第1話 サーシャとぬいぐるみ
第1話 サーシャとぬいぐるみ
まだ夜明け前の暗い部屋の隅に置かれたベッドの中に少女は丸くなって眠っていた。
乾燥させた干し草の上からシーツを掛けた敷布団と、僅かばかりの綿の入った掛け布団。
少女の名はサーシャ、教会で見習いのシスターをしている。
遠くから聞こえる馬車を引く馬の蹄がリズミカルに近付いて来る頃、
サーシャは夢の世界から一瞬呼び戻されたが、布団を頭から被って音を遮り再び夢の世界に戻った。
その数秒後、布団を跳ね除け起き上がる。
「寝過ごした!」
慌ててベッドから飛び降り、寝間着の裾を掴んで上にたくし上げる。
肘が引っ掛かりよろけてほとんど何もないはずの部屋の作り置きの棚の扉に足をぶつけ悶絶する。
「いったあ!」
うずくまり、寝間着を脱ぐとまずは足をさする。
涙ぐみながら足が赤くなったり傷付いたり、爪が割れたりしてない事を確かめると立ち上がり寝巻きを畳んでベッドの端に置いた。
それから掛け布団を畳んでベッドの衝立に掛けると、足を攻撃した扉を開き中から見習い用のシスターの服を取り出して頭から被った。
動きやすさを重視して膝下までの少し短めのネイビーのローブ。
肘は擦れているけれどまだまだ着られる。膝まである靴下を身に付け、サーシャの足にすっかり馴染んだ革の靴を履いた。
白いエプロンを付け、ローブに合わせた帽子を被って部屋を出た。まだ廊下は暗いままだ。
急いで廊下を通り礼拝堂を通り過ぎ、庭に面した渡り廊下を通って鐘撞堂に入った。
サーシャは朝一番の誰も入っていない鐘撞堂がお気に入りだ。なにしろお堂全体がお香で満たされていて、爽やかな気持ちで一日を始められるからだ。
時刻を測るためのお香がもう少し余裕がある事を見てとり馬車の人も今日は時間を少し間違えたのかなと思った。
外へ出て桶に雑巾を入れて井戸に向かう。澄んだ冷たい水。冬は冷たくて泣きそうになるけれど、この時期であれば気持ちいいくらい。
水を2回汲んで桶に移し替えるとお堂に戻る。雑巾を絞ってお堂のテーブルを拭き、階段の手すりを拭いて上がり、鐘を守る柵も拭いた。
上から見る景色も好きだった。街はまだ鎮まり返り、灯りもほんの僅かしか付いていない。この世界をほとんど独り占めしているといってもいいくらいだ。
高い建物がないせいで遠くまで見られるのもいい。遠くの高台にはお城が見えるがここから見るとお城も全体がはっきり見える。
ひとしきりお堂を拭いて回ったのでそろそろかと下に降りてお香を見るとちょうど時間だった。
もう一度上に移動して鐘をついた。教会の役目の一つ、それは街の皆さんに時間をお知らせする事。
これも好きな事の一つ。
遠くの窓に灯りが幾つか灯り、あるいは扉が開く。街の住民はサーシャの鐘の音で動き出す。
渡り廊下を通り礼拝堂に戻ると女神様の像を鳥の羽で出来たはたきで優しく撫でる。
女神様は私の掃除にいつも感謝して優しく微笑み掛けてくださる。気がする。丁寧に埃を落としてから箒で床を掃き埃を集めていく。
埃が出るようなものは何もないはずなのに何故こんなに汚れているのか不思議に思いながら一ヶ所に集めると塵取りですくって渡り廊下の方で外に捨てる。
毎日毎日同じ場所に捨てるので少しずつ積み重なって盛り上がっているのも楽しみの一つだ。
いつかこの山に自分の名を付け、教会を訪れる子供たちにサーシャ山と呼ばせよう。そう企んでいる。もちろん一番最初の登頂は私だ。
次は並んだ長椅子を一つ一つ丁寧に拭いていく。これは余り好きじゃない。前屈みになるから腰が痛くなっておばあちゃんみたいに腰をトントンする。
礼拝堂の入り口は普段は開放しているものの、3段ほどの階段があるせいか、掴まりたい人が多く意外と汚れてしまう。念入りにドアノブを拭きすぎて少し光っている。
外側のドアノブも拭き、階段周りをほうきではいて信者の方達が来る準備が整った。でもそれだけでは許されない。
道路に面した部分はほうきで掃かないとダメだし左右の隣の玄関先もはく。もちろん道路を挟んだ向かいのパン屋さんの玄関先もはく。
このパン屋さんはいつも施しのパンをいただけるので文句はない。けど、その他は別だ。教会の隣の家具を売る店…時々直して貰ってるのでいい。
反対隣の花屋さん…時々女神様に花を飾っていただけるのでいい。パン屋さんの隣の書物屋さん…神父様が時々調べ物をさせていただいてるのでいい。
その反対隣の服屋さん…時々布切れをいただける。綿もいただける。
ああ、女神様。サーシャは他人を妬む悪い子です。お許しください。
辺りはすっかり日が昇り、家から出て来た人たちと目が合うとペコリとお辞儀をした。挨拶は自分から、神父様の教えだ。
教会の脇の入り口から中に入ると、各部屋を周り孤児達を起こして回る。まずはリリィ。少し大人しいけれど、聞き分けがよくて最初に起こすにはうってつけ。
次はハンス。まだ4歳で口調はたどたどしいけれど、食いしん坊故に言う事を聞かせやすい。そして、1番の暴れん坊はトビー。
朝から生命力に溢れ、部屋中を駆け周り、ベッドの上を飛び跳ねる。時にはシーツと干し草の間に隠れ、時にはベッドの下に隠れ隙を見せると攻撃してくる。
毎朝トビーとの戦いが1番エネルギーを使う。それでも起こされると素直に洗面所に向かうから不思議。
トビーは力があるから洗面所の桶に水を汲む係だ。顔を洗ってタオルで拭くのもそこそこに台所へ向かう。
リリィはハンスの面倒を見てくれる。ハンスの袖が水で濡れないようにまくったり、タオルが地面に触れないように手伝う。そしてハンスが台所に向かってから最後に丁寧に洗う。
シーツを畳んでベッドの衝立に掛けてから洗面所に向かう。リリィでは桶の水を流すには力が足りないのだ。
リリィは鏡の前で大人しく待っている。それは、髪を櫛で梳いて欲しいからだ。
リリィの黒く艶のある髪はまだ柔らかく、手触りもいい。
リリィも私も好きな時間だ。
私たちが台所に行くと、ようやく神父様が大きなあくびを隠そうともせず起きてくる。あくびをする時は口に手を当てる、神父様の教えだ。
台所の長椅子に神父様と子供達三人並んで座ったところで向かいのパン屋さんが元気よく挨拶をしてくる。
「おはよう、サーシャちゃん。今朝も焼き立てを持って来たよ」
両手で抱えたパレットから香ばしい小麦の香りが鼻をくすぐる。ハンスは顔を少し上に向けスンスンしている。
「スミスさん、おはようございます。いつもパンをありがとうございます!」
「スミスさんに女神様のご加護がありますように」
神父様は外面がいい。ついさっきまであくびしていた人には見えない。
スミスさんが持って来てくれたパンと街の農家の方からいただいた牛乳とチーズを用意している間、神父様は女神様に感謝の祈りを捧げた。
3人も神父様の真似をして両手を合わせ指を交互に絡めて女神様に感謝する。
私が席に着くと神父様はもう一度手を合わせる。
「女神様、今日も施しをありがとうございます。そしてシスターサーシャにも感謝いたします」
「お姉ちゃんありがとう」
神父様はおだてるのがうまい。私は感謝され嬉しくなってしまった。
朝ごはんを食べ終わると早々にトビーは飛んで行ってしまう。庭の木に登るのが最近のお気に入りだ。ハンスもトビーを追い掛ける。
食器を重ねて流しに持っていくとリリィが付いて来る。リリィは私の行動を見て一生懸命お手伝いしようとする。嬉しい事だ。食器を洗ってタオルで拭く。もう少しリリィが大きくなったらお皿を拭くのをお手伝いしてもらおう。
庭に出て薬草の様子を見るのはリリィにも出来る。まず見本に幾種類か葉っぱを持たせると、それと同じ種類で同じくらいの大きさになった葉っぱを探し、かごに摘んでくれる。
そのうち近所のご主人が仕事に出掛ける前に子供を連れて立ち寄る。
「サーシャちゃん、うちの子供の面倒をちょっと見といて。畑仕事が終わったら野菜持って来るから」
「はーい、レオ君ね。おいで。トビーとハンスと一緒に遊びましょう」
レオ君は慣れたものでトビーとハンスとも仲が良い。
大人達が仕事に出る間の子供のお守りも教会の仕事の一つ。実際には男の子はトビーとハンス、女の子はリリィが相手をしてくれるので私は何もする必要がなくて嬉しい。しかもお礼に女神様へのお供え物がいただけるので願ったり叶ったり。
薬草をある程度集めたら、部屋に戻って窓際に広げて乾燥させる。乾燥させた物はすりつぶして粉状にして何種類か混ぜて粉薬にしたり煮出して飲み薬にしたり布に染ませて患部に当てる湿布薬にしたりする。
朝からお祈りをしに来る人達の他、体調が悪かったり怪我をした人の手当をするのも教会の仕事の一つ。体調が優れない人は心も弱っているので出来るだけ優しく接するのが大事。
「サーシャちゃん、腰が痛いんじゃ。湿布を貼っておくれ」
近所のおじいさんがやって来る。奥様に先立たれ一人身で寂しいので時々来るのだけど、リリィを預かる事になってからは半分リリィ目当てだ。
「ライアーさん、こんにちわ。そのベッドにうつ伏せに寝てください。リリィ、ライアーさんが痛くて泣かないように手を握ってあげて」
「はーい」
リリィが出来る事の一つ、ライアーさんのお相手。これはライアーさんも大満足なのでリリィも嬉しそうだ。リリィが嬉しいのなら私も嬉しい。
こうして教会に来る人達の相手が落ち着いて来ると街の様子を見に行く。一見すると平和だけどどうしても不幸な人や子供がいる。それを女神様の目となり探して手を差し伸べる。
基本的に歩くだけなのでリリィも出来る事がたくさんあるので手を繋いで一緒に出掛ける。もちろんリリィの足では余計に時間が掛かるけれど、それでも頑張っているので置いていくのは可哀そうだ。
途中色々な人達がささやかな依頼をしてくる。手紙の配達、高い棚にある瓶を取る、壊れた箒を家具屋さんで直す。その対価にと野菜をくれたりする。あ、家具屋さんは箒は専門外だけど木を使うので直してれる。今度リリィ用に小さな箒を作ってもらおう。
お昼ご飯は作り置きのシチューとジャガイモを茹でて潰したものをお皿に盛って皆で食べた。リリィはジャガイモは余り好きではない。以前お腹が膨れて食べきれずにいたら、神父様が悲しい顔をしているのを見てからジャガイモは悲しい食べ物という認識が出来てしまった。
それに残すのもよくないので、リリィの分はジャガイモを少し少な目にした。
子供たちは仲良く遊びお昼を食べるとすぐにまた庭に出て行ってしまう。午後からは勇者と魔王との闘いが行われるらしい。
「それならリリィ姫を助ける話はどう?」
「こんな弱い姫は闘いの邪魔だ」
トビーの言い分には全く賛同出来ないが、男同士で遊んだ方が楽しいという心の声は理解したので無理強いはしない。
日が落ちる頃、レオ君のお父さんがやって来て背中のかごから野菜をたくさん置いて行き、代わりにレオ君をかごに入れて帰って行った。
トビーもハンスもその姿をとても寂しそうに見送っていた。いつか、引き取り手が見つかるといいのだけれど。女神様に祈りましょう。
お湯を沸かしタオルを温めて身体を拭く。身体を綺麗にするのは病を寄せ付けないためにもいいし、引き取り手へのアピールにもいい。汚らしい子供よりも身綺麗な子供の方が手を差し伸べやすい。どちらも今不幸な事には変わりないのに。
女神様への感謝の祈りは夕飯の時も、就寝前にも行われる。いつかトビーもハンスもリリィにも引き取り手が見つかりますように。
繰り返される毎日の中で変化が一番早いのは子供たちの成長だ。病に負け女神様の元に行く子供の割合もそれなりにあるので、引き取り手が見つかるのはある程度大きくなって病に勝てる力を付ける大きさになってからになってしまう。
トビーもハンスも教会に連れて来られた時には私と神父様で最後を看取る覚悟をしていたのに今では大人になった姿も想像出来るほどだ。リリィも食器を拭くのを任せてもいいくらいになった。二人並んで後片付けを出来るようになったのが嬉しい。
リリィと一緒にお使いをしている時、井戸端会議をしている女の人達から貴族の令嬢が隣国へ嫁ぐ話を聞いた。
女神様にこの身を捧げたとは言え、やはりその言葉にはとても惹かれた。リリィも同じで帰ってからもずっとのその話をしてくる。神父様も呆れて苦笑してからリリィも大人になったらお嫁に行けるといいなと言い直した。
まだ7歳のリリィの花嫁姿を想像して嬉し涙が出そうになった。
花嫁はそれから数日後にやって来た。何台もの馬車が隊列を組んで進み、前後を馬の警備隊が囲む。貴族の令嬢だから侍女も一緒に連れて行くと花屋の奥様が言ってらした。
ゆっくりと進む馬車に沿道の皆が祝福の拍手をしたり手を振ったりしている中、一番豪華な馬車が教会の前で止まった。
馬車の扉が開く。豪華な衣装を身にまとった女性が降りて来た。私の目の前まで来ると、手を差し出した。その手には人の形をしたぬいぐるみが握られていた。手足はまっすぐ大の字になっていて白いハンカチをドレスに見立てて穴を開けて首から通して腰の辺りでリボンできゅっと結んだお人形。
目はボタンで出来ていて、糸通しの穴を2つだけ使って縦線にしてある。×にすると縁起が悪いからかも知れない。
「母に守られ今まで生きて来ました。ですがもう自分で道を切り開ける歳になりました。半分をこの国に置いていきますので貴女がお世話をしてください」
ああ、なんと強い人なのだろう。貴族だからとか貧乏だからとかそんな事は無関係にこの人は強い人だと感じた。片膝をついて両手でかしいただいた。
心が何か偉大なものに触れたように震え続け、その貴族の令嬢が馬車に乗っても行列が過ぎ去るまでずっと見送っていた。もうすっかり隊列すら見えなくなった後、お付きの人がお世話には何かと掛かるでしょうから、と袋を握らされた。
その袋が何なのか全く見当も付かず神父様に袋を渡し、リリィがぬいぐるみを触りたがったがさすがにおままごとをするにはふさわしくないから届かない棚の上においた。
その夜サーシャが寝入った後、窓の外を黒いものが通りすぎぬいぐるみを見つけるとそっと部屋に侵入した。そしてぬいぐるみを取り込もうと躍起になったがついに叶わず、ぬいぐるみの中に入ったように見えた。そして、縦棒となった目に光が宿った。




