終幕
その言葉を理解するまで、数秒の空白があった。
店主は俯いて唇を噛みしめる。
もう何度もそれを繰り返していたせいか、唇は鮮やかな赤色だった。
片隅に置かれた、バラバラになった古い時計たちは、
部分が錆び付いていたりもする。
それでもここではがらくたには見えず、
ただその時がくるのをじっと待っているように見える。
男の子が宝物を床に置いたまま、店主に駆け寄った。
店主の視線が床から男の子の顔に移ると、男の子は安心させるように微笑んだ。
その微笑みにつられるように、少し笑顔になった店主は頭を撫でようと手をのばす。
だけどその手が髪の感触を感じず空をきると、我にかえったように悲しく微笑んだ。
「どうにかならないんですか。」
解決の糸口はないと感じていたけれど、梓はそう訊ねずにはいられなかった。
「ひとつだけ、ある。」
予想外の答えに思わず店主の袖を掴む。
だったら、だったら…!
「幸運にも兄弟という繋がりがある。
だから、ワシの身体に弟の魂を入れ込むことが可能なんじゃ。
そして、魂の持ち主がその身体を支配する権利がある。」
つまり自分の身体を犠牲にして、弟を助けるってこと?
だけど、そんなことをしたら弟さんは、また一人ぼっちになってしまう。
頭に浮かんだそれからの最悪の展開を振り切るように、頭を横に振る。
店主の瞳に宿る強い光を見た。
このままでは店主はそれをやりかねないだろう。
梓は普段、他人のいざこざに口を出すことはなかった。
それなのになぜか、このことに関しては口出しせずにはいられなかった。
どうしても、二人を助けたかった。
二人ともが生きる方法…。
何かヒントになるものはないかと辺りを見渡す。
窓から見える空にはもう月が浮かんでいた。
コンパスで描いたようなまん丸な、まん丸な月。
月明かりに照らされて、瓶に入っている水色の液体がぼうっと光る。
梓はその液体から目を離せずにいた。
きらめいていて、とても綺麗で、でもこれが弟さんを不幸な目にあわせた。
ふと、梓の頭の中にか細い希望の光がさす。
もしかしたら、この液体を使えばなんとかなるんじゃないだろうか。
見惚れていたせいで忘れかけていた、瞬きをする。
だけど、目を閉じたその一瞬に、何かが割れたような鋭い音がした。
反射的に目を開けると、瓶が割れている。希望の光が無惨な状態になっている。
でも、店主は私の隣に。男の子は奥の本棚の前に。
瞬きをする0.1秒にも満たない間に、瓶を割るようなことは到底不可能である。
その上、残骸になった瓶の底は元あった場所から寸分たりとも異なっていない。
判子と机の端の丁度真ん中にあったから、覚えている。
ガラスの破片は床にも飛び散っており、まるで悪戯が成功して無邪気に喜ぶ子供のように、より一層きらめく。
疑問ばかりが頭に浮かぶ梓とは対象的に、店主は驚いた様子もなく、ただきらめく破片を見つめていた。
やがて店主は自嘲気味に息を漏らすと、静かに男の子に向かっていった。
「そろそろ、終わりがきたようじゃ。」
今まで話しかけられても無反応か、不思議な顔しかしなかったのに、
この時はまるで言葉を理解したかのように小さく頷いた。
頷いた反動で涙が煌きながらポトリと、破片の上に落ちる。
しばらくして耐えきれなくなったのか、破片から零れ落ちた涙は床に染み入って消えていった。
涙の行方を追っていたが、ふと男の子のすすり泣く声が大きくなったような気がして視線を上げた。
「……っ、」
叫びそうになった声を既のところで飲み込む。
ここで大声を上げてしまったら、男の子をもっと泣かせてしまうことになる。
店主の方に目を向けると男の子と同じ状態になっていた。
月光が梓を静かに照らす。
さっきまでは店主に遮られていたため、月を見ることは出来なかった。
気が付けば、店の壁の向こうの景色でさえも確認できていた。
透けている。
男の子が、店主が、割れた瓶が、がらくたのような宝物が。
呆気にとられて突っ立っていることしか出来ない梓に、店主は小さく頭を下げた。
そして、それにつられるようにして男の子もぎこちなく一礼する。
「待って…!」
聞きたいことが沢山ある。言いたいことも沢山ある。
咄嗟にのばした梓の手を、店主は少しだけ握って、それからそっと離した。
やけに柔らかく弾力性のある手だった。
そして店主と同じような肉球をもつ男の子も、梓と握手をした。
それから二匹はゆっくり、梓から離れて行った。
その間にも、その姿はどんどん消えていく。
別れの握手なんかにさせるものか。
だけど、勢いよく踏み出した足は二歩を歩く前に止まった。
「梓、行くな!!!」
何故か懐かしく感じる、大好きなその声。
あれ、だけどどうして東真くんがこんなところにいるんだろう?
そんな疑問が生じるか、しないかの時に、梓は後ろから抱きすくめられていた。
強いその力に抵抗する間もなく、尻もちをつく。
その目の前を、大きなトラックが走り抜けていった。
「ばかか、お前は!!」
背後からの東真くんの怒鳴り声が、どこか遠くに感じた。
目の前をトラックだけでなく、様々な色や形の車が走り抜けていく。
そこは大きな交差点だった。
「…帰るぞ。」
東真くんに手を引かれて立ち上がる。
その手の温もりを感じた途端、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「大丈夫だって。握手した時、二人ともいい顔してたろ?」
握手した時? 言われるままに思い出せば、そこには零れるような笑顔があった。
こくり、と頷くと、繋いでいない方の手が優しく頭を撫でた。
手を繋いで帰る二人と、その少し前をじゃれながら歩く二匹を、夕陽が優しく照らしていた。
梓が東真の家で、少々手荒な二匹の恋のキューピッドと再会するのは、
それから少しあとのこと。
茜色の陽の光は、古びたブロンズ色のプレートをも輝かせていた。
泣きつく私に豊富なアイディアを提供してくださったリア友の通称40番。
丁寧なアドバイスをくださったしゅんくん。
嬉しい感想をくださった空ちゃん。
それからこの物語と出会い、最後まで読んでくださったあなたに、
心からの感謝を。
一部、「思い出のとき修理します(著:谷 瑞恵)」を参考にさせていただきました。
それでは、少しでも楽しんでいただけたことを願って。
本当にありがとうございました。




