部屋はここです。……電話中のようですね」
流雨の部屋もガラス張りで、机にお尻を乗せて半分座ったような姿で電話している。そんな流雨が私に気づき、手招きをした。
「入っていいみたいですね」
「はい。案内ありがとうございました」
部屋に音を立てないよう、そろっと入り、近くのテーブルに持っていたカフェラテとコーヒーを置き、肩にしていたバッグも置く。そして流雨に近づいていくと、流雨が手を広げたので、流雨に抱き付いた。電話しつつも、流雨はもう片方の手で抱きしめてくれる。
流雨の香りがする。流雨の話声もする。なんだか落ち着くな、と思いながら、しばらくそうしていると、流雨が電話を切る声がした。顔を上げると、流雨が笑っている。
「いらっしゃい、紗彩。会いたかったよ」
「私もるー君に会いたかった」
笑いあうものの、流雨が少し眉を寄せた。
「顔色悪いね。体調悪い?」
「え!?」
兄に似たようなことを言われたので、薄化粧をしたのだが、疲労が消せていなかったようだ。もう少しチークを濃くすればよかったかな。
「体調悪くないよ。忙しくて少し寝不足だっただけなの。昨日はたっぷり寝てるから、大丈夫」
「本当に?」
「……本当だよ?」
探るような視線に、ちょっと目が泳いでしまう。
「……忙しいって、仕事? 俺が手伝えることはない?」
「ありがとう! でも大丈夫! たまたま仕事が重なっただけなの。いろんな人に手伝ってもらっているし、本当に大丈夫なの」
あまり大丈夫と連呼しないほうがいいのだろうか。嘘っぽく聞こえるのだろうか。しかし大丈夫としか言いようがない。心配かけたくないのだけれど。
「……分かった。でも俺が手伝えることがあるなら、言うんだよ。何でもやるからね?」
「うん。ありがとう」
まだ探るような目の流雨だったが、諦めたようだ。何かに気づいた流雨が、少し眉根を寄せる。
「あいつら……」
なんだろう? 流雨の見ている方、私の後ろへ顔だけ向けると、廊下を挟んだ向こうのガラスの壁に、複数の人がへばり付いて私たちを見ていた。
「え!?」
ビクっとして、怖くて顔を戻し、流雨に抱き付いた。何今の!? 見間違いかと思い、またそろっと後ろを振り返る。やはり壁にへばり付いて見ている人がいる。ニヤニヤして楽しそうな、好奇心旺盛な、そんな感じの表情たち。
「えー……」
なんでだろう。帝都なら一部の人に『モップ令嬢』だと有名なので、見られることもあるが、東京では私は有名ではないはずだ。だから見られるはずもないのに、と思っていると、私を見ていた人たちは、今度はぎょっとした顔をし、慌てて蜘蛛の子散らすようにガラスの壁から離れて行った。
「あれ?」
何に驚いたのかと、疑問に思いながら流雨を見上げると、流雨はにこっと笑う。
「もうこっちを見られることはないよ」
「……? なんで私見られていたの?」
「俺の妹だと言ってあるから、どんな子なのかと紗彩を見たかっただけだよ」
「そうなの?」
それだけなら、そこまで気にしなくてもいいかと、ほっとする。
「そうだ、るー君にコーヒー買ってきたよ」
「ありがとう」
流雨から離れ、コーヒーを持っていく。
「紗彩のは何?」
「甘いカフェラテなの」
カフェラテのストローに口を付ける。甘くて美味しい。
「仕事終わる?」
「定時に終わるよ。今日は何食べたい? 俺は中華か鉄板がいいかと思うんだけれど」
「鉄板! お肉だよね?」
「ははっ、紗彩はやっぱり肉がいいか。じゃあ鉄板でいい? いいなら予約する」
「うん」
流雨が予約している間、流雨の部屋を見渡す。無駄な物は何も置いていない、シンプルな部屋だ。予約し終わった流雨を見る。流雨はいつもスーツは来ていない。あまり堅苦しいのは好きではないのだ。
「るー君はスーツが必要な時はどうしているの?」
「ん? スーツはあるよ。必要な時は着替える。けど、必要な時も、あまり着ないかな。必要度による」
流雨は見えないように横の方に隠れていた取っ手をひっぱると、中からスーツが出てきた。そんなところに収納していたとは。
「るー君がスーツ着ているの、今度見てみたいな」
「見たことない?」
「ないよ。いつものるー君もカッコいいけれど、スーツ姿も見たい」
流雨は楽そうなシャツを着ているが、すごくシンプルなのにカッコいい。やはり本人の素材がいいからだろう。昔から女性にモテるとは聞いている。しかし彼女といるのを見たことがない。学生のころに彼女がいたのは知っているが、時々彼女がいるのか聞いても、「今彼女は必要ない」と言うだけなのだ。
流雨が大好きな身としては、流雨に彼女がいないということは、私がまだ甘えられるということだから、自分勝手だが流雨には彼女がいないほうがいい。それに彼女ができたら、流雨を盗られたとやきもちを焼いてしまう気がする。
「いいよ。今度スーツを着る時は見せてあげる」
「絶対ね!」
流雨に小指を向けると、流雨は笑って小指を絡ませた。『指切りげんまん』で約束するのだった。




