09 : FLASHBACK TRIP SYNDROME
9.
――そう、あの日、あの日のことだ。
あの日の記憶を、夕莉は生涯忘れることなどできないだろう。
『王国』を造ってからというもの、夕莉と有栖は学校帰りにいつもそこに立ち寄った。
特に何するというわけでもなかった――けれど、そこは彼女たちにとっての外敵がいない場所で、誰にも侵されることのない、最小にして最高の平和が保たれた空間だったのだ。だから、何かあるたびに彼女たちはそこで落ち合って、互いに落ち着いた時間を共有した。
だが、そんな『王国』での一時も長くは持たなかった。
その空想の王国は、彼女たちが予想していたよりも、ずっと、ずっと早く――崩壊を迎えることになってしまったのだから。
その始まりは、突然だった。
これまでは毎日のように顔を合わせていた有栖が、急に姿を見せなくなったのだ。それは二人だけの『王国』に限らず、外の世界である学校においてもそうだった。
始めのうちは、夕莉も何か風邪でも引いたのだろうと思っていた。だけど、その期間が三日から五日になり、五日から一週間になり、それが二週間目に突入したところで夕莉もただ事ではないということを理解した。
なぜだか、彼女は連絡の一つもくれずに――ただ学校を休み続けていた。
あれからというもの、有栖はあの『王国』にも来てくれなくなった。夕莉も彼女が来なくなってから、あの場所にはあまり行かなくなってしまった。あれは二人一緒だったからこそ楽しかった空間なのだ。夕莉がただ一人いたところで、そこは『王国』にはなり得ない。
古今東西のおとぎ話で、王子様とお姫様が常にセットで語られるように――あの場所は、夕莉と有栖がいなければ機能しえない場所だったのだ。
二人一緒でなければ、意味のない場所だったのだ。
でも、あの『王国』で待っていれば、いつか有栖が来てくれるような気もして、夕莉はときどき『王国』に出向いたりもした。結局、それで出会えた試しはなかったけれども。
「……どうしちゃったんだろう」
あの当時、夕莉はよくそんなことを考えていたものだ。
不安で仕方が無かった。学校でも、有栖の話題はクラスメイトの間でたびたび話されていたものの、誰も確証に近い情報を持っている者はいなかった。
夕莉は次第に落ち着かなくなってきて、連絡網を使って彼女の家に電話をかけた。
「……はい、来巳ですが」
「あのっ、わたし、同じ小学校のクラスに通っている坂下夕莉なんですけども――」
「ああ、夕莉ちゃん!」
その名前を聞いたとき、電話口の向こうにいる人物が笑った。
「なんか久々な気がするねえ……二週間ぶりかな? 有栖だよ。うん、ちょっと具合が悪くて最近学校にも『王国』にも行けなくてごめん……なんかあんまり良くないんだ」
夕莉は有栖の声が聞けただけでも嬉しかった。だけど、すぐに質問を繰り出していた。
「風邪、なの?」
「ううん、そういうんじゃないの――」
電話口での話を聞いている限り、夕莉には有栖がとても元気そうに思えた。だが彼女が具合が悪いと言っているのだから、事実としてそうだったのだろう。
「なんかね、ちょっと言いにくいんだけどね……あたし、最近ちょっとおかしいような気がしてるんだ。自分でもよく分かってないんだけど。なんか誰もいないはずなのに声が聞こえたりとか、見えるはずもないものが見えたりするの……それに体も動かなくなったりとか」
「大丈夫、なの? 病院に行ったりとか……」
「うん、病院にも行ったんだけどね」
有栖はちょっと寂しげにそう言った。
「お医者さんも優しいし、お父さんもお母さんもすごく心配してくれてるんだけど……全然良くならないんだ。なんかね、最近、自分の体が自分の体じゃないような気がするの」
「……うん、そっか。具合が悪いんだね」
それ以上のことを夕莉は何も言えなかった。
「ねえ、有栖。だったら、無理はしなくても大丈夫だよ。でも、元気になったらまた顔を見せて。わたし、今でもずっと『王国』に通ってるんだよ――わたし以外には誰もいないけど、それでも有栖と一緒に作ったあの場所が大好きだから、さ」
夕莉はちょっと嘘をついた。けれども、これが悪い嘘だとは到底思えなかった。
「……うん、頑張ってみる」
有栖がそう言ったのを聞いて、夕莉は彼女との会話を打ち切った。少なからず安心した部分もある。だけど、心の中では一部でより不安が強くなった部分もあった。
夕莉としては、有栖がいてくれさえすれば――『王国』なんてなくてもよかった。
別にあの場所が嫌いなわけではない。でも夕莉にとって、有栖はそれ以上に大切な存在だったのだ。自分にとっての同じ価値観を持っている、大切な友達だったのだ。
有栖との電話で嘘をついてしまった翌日から、夕莉はたった一人でも『王国』に通い続けることを決めた。何をするわけでもなかったけれど、有栖が元気になったら来てくれるということが、夕莉にとってのたった一つのモチベーションだったのだ。
ここ最近は足を踏み入れてなかったからか、『王国』内には少し埃がたまっていた。
それを夕莉は自分ひとりで掃除し、綺麗にして、あたかもこれまでのような有栖と夕莉だけの居場所を維持することに全力を費やした。
たまに寂しさが舞い降りてくるときもあったが――それはできるだけ我慢した。
でも、そうやって自分たちの居場所の手入れをしていると、夕莉はちょっとだけ不思議に思うこともあった。それは本当に何気ないことではあったのだけども。
「……ぬいぐるみが、何個かなくなってる」
このぬいぐるみは、夕莉と有栖が自分たちのものとして持ってきたものだった。それが何個かなくなっていたのである。有栖の白ウサギのぬいぐるみも、その一つだった。
夕莉がいない間に、もしや有栖もここに来ていたのだろうか――?
確かに、考えられないことではなかった。だけど、夕莉にはどうしても彼女が体調の件で嘘をついているようには思えなかった。何よりも友人のことを疑いたくなかった。
でも確かに、そのぬいぐるみたちはいくつかがなくなっているのだ。
数にして数えると、そのなくなったぬいぐるみは四つだった。そして、それらは白ウサギのそれを含めて、もともとは全て有栖が所有していたものだった。
「それとも……この『王国』にわたしたちとはまた別の人が?」
まさか、と夕莉は内心で思う。だがそれもあり得ないことではなかった。
結局、その日はそれ以上考えることを止めて――家に帰ることにした。あの電話をしてからはや三日、有栖はまだ『王国』に訪れてはくれなかった。
再びの電話をかけたのは、その翌日のことだ。
夕莉はいつもの学校を終えてから、すぐに有栖に対しての連絡を取った。
もちろん、それは『王国』に置いてあったぬいぐるみについてのことを聞くためでもあったし、有栖の体調がどうなっているのかを確認するためでもあった。そして、そこにわずかながら友人と触れ合える時間を求めていたのも、また事実であった。
有栖の家に電話をかけると、何度目かの呼び出しで受話器が取られた。
「もしもし、来巳ですけど」
「あの、夕莉……なんだけど。有栖だよね? 体調、どうなってる?」
「ああ、夕莉ちゃん……」
その日の有栖は、なんだか少し体調が悪そうだった。その雰囲気が、受話器を通じて夕莉の耳にも届いてきていた。これまで寝ていたのだろうか、なんとなく眠そうだった。
「……体調はね、あんまり良くないかな。ごめん、さっきまで眠ってたんだ――なんだか最近眠たくってさ。起きてると色々と不調もあるし、眠ってるときだけは何も起こらないから。ごめんね、せっかく『王国』に行く約束してたのに……」
「ううん、大丈夫。わたしは有栖が元気になってくれるのが一番嬉しいよ。……ところでちょっと聞きたいことがあるんだけど、時間は大丈夫かな?」
「ん、それくらい大丈夫だよ」
そう有栖が返してきたので、夕莉は満を持して昨日のことを話すことにした。
「うん、じゃあ話すけどさ……昨日行ったらね、わたしたちの『王国』に置いてあったぬいぐるみが、何個かなくなってたんだ。あのさ、もしかしてなんだけど――有栖、わたしがいない間に『王国』に来てたとかそういうことはないかなって」
「えっ、あたしが? それに、ぬいぐるみが?」
「うん、そう……ぬいぐるみが何個かなくなってるんだ」
そのなくなったぬいぐるみが全て有栖の所有していたものだということは、あえて言わなかった。それよりも有栖がどういう返答をするのかの方が気になった。
「あたし――行ってないよ? 朝も昼も夜も、最近はほとんど眠ってたから……」
「そっか。じゃあ有栖も分からないんだね」
「……うん」
有栖は小さく返事をして、それから夕莉に対してこう質問してきた。
「なくなったぬいぐるみは、何個なの?」
「四つだよ。しかも……こう言うと難なんだけど、全部、有栖が持ってきたやつなんだ。だから、てっきりわたしは有栖が来て持って帰ったものだと思ってたんだけど」
「違うよ……あたしじゃない」
そう有栖は眠そうな声音で、だがしっかりと否定して続ける。
「なくなったぬいぐるみって? どれがなくなったのか、夕莉ちゃん分かる?」
「ちょっと数が多いから全部は分からないんだけどね――あの有栖がサイショウ役にするって言ってた白ウサギのぬいぐるみは、とりあえずなくなってる。あれだけはわたしも覚えてたからさ……あの白ウサギのぬいぐるみは」
「そっかあ……あの子、いなくなっちゃったんだ」
その有栖の一言は、心の底から残念そうな響きを伴っていた。それまで夕莉は心の中で半分、有栖の仕業だったのではないかと疑っていたことを後悔した。
「あのさ、変なことを言うようなんだけど」
「……うん?」
「もしかして、わたしって有栖の迷惑になってるんじゃないかって――だから有栖は学校にも『王国』にも来てくれないんじゃないかって、ちょっと思ってるんだけど……そんなことはないかな? わたし、有栖にとって迷惑な存在とかになってない?」
「ちょ、ちょっと夕莉ちゃん……いきなりどうしちゃったの」
「……ごめん、変なこと言ったよね」
「ううん、いいよ。疑われても仕方ないかなって、ちょっと思ってた。でも本当なんだ。あたしも信じて欲しい……夕莉ちゃんのことが嫌いになったからじゃないよ。あたしは、失敗しちゃったみたいだから。本当はもっと平和でみんなが幸せになれるようにって考えてたのに、なんだか思い通りにはいかないみたいだね、あたしこそ夕莉ちゃんに迷惑をかけちゃいそうでちょっと怖――」
「……有栖?」
夕莉は、有栖が何を言っているのか分からなくなって反射的に聞き返していた。
「……ああ、ごめんごめん。あたしも変なこと言っちゃったみたいだね。最近、こういうの結構あるんだよね……あたしのはずなのにまるで誰かが喋ってるような感じ」
「大丈夫、なの……?」
「うん、元に戻った。誰かに言われると気が付くんだけどね。なんだか誰もいないところでも一人で喋ってたりとかするみたいで――はは、なんかおかしいよね、あたし」
「ううん、そんなことないよ……有栖がおかしかったら、わたしはもっとおかしいと思う」
「夕莉ちゃんはおかしくなんてないよ」
「夕莉ちゃん『は』じゃなくて、夕莉ちゃん『も』だよ。……ちゃんと自分も入れてあげて」
「ふふ、そうだね……そうだった」
有栖は依然として眠そうな声で、優しげに笑ってから言った。
「でも、いいな。こうして夕莉ちゃんと話してるの。なんだか、ずっと学校にも『王国』にも行けなかったのがちょっと寂しい気持ちになるよ……体調が良かったら、明日は『王国』だけでも行ってみようかな」
「うん、有栖が来てくれたらわたしも嬉しいよ。でも、無理はしないでよね?」
「しないよぉ……」
有栖はちょっと拗ねるようにそう言ってみせた。
「でも、絶対に行くから。あたし、夕莉ちゃんに会いたい。会って、お話したい」
「わたしもだよ。これまでみたいに、色々なおとぎ話のことを話したり、あの『王国』についてを一緒に考えたりしたい。やっぱり、有栖がいないと楽しさ半減なんだもん」
「……ごめんね、でも明日こそは行くから」
「うん、楽しみに待ってる」
そう言って、夕莉は有栖との電話を終えた。
明日になったら、有栖は本当に『王国』を訪れてくれるのだろうか――それは夕莉としても信じていい部分なのか、少し悩むところでもあった。しかし、それでも彼女が「『王国』に行きたい」と言ってくれたこと自体が嬉しかった。
まだその時は、仄かに残った一抹の希望でさえも、救いのように感じ取れていたのだ。
――この世界は悪意に満ちている。
と、まだその頃の自分は、そんな偏屈な思想を持っていたりはしなかった。
有栖が友達になってくれた時、二人で一緒に『王国』を造り上げた時、少なくとも夕莉はこれまでの不幸が、単なる巡り合わせの問題だったということを信じることができた。自分は不幸の最下層にいる人間ではないと、信じることができた。
そして、その儚いの想いをずっと信じていたかった。
でも、人生というものは起こったことしか起こりえないものだ。
それもまた非情な現実だった。
あの日――あの狂った白ウサギが『王国』に現れなければ、有栖の身に異変など起きていなければ、自分はもっと幸福で人並みの生活を送っていたのだろうか?
もしもの話が無意味だということはよく分かっている。
でも、今になってもふとした時に考えてしまうのだ――。
それはまるで自分たちが『王国』で願っていた、この世界が現実のものになればいいという空想的すぎる思いであったことは、十分理解していたけども。
夕莉に残った最後の一欠片――希望という名の概念は、翌日、粉々に砕け散った。
翌日の『王国』に、有栖は訪れてくれなかった。
そこに代わって訪れたのは、一風代わった外見をした白ウサギだった。品のいいチョッキを身につけて、片眼鏡をかけ、懐中時計を握った不可思議な幻想人――。
その白ウサギは、廃屋で腰を抜かしている夕莉の前で、自身のことをこう名乗った。
「あなたがユウリという少女ですね――私はこの通り、白ウサギです」
その日、『王国』でずっと有栖のことを待っていた夕莉は、その白ウサギの存在にひどく驚いた。生まれて初めてその珍妙な生き物を目にしたのだから。
「……おや、まるで信じられないといった顔をしていますね。まあそれも当然でしょう。私はこの世界にとっては本来ではありえない異物ですからね。……ああそれと。あなたの待っている有栖は残念ながら、もう二度とここを訪れることはないでしょう。なぜなら……有栖は亡くなってしまったからです。私をこの世界に呼び出したために。大変残念なことではありますが――これも現実です。致し方ないことです」
人の言葉を喋る白ウサギ――そんなものが、この世界に実在するものか。
では、だとしたら、今ここで自分に話しかけてきているこの生物は一体何だというのか? 自分は幻覚でも見てしまっているというのか?
「あなた――何者、なの?」
夕莉がわなわなと唇を震わせながら聞き返したとき、白ウサギはそこでようやくにやりと笑った。紳士のように慇懃な礼をしてみせて、それから質問に答える。
「私は、白ウサギの皮を被った来巳有栖――いや、来巳有栖という少女の成れ果てと表現したほうがいいのでしょうかね? ともかく、もう有栖という個人はこの世から消滅しています。今あるのは、彼女の成れ果てである私だけです」
「そんな……じゃあ、有栖は」
「ええ、その通り」
そう白ウサギは静かに微笑んだ。
「ですが、私は彼女の意志を引き継いだ存在でもあります。彼女が私に託した願い――この『王国』を永遠に不滅のものにしたい。その尊い願いを、私は叶えるつもりです。どうですか、ユウリ――あなたも私たちと一緒に」
と、そこまで言ったとき、白ウサギの表情がおやおやという風に変わった。
「……嘘……嘘だ、そんなこと嘘だ……絶対に信じない……あなたは嘘ついてる……」
夕莉は目の前にいる白ウサギが何者なのかという疑問より早く、その白ウサギが語った「彼女はもういない」という言葉に衝撃を受けていた。
冷静に考えれば、それは信じられない出来事であった。なのに、その言葉を易々と受け入れてしまったのは、夕莉自身どこかで有栖にはもう会えないと感じていたからかもしれない。
目からは自然と涙が溢れてきて、それが目前の景色を霞ませた。
「……嘘、つかないで」
「ああ、泣かないでください。それと残念ですが、嘘ではないのです」
「…………」
「泣いていても何も変わりませんよ? 確かに彼女が亡くなってしまったのは、残念なことでありますが我々は前に進まなくてはならない。彼女の意志を引き継いで――」
「無理……無理だよ」
夕莉は涙で景色をくしゃりと歪ませながら、そうしゃくり上げるように答えていた。
「有栖がいなくなった『王国』なんて――なんの意味もない場所だもん……!」
「なんと」
これまで大人しく耳を傾けていた白ウサギが、その時、仰々しい仕草で反応した。
「何の意味もないと。そう仰るのですか、あなたは!」
「……どういうこと」
「あなたはようやく作り上げた『王国』を――そんな放り投げるように無為に返すつもりなのですか? わたしは、彼女の意志を引き継ぐ存在なのですよ。そんな私のことまで拒絶すると? それがどれだけ残酷な発言であるのか、あなたは理解しているのですか」
「…………」
「ユウリ。あなたは……我々に手を貸してくれないと、そう言うのですか?」
白ウサギは深刻そうな態度で、そう夕莉に対して聞き返す。
その問いかけに、夕莉は答えなかった。
ただ頼りない足取りで立ち上がって、その『王国』の出入り口――外界へと繋がる廃屋を玄関の方へと向かって歩いていった。この場所から離れるためだった。なぜだか分からなかったが、もうこの場所にはいたくなかったのだ。
追従してきた白ウサギが、ちょうど背後から突きつけるように言い放った。
「あなたは――救いようのない愚か者だ」
だが夕莉は何も聞かなかったふりをして、そのまま、廃屋を後にした。
それから家に帰るまでの道のりは、まるで夢の中を歩いているかのようだった。
分からなかった。この溢れ出して来る感情をどこにぶつければいいのか。否、そもそもこの感情の奔流とは一体何なのだろうか? もしかすると、あの奇妙な白ウサギは自分自身が見ていた幻覚なのかもしれないのに、なぜだか有栖についての発言だけが、ずっと胸の奥に引っかかったまま離れなかった。
これまで胸中で抱え込んでいた不安や孤独感が、一気にぶちまけられたようだった。
「分からない、分からないよ――どうすればいいの、わたし、分からない……」
わんわんと泣きながら家に帰って、今日の出来事は嘘だったと思い込むことにした。
あんな白ウサギなど実際に存在するはずがないのだと。だから有栖も死んでいないのだと。今日、自分があの場所で見たのは全て幻覚であり、明日はきっと何事もなく有栖と連絡を取り合うこともできるはずだと。
そう思い込んで――その日は、泣き疲れて自室で泥のように眠ることにした。
それが夢であれば、どれだけ幸せだったことか。
――結果として、夕莉の儚い想いは嘘になってはくれなかった。
翌日の学校において、夕莉は朝一の担任の言葉によって、有栖が昨日から行方不明になっていることを知った。あの白ウサギが妄想の存在ではなかったことを、その時、改めて把握した。
有栖は次の日になっても、また一週間が経っても、一ヶ月が経っても、学期が終わって季節が移り変わっていっても――姿を見せることはなかった。
行方不明のままだった。連絡も取ってはみたが繋がらなかった。
あの日を境に、夕莉の唯一の希望は呆気なく潰えてしまった。
この世界には悪意が満ちている――そんな生意気なことを考えるようになったのは、有栖がいなくなっていつ頃のことだっただろうか。
有栖がいなくなってからの日々は、まるで肉体を失った亡霊のように空虚なものだった。
あの悪夢のような日々の思い出は、だが不思議なことに思い出すことができない。そこがあまりにも不毛な思い出だったからか、それとも純粋に思い出したくないからのか――とにかく脳裏に思い描くことができなかった。ぽっかりと消失してしまっていた。
なぜ、運命はこれほどまでに自分に辛く当たるのだろう?
苦しい。救われたい。
答えが欲しい。
なのに、その答えをくれる存在は、誰もいない。
誰も、いなかった。




