異変
夜の闇と月明かりが、森を包み込む。獣、人ならざる怪物が眠りから覚め、暗闇の中を蠢く。
鋼鉄の怪物はその暗闇の中、ただ一度のまばたきもせずに集落の観察を継続していた。
{知的生命体:呼称をひとまず『人』とする}
{住居、衣服、用いる道具から、非常に高度な知能を有していることは間違いない}
835は、ドローンの映像を参照する。
映し出されたのは、荒廃した風景と、生命活動を停止した人々の残骸。
{集落:破壊活動が行われた形跡が多く存在する}
{住民の死体:打撃、斬撃、刺突による破損を確認。別の何らかの集団により破壊、虐殺が行われた可能性}
835は再度映像を確認する。今度は、破壊された施設により着目する。
{住居:壁面や屋根に軽~重度の損壊。がれきの撤去が必要}
{井戸:水汲みのための道具が破損している。修理が必要}
{柵:一部は破損、または倒れている。これも修理が必要}
{―――全て現装備で可能}
835は計算する。村人たちと関わることのメリット、植民のための順序、この星に関する情報の収集。
そして、結論付ける。
{目標:対象集落の支配効率化、それによる植民・研究拠点の入手}
***
疲れ果てた体を横たえ、イライジャはベッドにのそりと潜り込んだ。
窓の外には美しい満月が輝いている。その美しさが、ぼろぼろのイライジャにはどこか現実味がなかった。
今日一日を振り返る。壊れた家、積み上がったがれきと死体、死体のような顔でがれきを片付け、壊れた農具と牛で畑を耕す隣人。
ぼろぼろの体を鞭打ち、必死で働いた。そうしなければ、飢え死にするのは目に見えている。
(…このままだと、次の収穫で麦が足りなくなる。おれか、母さんのどちらかが食べるのを止めなくちゃならなくなる。少なくとも誰かが、死ぬ)
自分が、あの路傍の死体の山に加えられる。その光景が目の前に浮かんだ。
たった数日前のことを思い出す。
家屋に押し入られ、家財を奪われ、金目の物は綺麗さっぱり消え失せ、荒らされた部屋は見る影も無くなった。
勇気ある男は戦った。殺された。
父さんも死んだ。
女と子供は隠れた。見つかったものは連れ去られた。
何も奪うものが無くなった。奴らははどこかへ消え失せた。
腕に受けた傷が痛む。傷口の膿の悪臭が、父の死体の千切れた腕からする匂いとそっくりだった。
(…もっとおれが頑張らなくちゃ、今よりももっと。大丈夫、誰も死なない。誰も)
そうだな、明日は井戸を直し終えよう。あれを壊れたまま使うのは不便すぎる。壊れた柵も直して、それから―
疲弊した体はそれ以上の思考を許さず、イライジャは泥のように眠りについた。
***
彼が眠りに着いたのとちょうど同時に、森の暗闇から怪物が現れる。
音もなく村へ忍び込み、再び物陰に潜む。
{目標を確認}
物陰から飛び出し、壊れた井戸に近づく。破片をカメラに近づけ、より詳細に観察する。
{やはり…破壊の具合が通常の打撃によるものではない}
僅かにモーターの駆動音が響く。
{これは爆発による破壊であると推察される。火薬の使用か?}
観察と並行して蜘蛛のような足を器用に使い、レンガを組み直す。土台部分が修復される。
{住居に対する破壊もだ。剣や槍のような武器によっては、これほどの規模の破壊は起こりえない}
地面に転がっていたバケツと滑車をつなぎ直し、井戸を静かに組み立てる。わずかな時間で、ほぼすべての修復が完了していた。
{防衛のための戦術的・戦略的対応策が必要}
{この集落を破壊した何かについても、更なる情報が必要}
完成した井戸を後にし、835は再び物陰へと身を潜める。
{次:破損した柵}
遠くから、曇り空が迫ってきていた。
***
泥のような眠りから目を覚まし、イライジャはのそりとベッドから起き上がった。
「…朝か」
いつもより少し早く起きた気がした。重い体を引きずり、立ち上がる。
「おはよう、母さん」
「ああ…おはよう、イライジャ」
抜け殻のような、生気のない返事だった。自分と同じ色の黒い髪が、ところどころ白くなっている。貼り付けた笑顔が風化してしまったかのような、そんな表情をしていた。
「ほら、朝ごはん食べて。今日も頑張ってね」
気付けば、食卓には食事が用意されている。母さんの分と、おれの分と、父さんの分。
「………ありがとう、いただきます。」
どうして父さんの分まで用意しているのか、聞くことなどできるはずがなかった。もし今の母さんそれを聞いたら、壊れるだろうから。
「いってきます」
初春の冷たい空気が、肺に刺さる。太陽の出ていない、鬱々とした空だった。
(……今日も頑張ろう)
井戸を直す、それが今日の最優先事項だった。
水がなければ、何もできない。足を引きずりながら、井戸のある広場へ向かう。
途中、同じように疲れた顔の村人たちとすれ違う。誰も言葉を交わさない。ただ、生きるために動いている。しかし広場に入る直前、たった一人だけ、昔からの友人であるノームズだけは彼に声を掛けた。
「おはようさん。昨日は井戸をきれいに直してくれたみたいで、助かるよ…ほんとに」
「おはよう、ノームズ…え、いや?」
「ん?」
「ごめん、まだ終わっていないんだ…今日中には絶対に直しきるよ」
「いやお前…直ってんじゃねえか、ほら」
広場を見る。イライジャは言葉を失った。
井戸は、完全に修復されていた。
「…え?」
子供と女性がすでに水を汲みに集まっている。
「ほんと、助かったよ…あの壊れた滑車で水を汲むのは、もううんざりだね。」
「昨日はあんなにボロボロだったのに。イライジャがやってくれたんだって」
「あら、そうなの。一晩ですごいじゃない、あの子」
土台も、滑車も、全てが問題ない。
「何で、じゃあ…他の誰が?おれ、本当に昨日の夜までやってたけど、終わらせてないよ」
「いや、誰も何も…お前がこの仕事引き受けてたじゃねえか。今日の朝、お前が直してくれたみたいだって他の奴らも言ってたぞ」
少しの間、沈黙が続いた。井戸の周りの人々の喜びの声だけが響く。
「…おれ、疲れすぎておかしくなってるかもしれない」
「ハハッ。お前、自分がやったことまで忘れちまってんのかよ。ちゃんと寝てるのか?」
「うぅ…」
どうやら本当に頭がおかしくなっているのかもしれない。イライジャは自分の記憶をもう一度探ったが、どうにも思い出せない。
(まあ、いいや。だって直っているんだから、それでいいじゃないか)
イライジャとノームズは軽口を叩きながら、壊れた柵の修復と、がれきの片づけに向かった。
***
結論から言えば、彼らの仕事は無かった。
代わりにあったのは、完全に直った柵と、一か所に片付けられたがれきの山だけだった。




